今、山本兼一さんの小説、『いっしん虎徹』を読んでいます。
今回は少し時間がかかってます。(笑)
江戸時代の刀鍛冶 長曽祢興里(ながそね おきさと)のお話。元は越前で甲冑鍛冶であったが、自分の甲冑・兜を断ち切る刀を打ちたくなって、出雲のたたらに鉄を勉強に行ったり、江戸に出て、修行していったり。。。。
でも実は『この人誰なんだろう?いきなり刀の鍛冶で江戸の平時(1660年ごろ)のと言われても・・・・周りも含めて「誰だよ、この人!」って思っちゃうよな』と余り読み進められなかった。
ただ鉄(かね)への執着が人並み外れていて、初めて打った刀は研ぎ師から「災難が寄ってくる」、その主からは「張り切った刀」と評され、鉄(かね)が鍛えすぎて、冷えた夜に飾っておいた枕元で張り詰めていた刀の切っ先が折れて弾け飛んでしまう。
二本目は、自信を持って試し切りに持っていくも、試刀家の加右衛門から「この刀は怒っている。」「切るまでもない。この刀は簡単に折れる。お前は鉄(かね)殺してしまった・・・」と散々に言われ、それでも懇願し試し切りをしてもらうのだが、命を掛けろと言われてしまう。
自分の刀を構え、ライバルの先代、康継2代目の刀で打ちかかってくる。自分の刀が負ければ首が飛ぶ。その位置を狙われず、加右衛門の刀は、興里の刀の切っ先を弾き飛ばし、興里(おきさと)の髷(まげ)を切り裂いた。
後日、「その首を捧げに来い」と言われ、死を覚悟する興里。
そこで康継三代目のにっくき賤しい刀で首を落とされると知って、興里は涙をあふれさす。
そこにいた公方の叔父である僧侶の圭海に「お前の兜を見た。わしの目に適う刀を打つというのならその命、助けよう。」「刀は魂の拠り所。益荒男(ますらお)の矜持(きょうじ)である。今の武士には今の武士の刀が必要だ。正宗、行光、青江のようないにしえの鍛冶に出来た品格と潤いを持った刀を打て」と、そして興里は「思い上がりを恥じ、一度はあきらめた命、入道させてほしい」と頼む。そして、一心日躰居士 虎徹という法名をもらう。
ここまでを読んだ。
100ページくらいまでは出雲のたたらで鉄(かね)を学び、トラブルに巻き込まれ、という興里を読んでいても、『もののけ姫みたいだな』という程度だったかな。。。
この後の、興里の”刀を打ち、鍛え始めて、弟子を鍛え、一心不乱に鉄(かね)を求め、刀に執念を燃やす姿”でギアが入りました。
火天の城でも書いたが、この山本兼一氏、職人の仕事を書かせたら、素晴らしい言葉でその技と出来映えを評していく。
千利休を読んだときは茶器が欲しくなり茶室に憧れた。懐石というものの神髄に触れた気がした。(もちろん錯覚)
いっしん虎徹を読み終わった後は日本刀が欲しくなる。。。。のだろうか。。。(笑)
多分、そんな気分にさせてくれる(はずの)小説家、山本兼一氏、あっぱれでございます。
mac
今回は少し時間がかかってます。(笑)
江戸時代の刀鍛冶 長曽祢興里(ながそね おきさと)のお話。元は越前で甲冑鍛冶であったが、自分の甲冑・兜を断ち切る刀を打ちたくなって、出雲のたたらに鉄を勉強に行ったり、江戸に出て、修行していったり。。。。
でも実は『この人誰なんだろう?いきなり刀の鍛冶で江戸の平時(1660年ごろ)のと言われても・・・・周りも含めて「誰だよ、この人!」って思っちゃうよな』と余り読み進められなかった。
ただ鉄(かね)への執着が人並み外れていて、初めて打った刀は研ぎ師から「災難が寄ってくる」、その主からは「張り切った刀」と評され、鉄(かね)が鍛えすぎて、冷えた夜に飾っておいた枕元で張り詰めていた刀の切っ先が折れて弾け飛んでしまう。
二本目は、自信を持って試し切りに持っていくも、試刀家の加右衛門から「この刀は怒っている。」「切るまでもない。この刀は簡単に折れる。お前は鉄(かね)殺してしまった・・・」と散々に言われ、それでも懇願し試し切りをしてもらうのだが、命を掛けろと言われてしまう。
自分の刀を構え、ライバルの先代、康継2代目の刀で打ちかかってくる。自分の刀が負ければ首が飛ぶ。その位置を狙われず、加右衛門の刀は、興里の刀の切っ先を弾き飛ばし、興里(おきさと)の髷(まげ)を切り裂いた。
後日、「その首を捧げに来い」と言われ、死を覚悟する興里。
そこで康継三代目のにっくき賤しい刀で首を落とされると知って、興里は涙をあふれさす。
そこにいた公方の叔父である僧侶の圭海に「お前の兜を見た。わしの目に適う刀を打つというのならその命、助けよう。」「刀は魂の拠り所。益荒男(ますらお)の矜持(きょうじ)である。今の武士には今の武士の刀が必要だ。正宗、行光、青江のようないにしえの鍛冶に出来た品格と潤いを持った刀を打て」と、そして興里は「思い上がりを恥じ、一度はあきらめた命、入道させてほしい」と頼む。そして、一心日躰居士 虎徹という法名をもらう。
ここまでを読んだ。
100ページくらいまでは出雲のたたらで鉄(かね)を学び、トラブルに巻き込まれ、という興里を読んでいても、『もののけ姫みたいだな』という程度だったかな。。。
この後の、興里の”刀を打ち、鍛え始めて、弟子を鍛え、一心不乱に鉄(かね)を求め、刀に執念を燃やす姿”でギアが入りました。
火天の城でも書いたが、この山本兼一氏、職人の仕事を書かせたら、素晴らしい言葉でその技と出来映えを評していく。
千利休を読んだときは茶器が欲しくなり茶室に憧れた。懐石というものの神髄に触れた気がした。(もちろん錯覚)
いっしん虎徹を読み終わった後は日本刀が欲しくなる。。。。のだろうか。。。(笑)
多分、そんな気分にさせてくれる(はずの)小説家、山本兼一氏、あっぱれでございます。
mac