いきなし何年前の話を書いてんだ!と思われるでしょうが、なんだか久々に頭をよぎったので、忘れないようにここに書いておきます!
台風の中の富士天神平スキー場(第1回目)、炎天下での豊洲(第2回目)、そして永住することになった苗場(第3回目)。
そこまで全てのFuji Rock Festivalに参加していた。もちろんオーディエンスで。^^v
そして今回はいきなり音楽の話を中心ではない番外編の思い出です。
私達はこの第3回目の苗場、3日間開催されるうちの中日と最終日に駆けつけた。金曜日の夜、業務を終えて集まった参加者でみんなで借りたレンタカーに寝袋だとかテントとかを放り込んで、夜を徹して苗場に向かった。1日目の出演者達を見れなかったので、どうだったんだろう?ああだったんじゃない?とまだ見ぬ初めての会場、苗場を想像しながら関越を走っていった。
2日目のオープニングアクトは東京スカパラダイスオーケストラの猛ダッシュな出だしで鳥肌が立ち、自分は裏のリズムをッホ、ッホ、ッホと乗り乗りで大はしゃぎしまくっていたら、ヒートアップしすぎてしまって、結局ゲロが吐きたくなって・・・(爆)、とうとう後ろの方へと引き下がったのでした。
看病に私に付き添ってくれた友達が一人。夜を徹して車で来たこともあり、眠気と興奮で頭がグチャグチャになっていて、グリーンからホワイト、さらにその先にあったヘヴンというステージまで癒されに向かって二人で呆けて(ほうけて)いた。そして少し眠ったかも。
グリーンまで戻って、後ろの方で清志郎先生の歌声を遠くに聴きながら、「自然ていいなぁ」とまどろんでいたのだが、お互いにもよおして簡易トイレの列に並びに向かったのでした。
まぁもうそこは大層な人だかりになっていて、列がダラッと伸びていて、人が一人出てくる毎に一人がそこに行くということが繰り返されているのだが、列が遅々として進まない感じで続いていた。
まぁまだ私達は余裕があった。列の前の方へ徐々にではあるが移動してきたときである。
青ざめた顔に手をあてがった女性を抱えながら、もう一人の女性が声を出して、みんなに懇願していた。
「この子、大変なんです。どうか先に行かせてあげてください。お願いします。」と列の後ろの方から前にやってきた。
『どうぞ』と入れてあげようと思ったのだが、かなり待っている後ろの方の人が煙たい目で見ていて、そういうわけにも行かない状況になってしまった。
仕方なく介抱している女性が列の最後尾にその女性を立たせて、「大丈夫だから、すぐだから、私が何とかしてみせる」と安心させて、そのトイレの立ち並ぶところにいる係員に掴みかかった。
「てめぇさっきから何ボケッと突っ立って見てやがんだ!ちゃんと制御しろ!仕事しろ!」と怒鳴ったかと思うと、彼女は一番奥のトイレまで走っていき、一つ一つのドアを開けて中を確かめ始めた。実は全部のトイレが人で埋まっていたわけではなかったのだ。
一つ目は閉まっていた、二つ目は開いた!「大丈夫!綺麗です。入ってください!」と先頭の人に向かって叫んだ。
三つ目も開いた。「少し汚れているけど入れないことない。申し訳ないけど次の人、入って!お願い!」と呼びかける。「悪い。ありがとう」と入っていく。四つ目開かない。五つ目開かない。六つ目、また開いた!「ここは駄目。ひどい。係員の人、封鎖して、処理急いで!これじゃ分かりっこない!」七つ目開かない。八つ目、開く!「ここも汚いけど、我慢できる人、先に行ってください。少しでも詰めて欲しいの!お願い!」
そうこうしているうちに、列に並んだみんなが、その子の友達の青ざめた女性を「綺麗なところ、次開いたら入っておいで」と先頭に導いていた。「いいよね?いいよね?」と声を掛けながら一番先頭に導いていく人がいて、みんなで「うん、うん、いいよ、いきなよ」と声をかけ合いながら先頭に連れて行った。
トイレの渋滞を緩和し続けた友達もそれを見て泣き崩れてしまい、「どうもありがとう、どうもありがとう」と感謝して廻っていた。
私はその彼女の行動を今でもとてもよく覚えていて、その彼女のことを心の中で「リーダー」と呼び続けている。
声に出し、すぐさま行動に移せる人物はやはり正しいのだと今でも思っている。
今、リーダー達(彼女達)はどこでどうしているだろうか?
まだサマソニでもフジでもエゾでもなんでもいいから、フェスに参加し続けているだろうか?
そうであってくれたらいいなぁと願っています。
台風の中の富士天神平スキー場(第1回目)、炎天下での豊洲(第2回目)、そして永住することになった苗場(第3回目)。
そこまで全てのFuji Rock Festivalに参加していた。もちろんオーディエンスで。^^v
そして今回はいきなり音楽の話を中心ではない番外編の思い出です。
私達はこの第3回目の苗場、3日間開催されるうちの中日と最終日に駆けつけた。金曜日の夜、業務を終えて集まった参加者でみんなで借りたレンタカーに寝袋だとかテントとかを放り込んで、夜を徹して苗場に向かった。1日目の出演者達を見れなかったので、どうだったんだろう?ああだったんじゃない?とまだ見ぬ初めての会場、苗場を想像しながら関越を走っていった。
2日目のオープニングアクトは東京スカパラダイスオーケストラの猛ダッシュな出だしで鳥肌が立ち、自分は裏のリズムをッホ、ッホ、ッホと乗り乗りで大はしゃぎしまくっていたら、ヒートアップしすぎてしまって、結局ゲロが吐きたくなって・・・(爆)、とうとう後ろの方へと引き下がったのでした。
看病に私に付き添ってくれた友達が一人。夜を徹して車で来たこともあり、眠気と興奮で頭がグチャグチャになっていて、グリーンからホワイト、さらにその先にあったヘヴンというステージまで癒されに向かって二人で呆けて(ほうけて)いた。そして少し眠ったかも。
グリーンまで戻って、後ろの方で清志郎先生の歌声を遠くに聴きながら、「自然ていいなぁ」とまどろんでいたのだが、お互いにもよおして簡易トイレの列に並びに向かったのでした。
まぁもうそこは大層な人だかりになっていて、列がダラッと伸びていて、人が一人出てくる毎に一人がそこに行くということが繰り返されているのだが、列が遅々として進まない感じで続いていた。
まぁまだ私達は余裕があった。列の前の方へ徐々にではあるが移動してきたときである。
青ざめた顔に手をあてがった女性を抱えながら、もう一人の女性が声を出して、みんなに懇願していた。
「この子、大変なんです。どうか先に行かせてあげてください。お願いします。」と列の後ろの方から前にやってきた。
『どうぞ』と入れてあげようと思ったのだが、かなり待っている後ろの方の人が煙たい目で見ていて、そういうわけにも行かない状況になってしまった。
仕方なく介抱している女性が列の最後尾にその女性を立たせて、「大丈夫だから、すぐだから、私が何とかしてみせる」と安心させて、そのトイレの立ち並ぶところにいる係員に掴みかかった。
「てめぇさっきから何ボケッと突っ立って見てやがんだ!ちゃんと制御しろ!仕事しろ!」と怒鳴ったかと思うと、彼女は一番奥のトイレまで走っていき、一つ一つのドアを開けて中を確かめ始めた。実は全部のトイレが人で埋まっていたわけではなかったのだ。
一つ目は閉まっていた、二つ目は開いた!「大丈夫!綺麗です。入ってください!」と先頭の人に向かって叫んだ。
三つ目も開いた。「少し汚れているけど入れないことない。申し訳ないけど次の人、入って!お願い!」と呼びかける。「悪い。ありがとう」と入っていく。四つ目開かない。五つ目開かない。六つ目、また開いた!「ここは駄目。ひどい。係員の人、封鎖して、処理急いで!これじゃ分かりっこない!」七つ目開かない。八つ目、開く!「ここも汚いけど、我慢できる人、先に行ってください。少しでも詰めて欲しいの!お願い!」
そうこうしているうちに、列に並んだみんなが、その子の友達の青ざめた女性を「綺麗なところ、次開いたら入っておいで」と先頭に導いていた。「いいよね?いいよね?」と声を掛けながら一番先頭に導いていく人がいて、みんなで「うん、うん、いいよ、いきなよ」と声をかけ合いながら先頭に連れて行った。
トイレの渋滞を緩和し続けた友達もそれを見て泣き崩れてしまい、「どうもありがとう、どうもありがとう」と感謝して廻っていた。
私はその彼女の行動を今でもとてもよく覚えていて、その彼女のことを心の中で「リーダー」と呼び続けている。
声に出し、すぐさま行動に移せる人物はやはり正しいのだと今でも思っている。
今、リーダー達(彼女達)はどこでどうしているだろうか?
まだサマソニでもフジでもエゾでもなんでもいいから、フェスに参加し続けているだろうか?
そうであってくれたらいいなぁと願っています。
友達のお父ちゃんの車に乗せてもらって!
(お父ちゃんは可愛い娘とその友人の為に、終わるまで車中で待機。。。)
そして、私もスカパラではしゃぎ過ぎて気持ち悪くなったことありますorz
思い出のその女性達も、懐かしくもちょっぴり恥ずかしい記憶として
時折思い出しているかもしれませんね☆
そうなんですよね。。。こういうことってトラウマになりかねないんですよね。
少なくとも私にはこの手の経験が多くあり、通学が大変だった時があります。
苗場、行かれましたか?第4回以降、行けてないんですよね。またいきたいです!Fes系。