Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

小僧ズ、ドント・クライ

2013-03-16 00:15:00 | コラム
元々が涙腺弱いタイプだが、最近は毎日のように泣いている。

いや、映画鑑賞ではない。
映画やスポーツに触れて泣くのは「泣きたい」から泣くのであって、べつにイヤなことではないし。

泣くというのは正確な表現ではないか。
涙は出すが、そこに感情はないし。

そう、しつこいくらいに記しているが、花粉症特有の症状というわけで。

きのうも目薬をさし過ぎて、ボスが小馬鹿にした感じで「泣いてんの?」と聞いてきた。

「それがですね、花粉症で・・・」と説明するのも面倒なので、「まぁいろいろありまして、、、」などと思わせ振りな返しかたをしてしまった。

女子が泣いてりゃ可愛いけどさ、キッタネー映画小僧の涙なんて、それこそザーメンが混じってんじゃないかなんて疑われて、誰も近寄ってこなくなるべさ。

名作『ボーイズ・ドント・クライ』(99…トップ画像。この映画の監督が、GW公開のリメイク映画『キャリー』を手がける)に倣い、
語呂も並びも悪いが、小僧ズ、ドント・クライっていうことで。


随分前に記したことがあるが、成人後、人前で泣いたことがいちどだけある。
かーちゃん死んだときでさえ、ひとりにならないと涙が出てこなかったというのに。

あれは確か、28歳くらいのころで・・・
来週納めなければならない家賃4万7千円のために、仕分けの日雇いアルバイトに申し込んだ。

日当約1万円、それを5日間。
その初日に、日本酒のセットを割ってしまった。

割った瞬間になにが起きたのか、なにを起こしたのか理解したが、怖くていい出せなかった。

しかし作業場がアルコール臭くなっていき、すぐに社員に気づかれてしまう。

結局、弁償することになり、その額が4万8千円だった。
嘘みたいだが、4万7千円ほしくて働いたのに、4万8千円を弁償するために無償(ではないけれど)で5日間働いた自分。

日当を受け取り、その10秒後には雇い主に返す? という不条理―を抱えたまま、帰りの電車に乗る。
なんて自分はみじめなんだと落ち込みながら車内を見回すと、50代の中年女性と目があった。

そのとき、自然と涙が出てきてしまった。

数年前に死んだかーちゃんに、そっくりだったからである。

「なにやってんのよ、あんたは!」と、叱られた気分になったのだった。


いま思い返しても、切なくなるね。
この日の晩―。
慰めてほしくて、好いていた女子のアパートにアポなしで訪ねたら知らない男が居た・・・というオチまであったりして。


自分のバカチンなエピソードなんかどうでもいいんじゃ。

ここから話をスライドさせて。
そういうの嫌うひとが多いというのに、現在でもメディアは「泣ける映画」「泣ける小説」なんていう企画を組む。

それ参考にして映画に臨んだりしたら、最初から構えちゃって泣くに泣けなくなるのではないかしら。

結果的に泣いちゃったというのが理想で、最初から泣くために映画を観るっていうのは・・・まぁいろんな楽しみかたがあっていいとは思うけれど、ちょっと妙だよなと。

だから本コラムでは、泣ける映画なんかセレクトしない。
ただ、俳優の泣きの演技には「おおいに」興味がある。

演技者としての、腕の見せ所であるし。

以下にその10傑をセレクトしたが、リンクをした動画もぜひ観てほしい。
繋ぎかたが巧いし、流れる音楽も最高。映画のなかの「ハートブレイク」シーンだけを集めた、かなーりよく出来た動画だから。


(1)メローラ・ウォルターズ、『マグノリア』(99)

ラスト―彼女が泣きながら笑って、フェイドアウト。

完、璧。

(2)小林薫、『コキーユ』(99)

リアルな男泣き。

(3)ロバート・デ・ニーロ、『レイジング・ブル』(80)

拳を叩きつけ、嗚咽する主人公。

(4)原田美枝子、『愛を乞うひと』(98)

娘に「泣いていい?」と問うラストシーン。
こころのなかで「いいよ」と答えていた。

(5)ショーン・ペン、『デッドマン・ウォーキング』(95)

強がっていた死刑囚が、初めてヒロインにこころを開いたのは「執行当日」だった・・・。

(6)エドワード・ファーロング、『ターミネーター2』(91)

中盤でターミネーターに「ひとは、なぜ泣く?」と問われる。
そして最後に「泣く理由が、なんとなく分かった」と返される。

(7)アンソニー・ホプキンス、『エレファント・マン』(80)

初めてエレファント・マンと対峙したとき、衝撃と感動で涙を流す―リンチらしくない王道の演出だが、このシーンがじつにいい。

(8)ヴィヴィアン・リー、『風と共に去りぬ』(39)

「タラがあるわ!」の直前。

(9)リーアム・ニーソン、『シンドラーのリスト』(93)

「感動しなさい」の演出に批判の声も挙がったが、自分は分かり易くてスピルバーグらしくて「あり」だと思う。

(10)役所広司、『絆』(98)

妹の晴れの舞台に触れ、声を出さずに泣く。


↓何本の映画、分かった?




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おっぱいが、いっぱい?

2013-03-15 00:15:00 | コラム
英国のバンドCORNERSHOPの代表曲に『BRIMFUL OF ASHA』(ブリムフル・オブ・アーシャ)というのがあって、サビの部分で延々と、

♪ ひとは眠るために、ふたつのおっぱいが必要なんだ ♪

といっていて、笑えると同時に、ロックでこれほど真理に近づいた曲もないかもしれない・・・などと感動したことがある。


いわゆる「おっぱい星人」ではないが、ヒトナミに、いやそれ以上におっぱいが好きだ。

「おっぱい」というと可愛げがあるが、「チチ」というと途端に下品になる。
なるが漢字で「乳」と記せば、そうでもなくなったりする。『乳と卵』が文学であるように。

「パイオツ」は業界用語? とされているが、そんな風にいう業界人に会ったことがない。
「バスト」というと専門的な感じがするが、これもまた日常会話っぽくない。

やっぱり「おっぱい」というのがいちばんしっくりくる。
だから映画で『おっぱいバレー』(2009)というのがあっても、どこからも抗議されない。
『ちんちんバレー』だったらお蔵入りになった可能性が高く、これは男女差別なんじゃないかと声高に叫びたくもなるが、誰もマトモに取り合ってくれないだろう。

くそっ。
って、なにがくそっ、、、なのか。


今年の米オスカーで総合司会を務めた才人、セス・マクファーレン。
自分と同年というのが驚きだが、
あの晩のスピーチというか芸で最も面白かったのが、「有名女優がどんな映画でおっぱいを見せているのか」を歌ったパロディである。

ジョディ・フォスターも皮肉られていたが、最後にケイト・ウィンスレットの名を挙げ「このひとは、いろんな映画で脱いでいるので挙げ切れない」と結ぶ。

わははっ。


映画はエロスと暴力だから、AVの次にハダカと密接な関係にある映像表現だと思う。

デヴィッド・リンチによる傑作『ツイン・ピークス』(89~91)は、テレビドラマだからおっぱいまで映すことが出来なかった。
その代わり映画版ではポルノといっていいくらい「出しまくり」であったのだが、このタイトル「ふたつの山」は隠語としてのおっぱいにあたるという説がある。

たぶん、そのとおりだと思う。
いかにもリンチらしいじゃないか。

よく女優さんが「ドラマにおいて“必要性”が感じられれば、脱ぐ」といっているが、
はっきりいってしまえば受け手にとってそんなことはどうでもよく、おっぱいが見られれば「得した♪」となり、
見えそうで見えない、結局最後まで背中のみ―という展開だったりすると、「なんだよ、くそっ!」と憤りを覚えたりするだけで。

脱ぎっぷりがよければ、それだけでその女優さんのことが好きになり。
逆に出し惜しみされると、「なんなんだよ!」なんて。


というわけで。

おっぱいを見せてくれたから好きになった―というと語弊がありまくりになるのだが、
おっぱいが映されたことによって「明らかに☆の数が増えた」映画をセレクトしてみた。


(1)小島聖、『完全なる飼育』(99)

すっげ柔らかそう。

(2)石田えり+高樹沙耶、『チ・ン・ピ・ラ』(84)

つまり、四つのおっぱいだ。

(3)ニコール・キッドマン、『アイズ ワイド シャット』(99)

キューブリック、脱がせてくれてサンクス。

(4)ジュリアン・ムーア、『ショート・カッツ』(93)

さりげなく、しかし大胆に脱いでいた。

(5)沢尻エリカ、『ヘルタースケルター』(2012)

抜群のタイミングだった。

(6)高岡早紀、『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(94)

パイナップルみたいだった。いや、褒めことばだからね。

(7)星野真里、『さよならみどりちゃん』(2004)

実際、脱いでいると聞いて劇場に足を運んだ。

(8)ペ・ドゥナ、『空気人形』(2009…トップ画像)

こういう役を演じ切る日本の女優が居ないからと、是枝さんは韓国の女優にオファーをした。

(9)ナオミ・ワッツ、『21グラム』(2003)

下世話だが、乳首が立っていたことに感動した。

(10)吉本多香美+荻野目慶子、『皆月』(99)

これまた、四つのおっぱい。


※冒頭に記した『BRIMFUL OF ASHA』




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初体験 リッジモント・ハイ(36)

2013-03-14 00:15:00 | コラム
田舎から、大都会へ―という展開の映画を3つ挙げるとするならば・・・

『真夜中のカーボーイ』(69)、『魔女の宅急便』(89)、『ニューシネマ・パラダイス』(89)だろうか。

「カウボーイ」を「カーボーイ」と“やっちゃった”誤りは映画通のあいだでは有名な話だが、現在よりも「おおらかな時代」だったということかもしれない、本気で怒るものはおらず、誤訳というか誤表記は「そのままにしておく」という結論に落ち着いた。

夢と希望の象徴「カウボーイスタイル」が男娼の小道具と化していく―この絶望的な展開に衝撃を受けた高校生の自分は、映画というものが暗い感動を生み出すのに適した表現であることを知った。

都会で大成していくサクセスストーリーも多いが、記憶に残るのはやはり、都会に打ちのめされる主人公をじっくり捉えていくもの。
これは自分の嗜好によるものかね。

『魔女の宅急便』は、自分にとって特別な作品。(ちなみにトップ画像は、主人公キキのコスプレをやる女子である)

ジブリのなかで最も愛する小品だが、なんといっても上京前日に観たというのが効いている。
境遇的に自分と重なる? からと、この日に観ると決めていたのだった。

ただ宮崎爺は、この映画を「独り暮らしを始めるおんなのこ」に向けて撮っている。
Perfumeでいうと『ワンルーム・ディスコ』にあたるが、キッタネー男子がお気に入りだったとしても許してくれるだろうか。

この作品の白眉は、デッキブラシで空を飛べるようになったキキが、それでも結局、黒猫ジジと会話出来る能力を失ったままでいるというエンディングである。
なにかの成長と引き換えに、なにかを失う―世の中はそういうものなんだということを、爺はさりげなく描いている。
さすがだなって思った。

『ニューシネマ・パラダイス』は、目の見えなくなった映写技師アルフレードが、青年トトに「ここには戻ってくるな」といって送り出すシーンが印象的。
高校生のころに映写技師のアルバイトをやっていた自分は、支配人の新名さんと自分をドラマの主人公に重ね、新名さんからはそういうことをいわれなかったけれど、そんな想いで東京に向かったのである。


さて自分の話に戻り・・・。
いわゆるホームシックには罹らなかった。
罹っている余裕がなかったというか、上京した翌日には仕事を始めていたからだろう。

何度も記してきたことだが、自分は新聞奨学生だった。
専門学校が始まる前に担当区域の配達順路などを覚える必要があり、そりゃあそんな忙しいなかにあっても自慰だけは続けていたが、故郷を思う時間を取れなかったのである。

可憐な魔女見習いによる宅急便屋さんと、キッタネー自慰男子による新聞配達屋さんと。
彼女の武器はホウキで、こっちは大型の自転車。
彼女の相棒は黒猫ジジで、こっちは前カゴに(UFOキャッチャーで取った)『一休さん』のヒロイン、サヨちゃんのぬいぐるみを括りつけていた。

おぉ。
イメージは随分とちがうが、やっていることは同じだったのかもしれない。

そうか、そういうわけで、この映画が大好きなんだな。

納得・・・って、ごめんキキ、ジジ、トンボ、ジブリ、久石さん、そして宮崎爺。


おわり。


※あ~ちゃんの、最後のウィンク!!




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初体験 リッジモント・ハイ(35)

2013-03-13 00:15:00 | コラム
きのう3月12日は、自分にとっての上京記念日である。

21年前のきのう、群馬の片田舎で映画と自慰に明け暮れていた小僧が東京の地を踏んだと。

館林駅で見送ってくれたのは、とーちゃんとかーちゃん。
まだハーフパンツ信仰もなく、しかし似合わないという自覚を持ちながらジーンズを穿き、アスレッチックスの野球帽を被っていた、、、と記憶する。

館林→北千住→秋葉原、徒歩で岩本町駅、都営新宿線に乗り調布へ―という、約170分のルート。

調布駅を降りると、一直線にマクドナルドへ。
これは一ヶ月前に決めていたことで、この日は上京記念日でもあり、初マックの日でもあった。

東京とともに、ファストフードへの幻想も抱いていたということ。
芥川の『芋粥』ではないが、ポテトを腹いっぱい食べてみたいと夢見ていたのである。

そう、幻想。
憧憬というより、幻想といったほうが正しい。

東京に行けばなんとかなる・・・いや、もうちょっとうしろ向きで、自分の居場所は東京にしかないんじゃないかと。

こうした幻想が通用するのは昭和までで、自分の世代がギリギリだと思っていた。
平成のアンちゃんネーちゃんにとっては「古いよ」な感覚だろう、、、と。


『とんぼ』は名曲だけれど、♪ 花の都・大東京 ♪ という歌詞が現代ではピンとこないんじゃないかとか。
『ファイト!』だってそうだ、♪ 滲んだ文字、東京行き ♪ これにグッとくる世代というのは、自分より上だけなんじゃないかとか。

何遍も読み返したい業田良家の傑作漫画『自虐の詩』では、「あなたのようなひとが生きるべき場所がある」といって、不幸なヒロインに東京行きを勧めるシーンがあった。

これら全部、古いのではないかと。


しかし芸人さんの東京進出は未だターニングポイントのように語られるし、
先日の『徹子の部屋』で大好きなPerfumeも「とにかく東京へ、東京へ」と発していて、あぁまだ通用するのだな、幻想は残っているのだなと。

そんなわけで東京が好きだ。大好きだ。
べつに故郷の館林が大嫌いというわけではないのだが、イマサラ帰郷しても自分の無力を思い知るだけで、なにも出来ずにくたばっていくほかないんじゃないか・・・なんて。

ひととひとのつながりが希薄だとか、アスファルトジャングル(死語?)だとかいわれるけれど、自分にとってこれほど生き易い場所はない―と、海外で暮らしたこともないクセにいってみたくなる。そのくらい、自分にとって東京は相性がいい。

故郷と東京、その最大のちがいは「時間の流れ」だと思う。
たまに帰省する―5月に帰省予定―のだが、カエルの大合唱や星の輝きに感動するのは1~2日程度で、3日目には東京が恋しくなる。
そう思っちゃうのだから仕方がない、これはもう体質の問題なのだろう。
50歳を超えて同じように思えるのかは、まだ分からないけれど。

中学3年生あたりで、映画あるいは文章の世界で生きていきたいな、生きていくのだろうな・・・と、漠然と考えるようになる。
高校1年時には「東京に行くんだ」と決めて、進路も「にっかつ」か「日本映画学校」かの二択に絞り込んだ。
日大芸術学部も「一瞬だけ」候補に上がったが、天から「身の丈を考えろ」という声が聞こえてきたので辞退? した。

決めてしまったら、もうそれを実行に移したくて残りの高校生活が無駄に思えてくる。

寝ても覚めても東京―そんな風にして、大都会への幻想だけが極端に大きくなっていくのだった。


つづく。


※やっぱり名曲なんだな




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初体験 リッジモント・ハイ(34)

2013-03-12 00:15:00 | コラム
あらゆる企画を思い出してみた結果、自分が幹事を務めた呑み会は当然100%の参加率だとして、誘われた呑み会でも、不参加はいちどしかないことが判明? した。

そりゃ、呑み会好きだもの。
となると逆に「いちどの不参加」が際立つのだが、これは幹事のことが、顔を見ただけで殴りたくなるほど大嫌いだったから、、、という分かり易い理由があった。

そのくらい呑み会という場が好きだから、もちろん同窓会にも参加する。
現時点で中学時代の同窓会4回、専門学校の同窓会2回いずれも参加し、グッドかバッドかは分からないが、そこそこのインパクトを残してきている、、、ようである。

3月9日。
母校「日活芸術学院」閉校を惜しみ、同窓会が開かれた。

すっごい、すっごい楽しかった。
これほど楽しい同窓会は、生まれて初めてだった。

いつまでも続いてほしい、帰りたくないと思った。


地元の同級生ともネット上でつながっている時代である、だからこんなこと記すのは気が引けるのだが、
はっきりいって中学の同窓会に自分の居場所はない。
もっといえば、面白くない。

完全に浮いた存在で、酔っているから耐えられるが、シラフであれば、とてもじゃないが長居出来ない空間に「アルコールだけを頼りに」して存在している。

悪くいうつもりはないが、地元は「なんとなく」閉鎖性の強いところ。
だから久し振りに顔を合わせたものではなく、きのう遊んだものと仲良く話す。そんな連中ばかりではないが、その傾向が強いことは確か。

隣りで地域の消防団の話をされても、こっちはヘラヘラ顔で聞くことしか出来ない。

じゃあ参加しなければいいのだが、なにかの苦行のつもりか、自分が浮いた存在であることを再確認するため? に、なんとなく毎回参加してしまうのだった。


翻って専門学校の同窓会は、東京でも浮いた存在のはずの自分が、まったく浮くということがなかった。

同じ地域に住んでいた「だけ」のものと、共通する目的があったものと―そのちがいかもしれない。

9日の同窓会をヒトコトで表現すれば、「きらきらひかる」となる。

その場に集ったものが輝いていたというより、いや、もちろん彼ら彼女らの現在も輝いていたのだが、映画を学んでいたころ、みんな「きらきら」していたのだ・・・という甘いノスタルジーに「どっぷりと」浸かったのである。


そんな同窓会を捉えた、一枚の写真がこれ。
なんとなく中央に立ってしまったため、教え子に囲まれた講師のようだけれど笑




「きらきらひかる」過去を思い出したことのほかに、この同窓会が気持ちよかった理由がある。
同じシナリオコースで学んだ女子が、自分のことを「イイ男になった」とか「フェロモン出まくり」とか、とにかく褒めてくれるのである。

あまりリップサービスというものをしない子だから、完全に真に受ける自分・・・って、結局はそこかいっ! って話だが、いいじゃない、それで。

つーか、どうですか、この写真から、フェロモン出てますか?


というわけで、今回の初体験シリーズは「上京」そのものでいってみよう。

記したこともあったと記憶するが、あらためてやってみようじゃないかと。


つづく。

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