地図マニアで、日本各地の地形・地名・名所ならあれこれ見ていた! と豪語していた私も、実はただの甘っちょろいマニアだったようで、北海道の函館に、「鎌歌(かまうた)」という地名があったなんて、全く知りませんでした。
まあ、すでに地名は存在しなくて、廃校になった小学校が唯一の証拠ではあったのです。その学校の石柱の校名碑も、壊れていて、鎌歌だけは読み取れたけれど、いつかはそれもなくなっていくようです。
77歳の横浜の佐々木さんという人が、自らの版画交じりで訪ねてほしいとNHKの旅番組の「こころ旅」に手紙を書いていました。その目的地が旧戸井町、現在は函館市になった佐々木さんのふるさとだった「鎌歌」というところでした。
廃校になった小学校なんて、全国各地にはたくさんあるけれど、体育館も、地元のイベントでは使えそうな感じで残っていました。集落はあったのかなあ、人もほとんど出ていなかった。雨と風と静けさだけのある、無人の町のようでした。
両側を半島で区切られている狭い集落に学校はあったようです。トンネルは何十年か前にできて、それによって外の世界とはつながっただろうけど、何十年か前は、そこだけしかない世界だったはずです。目の前の海と、突き出た半島と、後ろに迫る山と、海で生きる人々がいる、唯一無二の世界がそこにあった。
今は、トンネルがあるから、都会にもつながっているし、存在そのものも、函館市に編入されているから、大きな町の一部だ、ということもできます。でも、実際に暮らしている人は、ある程度の距離感を持っているように思われます。
雨と風の海側の道を、正平さんは自転車をこいで走りました。しんどそうでした。前日がくもりで、この日は雨交じり。でも、大雨ではないし、中止するわけにもいかず、13キロをゆっくり走ったみたいでした。
海に沿った道路の反対側は、山が迫っています。そんなに高い山ではないけど、人が生活するのはそれなりに大変な坂というか、崖というかでした。
不思議なものが画面の中に入ってきました。
函館から恵山方面に鉄道を通そうとして、その建築途中の跡だったそうです。戸井線という路線が企画されたけれど、戦時中か何かの時に断念されたそうで、一度も鉄道が走らない線路予定跡だけが残ったそうでした。
日本各地には、税金をつぎ込まれて、いろんな路線が企画され、あちらこちらで工事があったと思われます。それらのどれだけが今も利用されているのか、それはとても怪しい。今もそれに懲りずに、各地で鉄道工事が進められていますけど、廃墟はステキで、一度行ってみたくなる旅心を誘うものがありますが、国の在り方としてはどうなのか、何だか分からなくなる記念碑ではありました。
昔も今も、人は大金をかけて役に立たない建造物を作り続けるのかもしれません。まるでそれが自分たちの進歩であるかのような気分になって。それを止めることは、進歩に口をはさむことになるし、とても勇気のいることであり、みんな、言いたいことも言わずに、黙って「進歩と発展」を受け入れていくのでしょうか。
2つのトンネルを抜けたら、そこが鎌歌でした。静かな町でした。人は見かけなかった。もっと突き進めば、恵山(えさん)にたどり着けたのかな。
私は、この山にも、何となく憧れていました。活火山なんだそうで、北海道のあちらこちらに、こうした活動する山があるのだと思われますが、割と野放図に存在していて、憧れはあります。いつか、登るのはしんどくても、見に行くのは行ってみたいです。