(余市のニッカの工場見学ができなくて、仕方がないから、余市の海岸まで歩いてみました。10月で、それなりに寒いけど、サーファーのみなさんがたくさんいました。頑張ってるなあ、という感じでした!) 今朝早く出て行って、夕方帰って来たオオサカ日帰りの旅でした。360kmほどを半日かけて往復してきました。オッチャンなのに、何だかハードでしたね。 実家には三時間ほどいて、お昼を食べてすぐ帰ってきました。お昼は . . . 本文を読む
たぶん、日曜だったと思うんですが、違うかもしれないけど、とにかく、NHKのFMで「名演奏家ライブラリー」という番組をたまたま聞く機会がありました。途中から聞きましたが、たぶん、聞いたことがある曲でした。曲を耳で追いかけられそうでした。たぶん、後半の盛り上がりのところくらいでした。 ベートーベンだろう、なんて思いました。でも、私の知ってるベートーベンは五番から七番までで、たぶん、五番なんだろうと聞 . . . 本文を読む
人として生まれてきたからには、いろんな人に出会わなきゃダメだと思っていました。 今、くたびれたオッサンになってしまって、誰かに声をかけることはものすごくハードルが高くなっています。 うちの奥さんにでさえ、向こうが気づかなければ、いつ声をかけよう、このまま知らんぷりしてついて行こうか、それとも出会ったふりするか。彼女が不安でいるのか、何かに集中しているのか、そんなこともわからなくて、自分のペースで . . . 本文を読む
波はバカにできないものだけど、岩盤が強かったら、簡単には崩されません。そんなの当たり前です。 さて、波の上に「安単浅」という文字を書きました。これが今日、家に帰って来た思ったことでした。 子どもを三人育てたら、大学の授業料を払うよ。ただし、今まで支給してた児童手当とか、みんなに渡ってたものは根こそぎ削るよ。なんていうアイデア、誰が考えたんだろう。浅はかだし、見え見えだし、実質増税はするけど、子宝 . . . 本文を読む
くるるまで見るとも。あくよあるまじうこそ。また雲ゐ桜といふもあり。後醍醐のみかどの。この花を御覧じて。新葉集 こゝにても雲ゐのさくら咲きにけり。たゞかりそめの宿とおもふに。とよませ給ひしも。 世々をへてむかひの山の花の名にのこるくもゐのあとはふりにき。 (満開の吉野のサクラは)日が暮れるまで見たとしても、飽きることはないでしょう。雲居のサクラという、帝さまたちのいらっしゃった所のサクラという . . . 本文を読む
電車に乗りたかった。今日はたまたま乗れなかった。チャンスはあっただろうけど、家でモタモタしているあいだに、どうでもよくなってしまった。 それよりも、家でボンヤリしていると、そのうち夕方になるんだった。今日は少しだけ夕方が忙しくて、真っ暗になってもクルマの運転をしていた。日曜の夕方、冬の晴れた日、夕焼けは見なかった。知らない間に夜になっていた。 いっぺんに日が落ちたんだろう。もう秋ではないから、「 . . . 本文を読む
「タンポポのあけくれ」という本を買った、というのは何日か前に書きました。まだ少ししか読んでいないけど、少しだけ引用させてもらおうと思います。 タンポポは、綿毛で遠くまで飛んで行って、そこで根をおろすから、いろんなところに少しずつ広がっていく、タンポポ書店も、少しずつあちらこちらで新しく住むところを見つけていくのだ、などの意味を込めて、つけられた店の名前でしたね。 そして、著者の千歳(ちとせ)さん . . . 本文を読む
光をとらえたいと、生意気に思っています。そんなことを考えるよりも、最近の朝の光を何とかしなきゃなあ。全く信号が見られなくて、赤なのか、青なのかわかりません。 今日はたまたま露は降りてこなかったけれど、ここ何日かは窓はまるで役に立たないくらいで、右折や左折する時には窓を開けて確認しなくてはならないくらいでした。日曜から黄砂が飛ぶとかいう話だけど、すでに昨日おとといくらいからもう黄砂は飛んでいるよう . . . 本文を読む
日本の政治の流れを示す言葉として「中道」というのがありますが、「極端に走らず、穏当なこと」(新明解・六版)とか、岩波もだいたい同じ。「一方にかたよらない中正なゆき方」(現代国語例解・小学館 1985)など、どっちつかずの、ほどほどの身の処し方、という意味があるようです。漢和辞典によりますと、『孟子』にはそういう意味で使われたことばがあるようですが、『論語』には見つかりません。 でも、おもしろいお . . . 本文を読む
私たちは、ことばを使って日々の生活をしています。でも、私はなるべく省エネで、アウンで、目で合図して、ウンとかスンとか、あまりしゃべってないじゃないの? ハイ、反省します。でも、ちゃんと意味のあることばを話しているつもりなんだけど、どうかな? さて、テレビでも、なるべく意味のある、心のこもった、誰かのことにちゃんと配慮していることばを聞きたいんだけど、もうどんな言葉も意味を持たなくなっています。 . . . 本文を読む
『論語』の最後の方に、突然いろんな伝説の王様たちのことばが採録されている章段があります。改めて確認しておこう、みたいな意図があったのでしょうか。 何人も出てきますが、ひとりの王様だけ取り上げます。 古代の伝説の王様の堯さんが、次の王様に選出した舜さんに言います。「まことにその中を執(と)れ。四海困窮(しかいこんきゅう)。天禄(てんろく)永く終えん。」〈堯曰〉 君は今こそ王様になるべき時が来ました . . . 本文を読む
1963年から2004年まで、高知にタンポポ書店というのがあったそうです。そのお店のご夫婦は、ダンナさんが亡くなられ、奥さんが引き続きお店をされてたそうですが、店を閉じたあとの2008年に亡くなられています。 実店舗を閉じられたころに、今までのことをふり返った本が出ていて、2004年に『古本屋タンポポのあけくれ』というカタチで出ています。奥さまのお名前は片岡千歳(かたおかちとせ)さんという方で、 . . . 本文を読む
ついさっきまでTBSドラマの「下剋上球児」というのを見ていました。今日が第8話だったそうです。ということは、日曜の夜、21時からテレビの前に行き、黙々とテレビを見て、もう2ヶ月近くがたったということでした。 奇跡的なことです。グータラでなまけもの、根気なしの私なのに、よくもまあ、8回も見ましたね。あとしばらくでドラマは終わるようです。 そう、こんな私がどうして、テレビのドラマを見ているのか、三重 . . . 本文を読む
昔、高校野球の帝京高校の芝草投手というピッチャーがいました。プロではファイターズに入ったんでしたっけ? お名前は、「宇宙」と書いて「ひろし」と読むんでしたね。わりと衝撃的でした。こんなことができるんだ、と驚いていたはずです。 当て字としては面白いけど、世の中はこんな風に自由に字を当て、好きなように読ませてよくなったのかなと意識改革を迫られたようでした。何年くらい前の人だったかな? かなり昔ですね . . . 本文を読む
今年の夏、三岸節子美術館に行きました。愛知県の一宮市にあって、すぐ近くに木曽川が流れていました。何となくはわかっていたけれど、たしかに愛知県は岐阜県と川を隔てて一緒にある感じでしたね。 接する長さがかなりあるから、愛知県と岐阜県は影響し合っている感じがします。名古屋駅から十数分で県庁所在地の岐阜の町についてしまうし、共同の世界を作っているでしょう。三重県は、桑名という町だけが名古屋に触れていて、 . . . 本文を読む