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文公とはだれなんでしょう? 中歴-35

2015年12月02日 18時26分01秒 | 中国の歴史とことば
 文公さんに関することばを集めきれてなくて、王様になったのはいいのだけれど、そこからあとの足取りがイマイチはっきりしません。

 部下とのおもしろいやりとりが残されていたら、今でも読むことができる本でもあれば、もっとそのまわりの人たちとの会話がわかって、何となくイメージがわいてくるんですけど、王様になってからのお話を、見つけることができませんでした。

 文公さんから百年くらい後の人である孔子さんがこんなことを言っておられます。

「晋の文公は、いつわりて(ごんべんのムズカシイ漢字なのでパスしました)正しからず、斉(せい)の桓公(かんこう)は正しくしていつわらず」〈論語・憲問〉

 意味としては、「晋の文公は偽って正しくないが、斉の桓公は正しくて偽らなかった」というのです。

 岩波文庫の解説では、「両者の道義性に優劣をつけたとみるのがふつうであるが、徂徠は軍隊の正攻と奇襲の違いだという。」とありました。

 ああ、これだけでは何もわかりませんね。

 私の桓公さんのイメージは、何だかズルイ人というイメージです。一度国外に出て、チャンスをねらい、ここぞとばかりに帰国して、一気にトップを奪った人ですし、その後も着実に人材を得て、国力を上げた人だと思われます。人をわりと素直に募集して、以前敵陣営にいた人物の管仲(かんちゅう)さんであっても、国の運営に役に立つということであれば、あっさり採用したり、周辺諸国に的確にプレッシャーを与え、春秋時代を切り開いた新しい形の王様でした。

 そういう王様がいたので、斉という国には、晏子(あんし)さんのような、世の中を読み、未来への布石が打てる名宰相が出ました。やがて戦国時代のころには、斉の国は、家老が王となり、全く違う国になったりしますが、ナンバー2がものをいう政治システムができあがっていったのかもしれません。

 ですから、人材登用には素直で、周辺諸国をグイグイ攻め立てた王様です。王の中の王です。侵略と政略を駆使した人だと思われます。王様はこれくらいギラギラしてなきゃダメだと思います。

 一方、晋の文公さんは、王様になるまで苦労して、孔子さんよりも長い19年の放浪生活を過ごします。王様になる可能性は低く、亡国のプリンスみたいな感じで、あてもなく各地をさまよっていたでしょう。

 そして、ことばにウソがあったのかどうかわかりませんが、いつも先の読めない状況で、正統派の王様ではありません。国の位置が微妙なところにあり、東西南北に優しくしたり、攻めていったり、何だか何がしたいのかわからないままで終わってしまいました。

 あまりギラギラした王様ではありません。どっちつかずの王とも言えるでしょう。人民としてはわかりやすい王の方がいいということなのかもしれません。いや、そんな意味でおっしゃられているのではない気がします。

 戦争のスタイルのことを言われたのか、王としてのあり方を言われたのか、歴史認識として言われたのか、よくわかりません。でも、国の位置もありますが、晋という国は長持ちはしなくて、やがて国は三分割され、お隣の強国の秦にすぐさま滅ぼされてしまいます。

 どんなに立派な王様であったのかもしれないけれど、国がやがて消滅してしまうわけですから、国家建設としては長持ちする国をつくれませんでした。だから、評価が低いのかなあ。

 あと少し、晋の国を取り上げたら、次は楚の国に行き、東の呉越に行こうと思います。どうぞ、よろしくお願いします。


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