私たちは、ことばを使って日々の生活をしています。でも、私はなるべく省エネで、アウンで、目で合図して、ウンとかスンとか、あまりしゃべってないじゃないの?
ハイ、反省します。でも、ちゃんと意味のあることばを話しているつもりなんだけど、どうかな?
さて、テレビでも、なるべく意味のある、心のこもった、誰かのことにちゃんと配慮していることばを聞きたいんだけど、もうどんな言葉も意味を持たなくなっています。
停戦する、というのはウソだった。まやかしだった。あそこに逃げたら大丈夫というビラを配り、そこに人々が集まってきたら、そちらを爆撃している。別にあそこの軍や政治家がウソつきなのではなくて、どいつもこいつも、責任ある人たちというのは、ウソばかり言うようになってしまいました。
たまに、「ああ、この人のことばは聞いていられる。安心だ」と思える人もいるかもしれないけど、たいていは信用できません。
責任ある人たちのことばが信用できないのだから、頼れるものはもう自分のまわりの人たちしかいません。せめて、そういう人たちとはウソのない、正直な付き合いをしていきたいと思います。
その時に、自らのだらしなさは問題だけど、なるべくまわりの人への配慮と行動で、まわりの人に安心してもらえるようにしたいのです。
ロボットみたいな答弁は要らない。仲間の誰かのズルしているのを隠すことばは要らない。正直に、自分たちの歴史を、見直し、当然のコメントができるようになりたい。強気の答弁も要らない。もっと現実を見て、自分たちのやれることを着実にやれる、そういう身の程を知る人間でありたい。
ことばに心を込めたい。誰かを安心させられることばの使い手になりたい。
ああ、自分の利益なんていらない。食えるだけでいい。それよりも、世界の人々から今すぐ戦争をなくしたい。でも、私にはできないです。もう祈るしかないのかな。祈りましょう。寝る前にも、たくさんの命を考えて眠りたいと思います。