バブルに乗り遅れて、「ロスト・ジェネレーション」になってしまったと、いじけていた時代がありました。
でも、ちゃっかり学生時代に見つけた彼女と結婚はしていたので、彼女との生活をまもっていくためには、ロストだろうが、ゲットだろうが、お仕事をしなくてはいけなかった。不安定だろうが、不規則だろうが、帰れる家を持つことができたわけだから、本当はロストではなかったんでしょう。
とはいうものの、気持ち的にションボリする時もあるから、そういう時に「ロスト・ジェネレーション」ということばは、自分を慰めることばだったのかもしれない。
ことばって、言霊信仰ではないけれど、それがあると何だか落ち着いてしまうところがあって、「そうなんだ、だから、自分はこんななんだ」と、変に説得されてしまうので、そこから新しい力は湧いてきませんでした。
元気が出ることばもあるんだろうけど、まんまるく縮こまってしまう言葉だってあるんです、きっと。私の場合は、「ロスト・ジェネレーション」で、世の中を渡っていく力は湧いてきませんでした。
また、昔話書いてますよ。今につなげないと!
川崎での殺傷事件。誰でもいいからたくさんの若い命を道連れにしたい男が、目を付けた若い子どもたちが集まるところで自らの命を絶つ事件が起きました。
彼は世の中から疎外されていた。誰も彼とのつながりを求めるような人はなく、世の中から切り捨てられた存在として、自分の生きる意味を見出せなかった。
「自分の命なんて、何の役にも立たない。自分はどうしてこの世にいるのか。世の中は明るく、軽く、ずるがしこいヤツらが適当なことをしていても、ノウノウとしていて、好き勝手にわがままをしている。それはまあいい。とにかく、自分は死んでしまおう。意味はない自分の命なんだから。ついでに大きなことをして……。」
ああ、彼と話し合う誰かはいなかったんだろうか。
彼は暴走し、そのままこの世から飛び出ていってしまいました。
そこからしばらくして、官僚として相当の地位にあった人が、自らのお子さんの命を奪ってしまいました。自分の子どもが、いつか川崎の事件みたいなことをしでかすのではないかと、そうした心配が高じて、大切な子どもさんの命を奪ってしまう。
お父さんは、息子と話をしたかったでしょう。でも、息子さんは四十いくつで、お父さんとの話し合いを受け入れる存在ではなかった。もどかしいから息子さんは、家族内で暴力をふるうしかなかった。どうしてことばで家族に向き合えなかったのか。
ことばって、難しい。でも、大切なのだと思います。でも、簡単にことばは失われてしまう。いい加減なことばを出して、相手は荒れ狂うことだってある。それでも、ことばは出されなくてはならないし、忍耐強くお互いに交わさなくてはならない。
自分に言い聞かせています。
たくさんのロスト・ジェネレーションの人々がいる世の中なんです。私は、どうにかそこから脱出できた。それは少しは世の中に働きかけようとしたから、世の中も私を受け入れてくれたのかなと思います。
世の中は、実に軽薄で、いい加減で、うそっぽく、フワフワしていて、腹立たしいことがいっぱいです。でも、自分たちもその一端であるのはたしかで、実は自分自身が、いい加減で、我慢が足らず、飽きっぽく、生意気で、わがままで、うそばかりでごまかしているのだということにも向き合わなくてはならない。
自分で失ったものは、自分で取り返すしかありません。話したりないなら、誰かと話さなくてはならない。それをいい加減なままにしていたら、いつまでも失ったままになります。
たくさんの「ロスト・ジェネレーション」の人々が連帯して、自分の生きる道を自ら見つけられる世の中でなくてはならない。カルトが救ってくれるわけではありません。自らの救いは自らにある。当たり前のことでした。
オッチャンの私は、こうしてブツクサとネットに落書きして、誰かを救おうとしているんだろうか。そんな不特定多数よりも、まわりの人のことを考え、今日も自分なりにやっていこうと思います。