今年の夏、三岸節子美術館に行きました。愛知県の一宮市にあって、すぐ近くに木曽川が流れていました。何となくはわかっていたけれど、たしかに愛知県は岐阜県と川を隔てて一緒にある感じでしたね。
接する長さがかなりあるから、愛知県と岐阜県は影響し合っている感じがします。名古屋駅から十数分で県庁所在地の岐阜の町についてしまうし、共同の世界を作っているでしょう。三重県は、桑名という町だけが名古屋に触れていて、ここから名古屋までは巨大な川を三つと、その他にもいつくもの川を越えなくてはならなくて、桑名まではなんとか名古屋圏だろうけど、そこから南はもう名古屋圏ではなくなりそうな雰囲気です。
四日市の人たちは、名古屋の空気を吸っているのかなあ。私のとこあたりでは、うわさに聞いたり、名古屋ナンバーの車を見る時もありますけど、ほとんど関係がない感じです。
節子さんは、そうした地域のお金持ちのお嬢さんだったから、東京で絵の勉強をさせてもらえたようです。そして、三岸好太郎という人と出会い、結婚してしまいます。
1923年あたりの、関東が大変だった時に結婚したとして、果たしてご夫婦はどんな風に暮らしていたのか、二人の記録みたいなのを教えてくれるものはあるんでしょうか。
節子さんの作品を見せてもらいましたけど、これだというのはわかりませんでした。割と情熱あふれる絵を描いていた気がしたんだけど、適当な画像を借りてくることもしていませんでした。
夫の好太郎さんは、1903~34という、短い人生で、早く亡くなってしまっています。節子さんは、夫亡き後もずっと絵を描き続け、息子さんも画家になったというし、長いキャリアがありました。
好太郎さんは、北海道出身の人でした。本籍は、石狩湾沿いの厚田村というところだったそうです。けれども、好太郎さんのお母さんは再婚されていて、好太郎さん自身は札幌の生まれなのだそうです。
この秋にも、できれば、北海道立三岸好太郎美術館も訪ねたいなと思っていました。それが私の旅のはずでしたが、札幌はそれはもう人がたくさんで、すぐにスルーして小樽の方へ行ってしまったから、美術館には行けなかったんでしたね。札幌でお泊りするところも見つけられなかったんだった。縁がなかったのか、今度もう一度行ってみろ、ということなのか。
小樽に向かう電車の中で、司馬遼太郎さんの『街道をゆく 北海道の諸道』というのを読んでました。司馬さんの旅と、自分の移動とをリンクさせたい気持ちもあったんでしょう。でも、私のことですから、降りた町をフラつくだけで、ちっとも町を深堀することなんて、できてなかったけれど、気分だけは司馬遼太郎さんでした。
好太郎は、不遇の人ではなかった。かれは札幌一中のころにすでに公募展(大正九年)に入選し、中学を卒えて上京すると、極貧のなかで絵を描き、春陽会展につぎつぎに入選して五年目の二十三歳のときには無鑑査になるという異常さだった。十八歳で東京へ出るや、ほどなく天才の評判を得たという画家は、明治以来ないのではないか。
確かに、三岸好太郎さんは、絵を描いたら、どんどん迎え入れられるくらいに、人々から注目される何かを持っていたようです。
ただ放縦な生活によって健康を食いつぶし、東京へ出てから十三年後に名古屋の宿で胃潰瘍が悪化し、大吐血と心不全で急死してしまった。その才能の成熟を待たずに死んだというのは、画集をながめていて、若描きの作品にいちいち感心するよりも、惜しさのほうが先だってしまう。
この早熟の人は、結婚も早かった。かれの十九歳(大正十一年)のとき、女子美の生徒だった吉田節子と知り合い、二十一歳で結婚するのである。節子は、以後、三岸節子として絵を描く。
画家が共同生活(結婚)をして、二人それぞれに創作活動を続ける、というのは簡単なことではなかったと思うんだけど、どうだったんだろう。
「好太郎の家の貧乏なのにおどろきました」
と、節子さんが、昭和三十二年ごろ、大阪で語ってくださったことがある。
司馬さんは、産経新聞の文化担当だった時もあるから、その時に取材したりしたんでしよう。もう好太郎さんが亡くなって30年ほどが経過しているし、節子さんもそれなりの年齢というか、画家として大きな存在になってたんでしょうね。
と、節子さんが、昭和三十二年ごろ、大阪で語ってくださったことがある。
司馬さんは、産経新聞の文化担当だった時もあるから、その時に取材したりしたんでしよう。もう好太郎さんが亡くなって30年ほどが経過しているし、節子さんもそれなりの年齢というか、画家として大きな存在になってたんでしょうね。
あれ、どうして突然に三岸ご夫婦のことを書いているんだろう。実は、司馬さんが、朝日新聞の記者さんとか、挿し絵の須田画伯とか、みなさんで札幌に滞在されていたのに、突然単独行動に出たそうで、その時のことが書かれてたからでした。そもそもこの厚田村って、どうしてそこに行かなきゃいけなかったんだろう。