[3月6日10:30.天候:曇 東京都台東区駒形 都営地下鉄浅草駅→台東区花川戸 東武鉄道浅草駅]
〔2番線の電車は、普通、印旛日本医大行きです。あさくさ~、浅草~〕
私達を乗せた都営地下鉄電車が浅草駅に到着する。
コロナ禍でなければ、もっと観光客などで賑わう駅なのだろうが、今は普通の週末といった感じ。
都内だから賑わっているというだけであって、浅草だから賑わっているという感じはしない。
ほら、何となく分かるだろう?
関西でも、例えば京都市は大都市だから賑わっているが、その中で特に観光地最寄りの駅はそれだからこその賑わいというのがある。
しかし、そういうのが無い。
ただ単に人口が多いからその分、駅の人も多いだけといった感じ。
今の浅草駅はそんな感じだった。
そう思うのは観光客が少なく、地元民の方が多いからだろう。
そういう私達だって、都内脱出組だ。
しかも、これから観光地に行こうってわけではない。
カーブの途中にあるホームに降り立つと、東武浅草駅に向かった。
ただ、都営地下鉄の浅草駅は東武浅草駅からは若干離れている。
東京メトロ銀座線を挟んで北側に東武浅草駅が存在し、南側に都営地下鉄浅草駅があるといった感じ。
TX浅草駅は【お察しください】。
愛原:「雨が降って無くて良かったな。ここ最近、天気が悪い日とかあったから」
高橋:「そうっスね。傘差すのが面倒っスね」
そんなことを話しながら、浅草松屋の中にある東武浅草駅に向かう。
元々は三越や高島屋辺りを誘致したかったらしいが実現せず、松屋が入居することになり、今に至る(もしも三越の入居が実現したら、東京メトロ浅草線の三越前駅、日本橋駅、そして浅草駅を制覇したことになっただろうに……)。
愛原:「さあ、着いた。松屋」
高橋:「先生、デパートに買い物に来たんじゃないっスよ」
愛原:「分かってる。あくまでも東武浅草駅は松屋の3階に入居しているという体なんだ」
リニューアル前までは普通のビルの外観といった感じだったが、リニューアル後は昭和初期の開業当時の雰囲気を出している。
アール・デコ建築となり、時計台も復活している。
私が記憶している限り、都内で時計台があるのはこの浅草松屋と銀座の和光ビル、それと新宿NSビルくらいである(但し、こちらはビル内の吹き抜けの中に存在する)。
そんなビルの1階は東武浅草駅の入口でもある。
改札階へ向かうエスカレーターと階段の前に、善場主任と栗原蓮華さんがいた。
善場:「おはようございます」
愛原:「おはようございます」
善場主任は相変わらずのスーツ姿の上にコートを羽織っているが、栗原さんは制服姿だった。
キャリーバッグの中に私服は持って来ているが、これが道着よりもむしろ戦闘服なのだそうだ。
まあ、剣道着は竹刀を使うだろうが、BOW相手には真剣を使うからな。
ぶっちゃけ、剣道着よりも動き易いだろう。
善場:「自動改札機を通るので、キップは1人ずつ持ちましょう」
愛原:「ありがとうございます」
やはりというべきか、私と高橋とリサで一塊になるように指定されていた。
善場:「それでは参りましょう」
善場主任の先導で、私達はエスカレーターを昇った。
そしてまずは自動改札口を通って、コンコースに入った。
特急に乗るには、そこから更に特急ホームに入る為、有人改札口を通らなくてはならない。
しかしその前に、その特急改札口の手前左方向に行くと売店がある。
かつては快速や区間快速、臨時列車が発車した5番線に向かう通路上だ。
しかし今は快速や区間快速は廃止され、臨時列車も、あの“スノーパル”や“尾瀬夜行”でさえ5番線を使用しない為、今は富士宮駅の1番線の如く殆ど廃止ホームとなってしまった。
愛原:「すいません。リサが駅弁食べたがって……」
善場:「いいですよ。リサは食べ盛りですからね」
栗原:「え?」
何の疑いも無く駅弁を手に取った栗原さん。
善場:「あ、ごめんなさい。育ち盛りがもう1人いましたね。失礼しました」
もっとも、リサが手にしたのは『すき焼重』であり、栗原さんが手に取ったのは『松花堂弁当』だったが。
私と高橋はのり弁を手にした。
善場主任はロースカツサンド。
愛原:「サンドイッチだけでいいんですか?」
善場:「ええ。私は朝食が遅かったので」
愛原:「そうでしたか」
善場:「あと、他にも飲み物とかを購入しておいた方がいいですよ。今、特急列車の車内販売は全面休止中ですから」
愛原:「それもそうですね」
ジュースくらいならホームの自販機でも購入できる。
何しろ、ここから会津田島まで片道3時間以上の旅だ。
しかも、霧生市はここから更に車で1時間という距離にある。
ぶっちゃけどこに位置する町だ。
係員:「ありがとうございます」
特急改札口にいる女性係員に特急券を見せ、これで晴れて特急列車の乗客となれる。
既に4番線ホームには、3両編成の電車を2台繋いだ6両編成が停車していた。
500系リバティと呼ばれる車両である。
先頭車の1号車が指定されていたが、何しろこの駅は有効長が1番線を除いて6両編成しか無く、その先端部分は大きく湾曲している。
東武浅草駅の名物の1つである。
その為、湾曲している部分は電車の乗降ドアとホームとの間の隙間が半端無く、停車中は渡り板が設置されるほどである。
発車直前には係員達によって、渡り板が外される。
前方車両の駆け込み乗車は、もう1つの意味で命懸けなので非推奨である。
失敗したら線路に転落すること請け合い。
1号車に向かう最中、3番線ホームに15という数字の看板があるが、これは制限速度の標識。
浅草駅を出発した電車は、90度の直角カーブ(本当の直角ではもちろん無いのだが、そう形容しても良いくらい)を曲がることになるので、厳しい速度制限が課せられているのである。
愛原:「えーと……ここだな」
1号車に乗り込み、指定されている座席を見つける。
新型車両ということもあって清潔であり明るく、シートピッチも新幹線の普通車並みに広いのだが、従来の車両にはあった窓下のテーブルが無くなっている。
代わりに背面テーブルが設置されているし、ひじ掛け収納タイプのテーブルも存在する。
向かい合わせにした時に必要な窓下のテーブルが無くなったのは痛いかな。
なので向かい合わせにした私達はひじ掛け下のテーブルと、窓の桟の部分に飲み物や弁当を置き、善場主任と栗原さんは背面テーブルを使用することになる。
愛原:「もう食べるのか、リサ?」
リサ:「うん!」
リサはウーロン茶のペットボトルを開け、駅弁の蓋を開けた。
周りを見ると、栗原さんも駅弁に箸を付けている。
ま、10代は食欲旺盛な方がいい。
元気に育ってほしい。
高橋:「先生はビール買わなかったんスね」
愛原:「まあ、遊びに行くわけじゃないからな」
私はそう言って、緑茶のペットボトルの蓋を開け、駅弁の蓋を開けた。
そして、11時ちょうど発の特急“リバティ会津”117号は、後部に東武日光行きの“リバティけごん”17号を併結して東武浅草駅を定刻通りに発車した。
〔2番線の電車は、普通、印旛日本医大行きです。あさくさ~、浅草~〕
私達を乗せた都営地下鉄電車が浅草駅に到着する。
コロナ禍でなければ、もっと観光客などで賑わう駅なのだろうが、今は普通の週末といった感じ。
都内だから賑わっているというだけであって、浅草だから賑わっているという感じはしない。
ほら、何となく分かるだろう?
関西でも、例えば京都市は大都市だから賑わっているが、その中で特に観光地最寄りの駅はそれだからこその賑わいというのがある。
しかし、そういうのが無い。
ただ単に人口が多いからその分、駅の人も多いだけといった感じ。
今の浅草駅はそんな感じだった。
そう思うのは観光客が少なく、地元民の方が多いからだろう。
そういう私達だって、都内脱出組だ。
しかも、これから観光地に行こうってわけではない。
カーブの途中にあるホームに降り立つと、東武浅草駅に向かった。
ただ、都営地下鉄の浅草駅は東武浅草駅からは若干離れている。
東京メトロ銀座線を挟んで北側に東武浅草駅が存在し、南側に都営地下鉄浅草駅があるといった感じ。
TX浅草駅は【お察しください】。
愛原:「雨が降って無くて良かったな。ここ最近、天気が悪い日とかあったから」
高橋:「そうっスね。傘差すのが面倒っスね」
そんなことを話しながら、浅草松屋の中にある東武浅草駅に向かう。
元々は三越や高島屋辺りを誘致したかったらしいが実現せず、松屋が入居することになり、今に至る(もしも三越の入居が実現したら、東京メトロ浅草線の三越前駅、日本橋駅、そして浅草駅を制覇したことになっただろうに……)。
愛原:「さあ、着いた。松屋」
高橋:「先生、デパートに買い物に来たんじゃないっスよ」
愛原:「分かってる。あくまでも東武浅草駅は松屋の3階に入居しているという体なんだ」
リニューアル前までは普通のビルの外観といった感じだったが、リニューアル後は昭和初期の開業当時の雰囲気を出している。
アール・デコ建築となり、時計台も復活している。
私が記憶している限り、都内で時計台があるのはこの浅草松屋と銀座の和光ビル、それと新宿NSビルくらいである(但し、こちらはビル内の吹き抜けの中に存在する)。
そんなビルの1階は東武浅草駅の入口でもある。
改札階へ向かうエスカレーターと階段の前に、善場主任と栗原蓮華さんがいた。
善場:「おはようございます」
愛原:「おはようございます」
善場主任は相変わらずのスーツ姿の上にコートを羽織っているが、栗原さんは制服姿だった。
キャリーバッグの中に私服は持って来ているが、これが道着よりもむしろ戦闘服なのだそうだ。
まあ、剣道着は竹刀を使うだろうが、BOW相手には真剣を使うからな。
ぶっちゃけ、剣道着よりも動き易いだろう。
善場:「自動改札機を通るので、キップは1人ずつ持ちましょう」
愛原:「ありがとうございます」
やはりというべきか、私と高橋とリサで一塊になるように指定されていた。
善場:「それでは参りましょう」
善場主任の先導で、私達はエスカレーターを昇った。
そしてまずは自動改札口を通って、コンコースに入った。
特急に乗るには、そこから更に特急ホームに入る為、有人改札口を通らなくてはならない。
しかしその前に、その特急改札口の手前左方向に行くと売店がある。
かつては快速や区間快速、臨時列車が発車した5番線に向かう通路上だ。
しかし今は快速や区間快速は廃止され、臨時列車も、あの“スノーパル”や“尾瀬夜行”でさえ5番線を使用しない為、今は
愛原:「すいません。リサが駅弁食べたがって……」
善場:「いいですよ。リサは食べ盛りですからね」
栗原:「え?」
何の疑いも無く駅弁を手に取った栗原さん。
善場:「あ、ごめんなさい。育ち盛りがもう1人いましたね。失礼しました」
もっとも、リサが手にしたのは『すき焼重』であり、栗原さんが手に取ったのは『松花堂弁当』だったが。
私と高橋はのり弁を手にした。
善場主任はロースカツサンド。
愛原:「サンドイッチだけでいいんですか?」
善場:「ええ。私は朝食が遅かったので」
愛原:「そうでしたか」
善場:「あと、他にも飲み物とかを購入しておいた方がいいですよ。今、特急列車の車内販売は全面休止中ですから」
愛原:「それもそうですね」
ジュースくらいならホームの自販機でも購入できる。
何しろ、ここから会津田島まで片道3時間以上の旅だ。
しかも、霧生市はここから更に車で1時間という距離にある。
係員:「ありがとうございます」
特急改札口にいる女性係員に特急券を見せ、これで晴れて特急列車の乗客となれる。
既に4番線ホームには、3両編成の電車を2台繋いだ6両編成が停車していた。
500系リバティと呼ばれる車両である。
先頭車の1号車が指定されていたが、何しろこの駅は有効長が1番線を除いて6両編成しか無く、その先端部分は大きく湾曲している。
東武浅草駅の名物の1つである。
その為、湾曲している部分は電車の乗降ドアとホームとの間の隙間が半端無く、停車中は渡り板が設置されるほどである。
発車直前には係員達によって、渡り板が外される。
前方車両の駆け込み乗車は、もう1つの意味で命懸けなので非推奨である。
失敗したら線路に転落すること請け合い。
1号車に向かう最中、3番線ホームに15という数字の看板があるが、これは制限速度の標識。
浅草駅を出発した電車は、90度の直角カーブ(本当の直角ではもちろん無いのだが、そう形容しても良いくらい)を曲がることになるので、厳しい速度制限が課せられているのである。
愛原:「えーと……ここだな」
1号車に乗り込み、指定されている座席を見つける。
新型車両ということもあって清潔であり明るく、シートピッチも新幹線の普通車並みに広いのだが、従来の車両にはあった窓下のテーブルが無くなっている。
代わりに背面テーブルが設置されているし、ひじ掛け収納タイプのテーブルも存在する。
向かい合わせにした時に必要な窓下のテーブルが無くなったのは痛いかな。
なので向かい合わせにした私達はひじ掛け下のテーブルと、窓の桟の部分に飲み物や弁当を置き、善場主任と栗原さんは背面テーブルを使用することになる。
愛原:「もう食べるのか、リサ?」
リサ:「うん!」
リサはウーロン茶のペットボトルを開け、駅弁の蓋を開けた。
周りを見ると、栗原さんも駅弁に箸を付けている。
ま、10代は食欲旺盛な方がいい。
元気に育ってほしい。
高橋:「先生はビール買わなかったんスね」
愛原:「まあ、遊びに行くわけじゃないからな」
私はそう言って、緑茶のペットボトルの蓋を開け、駅弁の蓋を開けた。
そして、11時ちょうど発の特急“リバティ会津”117号は、後部に東武日光行きの“リバティけごん”17号を併結して東武浅草駅を定刻通りに発車した。