四月の終わりに、大阪に行ったとき、実家の近所のブックオフで110円で見つけた本でした。
クレア・キップスさんは、1890年にイギリスのシュロップシャー州生まれて、1976年に亡くなられます。ピアニストだったそうです。ダンナさんが1938年に亡くなってしまう。もう48歳の初老ともいえる時に、たまたま出会ったスズメがいました。
普通なら、スズメなんて、誰でもどこででも出会える、あまり心惹かれるトリではありません。でも、クレアさんが出会ったのは、巣から蹴落とされてしまった、羽で羽ばたけない、体が不自由なところのあるスズメだった。とても小さかったのです。足も、ピョンピョンはねるスズメの脚力を持たない、自然の中で生きていくには不自由があれこれあったみたいでした。
巣にも戻せないかもしれない。ひょっとしたら、親がこの子は私たちが育てるのは無理だし、生きてはいけないように生まれたのだから、巣から涙を呑んで落としてしまおう。どうせ、生きていけない命なのだから、そう判断したのかもしれない。
小さな、幼子で、飛ぶ力を持たないスズメを見つけてしまった。見殺すのも一つの判断だけど、助けてあげるのも一つの判断で、クレアさんは、一人暮らしだから、野良猫に食べられないように、家に連れて帰ります。翌朝には死んでしまうんだろうと思いつつ、静かに暖かな布でくるんであげた。
驚いたことに、翌日の早朝、かすかだけれど絶え間ない声が衣類乾燥用戸棚から聞こえてきた。信じられないほどか細い、けれど幸せそうな、もしも細いヘアピンがさえずることができるとしたら、こんなふうではないかと思われるような声だった。なんとそこには、小さなかわいい生きものが、未だに陶製のゆりかご(プディング用の小さな鉢に寝かしてあげたんでした!)の中からではあったけれど、熱烈に、と言っていいほどいきいきと生命力に溢れ、朝食をねだって鳴いていたのである。〈梨木香歩訳・文春文庫〉
かくして、スズメと出会いました。ここからは、クレアさんは、スズメのお母さんになってあげて、食べ物を工夫し、生活スペースもあれこれ考えてあげ、時には一緒にベッドで朝まで寝たりする、不思議な共同生活が始まります。
どこにも飛んでいけないトリなので、いつもクリアお母さんと一緒でなくては落ち着かないのです。でも、当然、クレアさんが家を出ていく時はあるので、その時はひとりで留守番をしたり、健気に暮らします。
そして、ロンドンはドイツ軍の空爆を受けます。空襲警報が出たら、スズメと一緒に防空壕に逃げ、たまたま一緒になった人々にも、何となく身につけた芸を披露して、緊張した空気をほぐしてあげたり、それはもう大活躍していくのです。
ピアニストであるクレアさんがピアノの練習をすれば、そばで聞いていて、自分も今聞いたメロディを歌ってみたり、あれこれ工夫して歌うということもしたそうです。
それはもう、ものすごいことだから、他の人にも聞かせてあげようと、何人かの仲間を呼んでコンサートを一度だけ開いたこともありました。でも、自然な流れの中で生き、芸人として生きるのは苦手だったみたいで、コンサートはこの一回だけになります。よその人たちがいるところではもう歌わなかった。
クレアさん以外の人間にはあまり心を許さない(それがまた自然の流れをそのままに生きるスズメらしさでした)スズメ、名前は「クラレンス」と名付けられ、「彼は」とクレアさんに呼ばれ、一緒に11年と何か月かを過ごしていきます。
一度、体調を壊し、もうダメかという時もあったのですが、これは獣医さんのアドバイスで乗り越えますが、とうとう自然の中では生きられなかったスズメのクラレンスくんは、クレアさんに見守られて死んでしまうのでした。それは戦争が終わって数年たった時のことでした。激動の時代を彼はクレアさんと一緒に生きてきたのです。
そういう、出会いと別れが描かれた物語で、何度か訳者が変わって、出ていたそうです。それを2010年に単行本として出し、2014年には文庫本が出て、私がたまたまこの4月に出会い、今やっと読み終えたところ、なんですけど、同じように喪失感ができてしまって、ポカンとした気分になっています。
こんなに心を通わせあった人とスズメがいたのか、と思うと、それは希望ですけど、私にそんな相棒が見つかるとも思えず、本を読んだ後の喪失感だけで十分とも思うし、いや、そんな仲間が欲しいとも思うし、いろいろと揺れたりしています。