私の理想は、兼好法師さんです。できたら「あやしうこそものぐるほしけれ」なんて言ってみたいんですが、私にはそんなことは言えなくて、せいぜい「みなさん、ご存じだと思います」くらいしか言えません。
ということで、軽井沢のバス事故。とても悲惨な事故で、将来のある若者たちの命が奪われ、国会で論議を呼び、バス会社の監督・監視がきびしくなるかもしれません。でも、それは一時のことで、やがて元の木阿弥となるでしょう。何しろそれが社会の趨勢(すうせい)なのですから。
私の住んでる三重県のとある地方、以前にバス会社はただ1つ、栄光の「三重交通」さんだけでした。それくらい巨大な存在でした。
それが規制緩和やら何やらで、ほんの二十万そこらの人たちしか市場はないのに(もっと人口は少ないかもしれません)、バス会社が5つかそれ以上生まれたそうです。つい最近というのか、21世紀の何でもありの、弱肉強食の時代になってからでしょう。
バス会社は、いつの間にかランキングができています。バスを一台借りようかとなると、トップの三重交通さんなら十万円程度くらい(距離やら高速代で変わると思われますが)。次のランクは8万円、その次は5万円、最低は3万円と、ピンからキリまであるようです。
どうしてそんなことができるのかというと、多少の安全には目をつぶり、高齢でも何でもいいから、運転手を用意し、それこそ睡眠時間をけずってでも、低賃金で働かせる。そういう人たちを酷使して、低料金を生み出している。ですから、以前安いバス会社のバスに乗せてもらったら、行く先はわからない。カーナビはいい加減。乗ってる方も一緒に協力して目的地まで行くという大変な作業を強いられたことがありました。それくらい運転手さんはにわかづくりで、プロ意識はなかった。
こうしたバスに、これからも私たちは時には乗らなきゃいけないこともあるでしょう。「バスをチャーターしますから、どうぞお越しください。移動のお金はかかりません」という甘い言葉を聞かせられるはずですが、ぜひそういうお誘いは断っていかなくてはと思います。そのバスの運転手さんたちは酷使されている人たちで、バスに乗ってしまったら、私たちがその酷使を認めることになるわけですから。
「運転手さんの生活がかかっているんだから、バスにのってやれ! その人たちを助けることになるんだぞ!」という声も聞こえるかもしれないけれど、みんなが運転手さんを助けるような気分で乗るけれど、それは私たちがブラック企業、ブラック労働を支えていることになるのです。
今はたまたまそんな悠長なことを言ってますが、やがては、私もどこかでブラック労働をさせられるかもしれない。今はそうした人の酷使によって社会の一部が成り立っているような気がします。
「どうせブラックな世の中なんだから、みんなでボロボロになればいいんだよ!」とは私は言いません。やはり働くなら、適当に休憩して、適当なお金をいただいて、少ないお金で何とか暮らしていきたいと思います。
どうかな。そんなこと言ってられるかな。それは今後の努力次第だけど、少なくともそうしたブラック労働を認めてはいけない気がする。
「どうです。お安くしときますよ」という悪魔の声は、聞こえても知らんぷりをして、ある程度のお金を払っていくようになりたい。そして、ムチャクチャ安いモノには必ずウラがあるわけだから、そうしたウラに関わらない。ウラの流れを認めない形で生きていこうと思います。
たぶん、今後もウラの流れは続くでしょう。弱い立場の人が、さらに酷使され、低賃金でキューキューにさせられる社会はつづくのです。だから、自分のことは自分で守るしかないようです。もちろん、政府や自治体は守ってくれない。自分のことは自分で! これが原則の世の中です。
だから、自分のことだけをカメのように守ろうとは思いません。それでは政府や為政者の思うつぼです。個人個人を孤立化させ、情報操作もして、扱いやすい人材と社会を作ることが偉いさんたちのねらうところです。私たちはもっと世の中のからくりをみんなと話し合わなくてはいけないのです。
何が言いたいのかというと、安い品物・安いサービスにはからくりがあるのです。それを承知でそこに乗らなくてはならないのです。そのウラには犠牲者がいて、実際に事故やら事件は今後も続くのです。
だから、安いモノには手を出さない。それを買う人たちがいるからブラックなモノは消えない。
「ここ壱番屋のカツが安い値段で買えるのはいいことじゃないの!」と思ったら、それは廃棄物の転用なわけです。安いバスツアーだなと思ったら、それは運転手その他の人が低賃金で働かされているから、そうしたツアーが成り立つのです。そういう安いモノに手を出せば、さらに安いモノは新しい安いモノを生み出すことでしょう。かくしてブラック産業が繁栄していくのです。
今回のバス事故、それは私たちが求めて生み出したものでした。今後も続きます。廃棄物の転用事件、これも私たちが喜んで飛びつくために、廃棄物業者の欲望が生み出しました。業者が悪いのは確かですが、それを助けたのは私たちでした。
私たちは、みんなでよってたかって安いモノを要求し、だれかに犠牲を強いている。昔日本が繁栄していたときも、環境やらよその国やらに迷惑をかけたことでしょう。今、罪滅ぼしをしつつ商売を企んでいる国のトップもいるようですが、素直に自分たちの過去の過ちを認めればいいのに、それは罪だとかなんとか言われると、プライドが「スミマセン」を消してしまうんでしょうね。
ああ、もうイヤになっちゃう。「奥さんがちょっと働きに出て月に25万、私が働いて50万」、これをごく控えめに言った比喩だと思われますが、まあ、これくらいの収入で庶民感覚を話してやろうという人たちの感覚、ああ、それが困ってしまいますね。
もうあの人たちは仕方ありません。とにかく、私はこれから、たくさんのプラック企業を太らせるためのワナにかからないように、慎重に、なるべく人に迷惑を掛けないように生きていきたいです。さて、それができるかどうか。自立した、自給自足の生活、できないかなあ。
ということで、軽井沢のバス事故。とても悲惨な事故で、将来のある若者たちの命が奪われ、国会で論議を呼び、バス会社の監督・監視がきびしくなるかもしれません。でも、それは一時のことで、やがて元の木阿弥となるでしょう。何しろそれが社会の趨勢(すうせい)なのですから。
私の住んでる三重県のとある地方、以前にバス会社はただ1つ、栄光の「三重交通」さんだけでした。それくらい巨大な存在でした。
それが規制緩和やら何やらで、ほんの二十万そこらの人たちしか市場はないのに(もっと人口は少ないかもしれません)、バス会社が5つかそれ以上生まれたそうです。つい最近というのか、21世紀の何でもありの、弱肉強食の時代になってからでしょう。
バス会社は、いつの間にかランキングができています。バスを一台借りようかとなると、トップの三重交通さんなら十万円程度くらい(距離やら高速代で変わると思われますが)。次のランクは8万円、その次は5万円、最低は3万円と、ピンからキリまであるようです。
どうしてそんなことができるのかというと、多少の安全には目をつぶり、高齢でも何でもいいから、運転手を用意し、それこそ睡眠時間をけずってでも、低賃金で働かせる。そういう人たちを酷使して、低料金を生み出している。ですから、以前安いバス会社のバスに乗せてもらったら、行く先はわからない。カーナビはいい加減。乗ってる方も一緒に協力して目的地まで行くという大変な作業を強いられたことがありました。それくらい運転手さんはにわかづくりで、プロ意識はなかった。
こうしたバスに、これからも私たちは時には乗らなきゃいけないこともあるでしょう。「バスをチャーターしますから、どうぞお越しください。移動のお金はかかりません」という甘い言葉を聞かせられるはずですが、ぜひそういうお誘いは断っていかなくてはと思います。そのバスの運転手さんたちは酷使されている人たちで、バスに乗ってしまったら、私たちがその酷使を認めることになるわけですから。
「運転手さんの生活がかかっているんだから、バスにのってやれ! その人たちを助けることになるんだぞ!」という声も聞こえるかもしれないけれど、みんなが運転手さんを助けるような気分で乗るけれど、それは私たちがブラック企業、ブラック労働を支えていることになるのです。
今はたまたまそんな悠長なことを言ってますが、やがては、私もどこかでブラック労働をさせられるかもしれない。今はそうした人の酷使によって社会の一部が成り立っているような気がします。
「どうせブラックな世の中なんだから、みんなでボロボロになればいいんだよ!」とは私は言いません。やはり働くなら、適当に休憩して、適当なお金をいただいて、少ないお金で何とか暮らしていきたいと思います。
どうかな。そんなこと言ってられるかな。それは今後の努力次第だけど、少なくともそうしたブラック労働を認めてはいけない気がする。
「どうです。お安くしときますよ」という悪魔の声は、聞こえても知らんぷりをして、ある程度のお金を払っていくようになりたい。そして、ムチャクチャ安いモノには必ずウラがあるわけだから、そうしたウラに関わらない。ウラの流れを認めない形で生きていこうと思います。
たぶん、今後もウラの流れは続くでしょう。弱い立場の人が、さらに酷使され、低賃金でキューキューにさせられる社会はつづくのです。だから、自分のことは自分で守るしかないようです。もちろん、政府や自治体は守ってくれない。自分のことは自分で! これが原則の世の中です。
だから、自分のことだけをカメのように守ろうとは思いません。それでは政府や為政者の思うつぼです。個人個人を孤立化させ、情報操作もして、扱いやすい人材と社会を作ることが偉いさんたちのねらうところです。私たちはもっと世の中のからくりをみんなと話し合わなくてはいけないのです。
何が言いたいのかというと、安い品物・安いサービスにはからくりがあるのです。それを承知でそこに乗らなくてはならないのです。そのウラには犠牲者がいて、実際に事故やら事件は今後も続くのです。
だから、安いモノには手を出さない。それを買う人たちがいるからブラックなモノは消えない。
「ここ壱番屋のカツが安い値段で買えるのはいいことじゃないの!」と思ったら、それは廃棄物の転用なわけです。安いバスツアーだなと思ったら、それは運転手その他の人が低賃金で働かされているから、そうしたツアーが成り立つのです。そういう安いモノに手を出せば、さらに安いモノは新しい安いモノを生み出すことでしょう。かくしてブラック産業が繁栄していくのです。
今回のバス事故、それは私たちが求めて生み出したものでした。今後も続きます。廃棄物の転用事件、これも私たちが喜んで飛びつくために、廃棄物業者の欲望が生み出しました。業者が悪いのは確かですが、それを助けたのは私たちでした。
私たちは、みんなでよってたかって安いモノを要求し、だれかに犠牲を強いている。昔日本が繁栄していたときも、環境やらよその国やらに迷惑をかけたことでしょう。今、罪滅ぼしをしつつ商売を企んでいる国のトップもいるようですが、素直に自分たちの過去の過ちを認めればいいのに、それは罪だとかなんとか言われると、プライドが「スミマセン」を消してしまうんでしょうね。
ああ、もうイヤになっちゃう。「奥さんがちょっと働きに出て月に25万、私が働いて50万」、これをごく控えめに言った比喩だと思われますが、まあ、これくらいの収入で庶民感覚を話してやろうという人たちの感覚、ああ、それが困ってしまいますね。
もうあの人たちは仕方ありません。とにかく、私はこれから、たくさんのプラック企業を太らせるためのワナにかからないように、慎重に、なるべく人に迷惑を掛けないように生きていきたいです。さて、それができるかどうか。自立した、自給自足の生活、できないかなあ。