さて、今年も忘年会の時期がやってきた。
今年は前職の同僚と、たまたま同じビルで働いていることが分かって、川越時代に一緒に苦労したメンバーにも声をかけて、5人が揃った。
面子と退職時期は
①②2019年の特別早期退職組2人
③2023年復活した転身支援プログラム組1人(私)
④2024年2月に雇用延長切れでの定年退職1人
⑤未だに現職で会社に残っている人1人
転身するなら早い方がいいという話にはなったが、皆が気になっているのが、以前の勤め先の様子。
前職の会社はOB会もしっかりしていて、昨日のメンバーでは私だけがそこに入会していて、年報が毎年近況を報告してくるメンバーの音信を伝えてくれる冊子を持って行った。
現職は見ることがない年報だが、メンバーは誰も入っていないって。笑う。
みんなあの人載ってる、あぁ懐かしいの連呼。
訃報も載っているので、あの方この方の訃報に触れてびっくりしていた。中山美穂が一番びっくりだったが。
それぞれみんなまだ働いているが、1人は2度職場を変えていた。
前述したが、やりたいことがあるならば、早く動くが吉。と言われた。
最近、ガチャガチャと構想を書いていたら、どうも私は早めに次に向かった方がいいと皆に勧められまくった。
1年前に転職を探した時は、辞めることだけが決まっているので、極力自分がフィットする努力が必要だった。
やれば出来ること①、出来るしまぁ得意なこと②、のどちらかで、探しもしたが、基本これはいかがですか?と提案を受ける形でした。受け身も受け身でした。
出来ることなら、やってみたいこと③、もうチャレンジの領域④を自分で探して、エントリーしてみている。
皆に構想を披露したら、それなら75歳まで働けるじゃないと褒めてもらえた。
俄然勇気出てきた。そんな年齢まで働いていたいかは別として、看板をいつまでも掲げていられる気はしてきた。
さぁ来週は高校の同級生との沿線同窓会と以前組んでいたバンドメンバーと音楽忘年会。
ありがたいのはこうやって話が出来るメンバーの存在だとつくづく思います。
(前職の)会社の先輩方は、本当に頼りになります。昨日のメンバーは川越で苦労を共にした面子なんで、『やっぱいいなぁ』という声がそこかしこから聞こえてきて、企画したこちらも嬉しくなりました。
肝臓を大事にしたいと強く願いました。
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