萌えてばかりもいられない!

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楽市楽座を考えることにした①

2013-11-28 06:54:44 | 日々の疑問
いまいち、よく分からないことがある。

それが楽市楽座。

なんとなくは分かっていたつもりでいたが、改めて完全に理屈が分かっていないことに気付いた。


私の人生は反省の積み重ねでしかない。いや、ウソ(笑)。でも「分からない」と呟いてみることで、引き寄せたいという衝動が止まらなくなるのは事実。


きっかけは何か?

英傑の日本史を読んだからだ。



うろ覚えで書くが、基本的にこの本は俗説に異を唱えるように出来ている。
現代人が自分の生きている環境から戦国時代を思う時の障害について述べていることと、事実の検証と前後関係から色々な推論というか作者自身の説を唱えている。

まず、兵士の傭兵化をしたのが織田信長。それまでの大名は兵農分離に成功しておらず、基本農閑期に戦闘が行われていたことを信長が戦闘専門集団を擁したことで常時戦闘が可能な集団を持って「天下布武」を目指したというもの。

他にも様々な「異」を唱えているので、興味のある方は是非読んでみてください。


で、大名が兵農分離が出来なかった理屈が、財源。もちろん米以外の財源を持つ者が大名となっているようだった。
その代表的なものが、銀山、金山などの鉱脈の保有。

しかし、清洲・美濃にはそれはない。織田信長の財源とは一体何だったのか?

それが六角氏が行っていた楽市楽座の極大化したものを執り行ったことではないか?と書かれている。(オリジナルは別にあった。でも信長が有名なのは、それをイベントではなく恒久的な状態にする街を出現させたことだと思われる)


領主が租税以外に、富を貯め込むことの理屈があるように思えないのだが、楽市楽座が齎らす効能、内包されている理屈はどういうことだったのか?が改めてよく分からなくなった。

それは、関税・消費税・みかじめ料・出店税などをとっぱらうことで楽市楽座が成立している。

楽座はカルテル集団の取り仕切りを行っているものから財源を奪うことには成功するだろう。
物価を下げる効能はあるが、領主に財源が移るものではない。

塩・紙・蝋などは、座に登録?することで流通や製造が許可されていたようだ。それを取り仕切っていたのは寺社。寺社は流通に口を出すだけで暴利の利権を持っていた。
寺社はその財源で軍団を雇い、傭兵化に成功して政治介入までを行うようになっていた背景の説明がある。
当時の関税(関所)は、そこかしこにいる土地の領主が勝手に作って、商人から巻き上げることが横行していた状態だったようだ。それを領地から無くさせ、商人に商売しやすい流通と場を提供するのが楽市だ。

これを?理屈で表せば、その利は、「寺社の坊主丸儲け」「勝手に関所を設けて不労所得を得ていた暴れ者」→「消費者還元セール」に移り、消費者の暮らしやすさを齎らすことは理解できた。楽市楽座の入場料を信長が消費者から取っていた(ラーメン博物館方式)というなら、ゆるい関税を消費者に代替で払わせていたということになるのだが、そういう記述には出会ったことがない。


うーーーん、減税・免税の齎らす効能は、それを補って余りある富が出現し、その利を別の形で「気持ちよく」領主に搾取されている状態がどこかに必要なのだと思うのだが、それはどこなのか?が頭に巡ってこない。消費税?まさか…。

昔は、そこで「領主自らが」安く仕入れて、他国に「競争出来る程の高値」で売り抜けていたという「貿易」で稼いでいたとでも思っていたかもしれない。

そうすれば、商人も税がないから「安く」売ってくれる。安いと評判だから「多くの」消費者が集まってくる。領主は軍団・傭兵を平城の周りと街の傍に住まわせた心強い「信長様」。その信長様は自ら別の専門集団を持って「貿易」で周辺国から「冨」をかき集めてこさせる。
「相場」でもやっていた?

なんかイメージとどこかがそぐわないのだが、「最後は」こうやって信長に富が集まるという理屈だけでなくイメージも分かっていない。

神をも恐れぬ信長のことだが、この世の理(ことわり)が結局「経済」で回っていたという部分は確実に掴んだ上で「何か」を「自ら」行っていたはずだ。英傑の日本史では秀吉や家康は信長のコピーという部分を色濃く出している。3人の採った経済政策を全て合わせた上で、時代を少し遡れば、信長自身の理屈に辿り着くかもしれない。

戦国の経済史とかの本ってあるのかなぁ?
探してみることにしてまた何か気付いたら書いてみます。


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