このブログは1周年を迎えたばかりだが、ネット上で長文を吐き出すようになって11年が経つ。
吐き出し―そう、紡ぐとかより、こっちのほうが正しいような気がする―始めのころは「文章は短め」で「ですます調」、しかも柄にもなく「キレイゴトっぽい」ことばが並んでいた、、、ような気がする。
気がするってクリックすりゃ過去記事にジャンプ出来るのだから確認してみればいいのだが、なんだか気持ち悪くなりそうなのでやめておく。
現在のスタイルが完璧! とか思っているわけではないけれど、昔のコラムに比べれば「晒されるヨミモノ」としての機能を果たしているんじゃないか、なんて。
まぁでも、吐き出す以上、昔も今もゴミはゴミなんだ。
ちがいがあるとしたら可燃か不燃か古紙か産業廃棄物かってことで、処理に困る産廃物のような文章が理想・・・って、たとえに凝り過ぎて意味が通じ難いが、とりあえず消化しづらいものを書いていこうぜと。
出来不出来は置いておいて、小さい頃からモノを書くことが好きだった。
学校の宿題・課題で最も得意だったのは読書感想文や自由作文。
これだけはクラスメイトの秀才くん優等生ちゃんに負けたくなかったし、実際に彼ら彼女らよりも評価された。
中学生のころになるとイヤらしいテクニック―倒置法とか―を駆使するようになり、「こういうことを書けば評価される」からと、アパルトヘイトを取り上げたり、読書感想文では『黒い雨』を選んだりした。
ほんとうイヤらしいが、コトはこっちの思惑通りに進み、教師に褒められたり学校代表に選ばれたりして、なんとなく、なんとなくではあるが、「この世界で生きていけたらな・・・」と思うようになっていく。
上京し映画を学び始めると、読書感想文や自由作文は、シナリオと映画批評に代わった。
専門性と高い技術が求められる世界である、当然、昔のようには褒められなくなった。
それが悔しくてまた書く、書いては貶され、さらに書く。たまにはマスをかいて小休止、そのあとも書いて書いて・・・な日々がつづく。
当時はワープロさえ使わず、ペンだこを自慢とする手書き派だった。
250枚前後のシナリオを書き上げると、それをスポーツバッグに入れ大量の小銭をポケットに押し込んでコンビニへ。
2時間くらいかけて10部くらいずつコピーし、家に戻ってそれを綴じる。
それらを封筒に入れ、「新作です。率直な感想を聞かせてください」という手紙を添えて師匠や先輩、友人などに送っていた。
パソコンを購入したのは「たまたま」という、よく分からん理由であったが、それにより映画批評がコラムに代わる。
シナリオもそうだが、パソコンで書くようになってなにがありがたいかって、コピーする必要がなくなったこと、さらに、原稿もメールで送れば済むようになったこと。
金と時間が浮いたぶん、さらにモノを書けると。
そうしてブログの文章は徐々に長文化し、現在に至ると。
産廃的? であろうとはするが、そのなかには可燃性も不燃性もあったりして、再生が出来る古紙も潜んでいて。
しつこいが、どっちにしろゴミである。
ゴミにだって良質と悪質があって。
良質なゴミを吐き出せるよう、吐き出す前には「ちゃんと咽に手を突っ込んで」思いっきり、奥の奥からすべてを吐き出すようにしたい。
ん?
なんの宣言かって?
いやだから、ブログ11周年なので、とりあえず今後の展望を。
そう、誰にも聞かれてないのに、そんなこと。
※画像、なぜ安吾かって?
史上最強のモノカキのショット―だと思うから。これ、ほんとうに好きな一枚。
動画は、映画史上で最もモノカキを巧く描いたのは『バートン・フィンク』だと思うので、コーエン兄弟の仕事をまとめたものを。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『きょうくらいは、、、』
吐き出し―そう、紡ぐとかより、こっちのほうが正しいような気がする―始めのころは「文章は短め」で「ですます調」、しかも柄にもなく「キレイゴトっぽい」ことばが並んでいた、、、ような気がする。
気がするってクリックすりゃ過去記事にジャンプ出来るのだから確認してみればいいのだが、なんだか気持ち悪くなりそうなのでやめておく。
現在のスタイルが完璧! とか思っているわけではないけれど、昔のコラムに比べれば「晒されるヨミモノ」としての機能を果たしているんじゃないか、なんて。
まぁでも、吐き出す以上、昔も今もゴミはゴミなんだ。
ちがいがあるとしたら可燃か不燃か古紙か産業廃棄物かってことで、処理に困る産廃物のような文章が理想・・・って、たとえに凝り過ぎて意味が通じ難いが、とりあえず消化しづらいものを書いていこうぜと。
出来不出来は置いておいて、小さい頃からモノを書くことが好きだった。
学校の宿題・課題で最も得意だったのは読書感想文や自由作文。
これだけはクラスメイトの秀才くん優等生ちゃんに負けたくなかったし、実際に彼ら彼女らよりも評価された。
中学生のころになるとイヤらしいテクニック―倒置法とか―を駆使するようになり、「こういうことを書けば評価される」からと、アパルトヘイトを取り上げたり、読書感想文では『黒い雨』を選んだりした。
ほんとうイヤらしいが、コトはこっちの思惑通りに進み、教師に褒められたり学校代表に選ばれたりして、なんとなく、なんとなくではあるが、「この世界で生きていけたらな・・・」と思うようになっていく。
上京し映画を学び始めると、読書感想文や自由作文は、シナリオと映画批評に代わった。
専門性と高い技術が求められる世界である、当然、昔のようには褒められなくなった。
それが悔しくてまた書く、書いては貶され、さらに書く。たまにはマスをかいて小休止、そのあとも書いて書いて・・・な日々がつづく。
当時はワープロさえ使わず、ペンだこを自慢とする手書き派だった。
250枚前後のシナリオを書き上げると、それをスポーツバッグに入れ大量の小銭をポケットに押し込んでコンビニへ。
2時間くらいかけて10部くらいずつコピーし、家に戻ってそれを綴じる。
それらを封筒に入れ、「新作です。率直な感想を聞かせてください」という手紙を添えて師匠や先輩、友人などに送っていた。
パソコンを購入したのは「たまたま」という、よく分からん理由であったが、それにより映画批評がコラムに代わる。
シナリオもそうだが、パソコンで書くようになってなにがありがたいかって、コピーする必要がなくなったこと、さらに、原稿もメールで送れば済むようになったこと。
金と時間が浮いたぶん、さらにモノを書けると。
そうしてブログの文章は徐々に長文化し、現在に至ると。
産廃的? であろうとはするが、そのなかには可燃性も不燃性もあったりして、再生が出来る古紙も潜んでいて。
しつこいが、どっちにしろゴミである。
ゴミにだって良質と悪質があって。
良質なゴミを吐き出せるよう、吐き出す前には「ちゃんと咽に手を突っ込んで」思いっきり、奥の奥からすべてを吐き出すようにしたい。
ん?
なんの宣言かって?
いやだから、ブログ11周年なので、とりあえず今後の展望を。
そう、誰にも聞かれてないのに、そんなこと。
※画像、なぜ安吾かって?
史上最強のモノカキのショット―だと思うから。これ、ほんとうに好きな一枚。
動画は、映画史上で最もモノカキを巧く描いたのは『バートン・フィンク』だと思うので、コーエン兄弟の仕事をまとめたものを。
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明日のコラムは・・・
『きょうくらいは、、、』
第15部「原一男の物語」~第4章~
前回までのあらすじ
「最後まで、好きになれないひとでした」(原一男、奥崎謙三を評する)
「私、あの映画は好きじゃないのよ」(井上光晴夫人、『全身小説家』を評する)
…………………………………………
映画を学ぶ学生だったころ―月にいちど、筆者が筋金入りと認める映画小僧を集めて「オールナイトで映画のビデオを観る」という企画をやっていた。
場所は筆者のアパート、テレビのサイズは14インチというのが泣かせるが、それでも回を追うごとに参加者は増え、なかなかの熱気に包まれた。
2年間のあいだに11回催され、すべての企画のテーマを覚えている。
スコセッシ祭り、キューブリック祭り、黒澤祭り、溝口祭り、ニューシネマ祭り、エロス祭り、
ATG祭り、ディレクターズ・カンパニー祭り、自主制作祭り、戦争映画祭りの第一弾と第二弾・・・いかにもな企画だが、企画前・企画後ともに気を重くさせたのは戦争映画祭りだった。
ふたつの祭りで再生した映画は10本。
内訳は『西部戦線異状なし』(30)、『独裁者』(40)、『灰とダイヤモンド』(57)、『肉弾』(68)、『ジョニーは戦場へ行った』(70)、『ディア・ハンター』(78)、『地獄の黙示録』(79)、『フルメタル・ジャケット』(87)、『ゆきゆきて、神軍』(87)、『黒い雨』(89)。
すべてが戦意高揚「系」ではなく、中核に反戦思想のある名画たち。
名画とはいえ連続して鑑賞するのは拷問のようなもので、「なにも、わざわざ・・・」と思わないこともないが、映画作家たちの闘争の軌跡を「浴びる」ことこそ映画学生の本分―と本気で信じていたようなところがあった。
鑑賞後、皆のこころを最も揺さぶり、どんよりさせたのは「ジョニ戦」こと『ジョニーは戦場へ行った』である。
納得。
名画の多くは観終えたあとに拍手したくなるものだが、この映画を大きな劇場しかも満員の状態で観たとしても、誰ひとりとして拍手は送らないだろうし、ことばも発しないと思う。
絶句。
絶句こそ相応しい評価のような気がする。
逆に、戦争を扱った映画であるにも関わらず、あまりにもほかの戦争映画と感触がちがう、もっとはっきりいえば、皆が「面白い!」と思ってしまったのが『ゆきゆきて、神軍』だった。
これも納得。
この時点で既に『ゆきゆきて、神軍』を観ていたのは筆者のみ。
ほかの作品は皆の投票で決めたが、この作品だけは筆者の「ごり押し」で上映作品に組み込んだのである。
上映後、まるで自分が監督したように「どうよ、これ?」と迫る。
「・・・すげぇな。ムチャクチャ、面白い」とAがポツリというと、皆が同意した。
…………………………………………
そう、『ゆきゆきて、神軍』はめっぽう面白い。
「神軍平等兵」を自称し、天皇の戦争責任を追及、かつての上官に対して暴力を振るってでも真実を突き止めようとする過激なオッサン、奥崎謙三が主人公のドキュメンタリーである。面白いという感想は不適切なはずなのに、出てくることばは「面白い!」以外にない。
だが観ているほうは面白いと思っても、カメラを回す原は「ちっとも面白がれなかった」という。
混乱をきたす撮影現場―というと、コッポラが狂気の狭間を彷徨う『地獄の黙示録』を想起する。
マーロン・ブランドに「痩せてこい」というと、逆に「より」太ってやってきた・・・などなど、騒動の発端は主演者VS監督にあったわけだが、『ゆきゆきて、神軍』もそれにちかいようなところがあった。
奥崎は自分を格好よく映せと原に命令する。映画を創っているのは俺(奥崎)であって、お前(原)はサポートに過ぎないのだと。
それを象徴するのが、元上官に殴りかかった奥崎が逆に羽交い絞めにされる場面である。
奥崎は「止めろ!」というが、これは喧嘩を止めろという意味ではなくカメラを止めろという意味で、なぜなら、そのあとに続くことばが「俺がやられているじゃないか!」なのだから。
取り締まるはずの警官も奥崎のことを「先生、、、」といって持ち上げる。
怒らせると厄介な騒動になるからと、へりくだってみせているのだ。
この映画のなかで奥崎に一目置かれているのは、妻シズミのみ。
そんな奥崎を原が好きになれるはずもない、しかし原がすごいのはそれでも撮影の主導権を死守したところ。
そう、この映画は原と奥崎の戦い、その距離感によってゾクゾクする面白さを獲得している。
これほど過激なオッサンであれば、誰が回しても面白い絵が撮れるだろうって?
勘違いされ易いが、それはないと思う。
デタラメな距離感であれば、スリリングな場面も生まれなかったはずだから。
なにを映してなにを映さないのかは、自分が決める―元上官を殺す計画を打ち明けられ、それを撮れと命じられた原は、それを断った。だから映画には元上官の息子を撃った場面は出てこない。
撮っていればスクープにはちがいないが、ある一線を越えたとして映画は陽の目を見なかったのではないか。
撮らなかったことによって、映画は映画としての面白さに溢れることになった。
そうしてこの距離感のまま、原はホラ吹き作家に迫ろうと次回作を企画していくことになる。
…………………………………………
筆者が新聞奨学生として調布駅前を担当していたころ、調布駅南口の東山病院に作家・井上光晴が入院していた。
そんな井上の日常を原が捉えていたことを知るのは、『全身小説家』(89…トップ画像)が発表されたあとだった。
知っていれば原のドキュメンタリー術を見学しにいっただろうが、後日、調布に住む井上夫人に「あの映画、感動しましたよ」と伝えると、夫人は苦笑しながら「私、あの映画は好きじゃないのよ」と発したのである。
暴力的なまでの肉迫は、面白さを生むいっぽうで、関係者を傷つけてもいるのだろう。
原はもちろん、そのことに自覚的なのだった。
…………………………………………
※『またの日の知華』予告編
原が、初めて劇映画に挑んだ作品
つづく。
次回は、4月上旬を予定。
…………………………………………
本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『10年のゴミ溜め』
前回までのあらすじ
「最後まで、好きになれないひとでした」(原一男、奥崎謙三を評する)
「私、あの映画は好きじゃないのよ」(井上光晴夫人、『全身小説家』を評する)
…………………………………………
映画を学ぶ学生だったころ―月にいちど、筆者が筋金入りと認める映画小僧を集めて「オールナイトで映画のビデオを観る」という企画をやっていた。
場所は筆者のアパート、テレビのサイズは14インチというのが泣かせるが、それでも回を追うごとに参加者は増え、なかなかの熱気に包まれた。
2年間のあいだに11回催され、すべての企画のテーマを覚えている。
スコセッシ祭り、キューブリック祭り、黒澤祭り、溝口祭り、ニューシネマ祭り、エロス祭り、
ATG祭り、ディレクターズ・カンパニー祭り、自主制作祭り、戦争映画祭りの第一弾と第二弾・・・いかにもな企画だが、企画前・企画後ともに気を重くさせたのは戦争映画祭りだった。
ふたつの祭りで再生した映画は10本。
内訳は『西部戦線異状なし』(30)、『独裁者』(40)、『灰とダイヤモンド』(57)、『肉弾』(68)、『ジョニーは戦場へ行った』(70)、『ディア・ハンター』(78)、『地獄の黙示録』(79)、『フルメタル・ジャケット』(87)、『ゆきゆきて、神軍』(87)、『黒い雨』(89)。
すべてが戦意高揚「系」ではなく、中核に反戦思想のある名画たち。
名画とはいえ連続して鑑賞するのは拷問のようなもので、「なにも、わざわざ・・・」と思わないこともないが、映画作家たちの闘争の軌跡を「浴びる」ことこそ映画学生の本分―と本気で信じていたようなところがあった。
鑑賞後、皆のこころを最も揺さぶり、どんよりさせたのは「ジョニ戦」こと『ジョニーは戦場へ行った』である。
納得。
名画の多くは観終えたあとに拍手したくなるものだが、この映画を大きな劇場しかも満員の状態で観たとしても、誰ひとりとして拍手は送らないだろうし、ことばも発しないと思う。
絶句。
絶句こそ相応しい評価のような気がする。
逆に、戦争を扱った映画であるにも関わらず、あまりにもほかの戦争映画と感触がちがう、もっとはっきりいえば、皆が「面白い!」と思ってしまったのが『ゆきゆきて、神軍』だった。
これも納得。
この時点で既に『ゆきゆきて、神軍』を観ていたのは筆者のみ。
ほかの作品は皆の投票で決めたが、この作品だけは筆者の「ごり押し」で上映作品に組み込んだのである。
上映後、まるで自分が監督したように「どうよ、これ?」と迫る。
「・・・すげぇな。ムチャクチャ、面白い」とAがポツリというと、皆が同意した。
…………………………………………
そう、『ゆきゆきて、神軍』はめっぽう面白い。
「神軍平等兵」を自称し、天皇の戦争責任を追及、かつての上官に対して暴力を振るってでも真実を突き止めようとする過激なオッサン、奥崎謙三が主人公のドキュメンタリーである。面白いという感想は不適切なはずなのに、出てくることばは「面白い!」以外にない。
だが観ているほうは面白いと思っても、カメラを回す原は「ちっとも面白がれなかった」という。
混乱をきたす撮影現場―というと、コッポラが狂気の狭間を彷徨う『地獄の黙示録』を想起する。
マーロン・ブランドに「痩せてこい」というと、逆に「より」太ってやってきた・・・などなど、騒動の発端は主演者VS監督にあったわけだが、『ゆきゆきて、神軍』もそれにちかいようなところがあった。
奥崎は自分を格好よく映せと原に命令する。映画を創っているのは俺(奥崎)であって、お前(原)はサポートに過ぎないのだと。
それを象徴するのが、元上官に殴りかかった奥崎が逆に羽交い絞めにされる場面である。
奥崎は「止めろ!」というが、これは喧嘩を止めろという意味ではなくカメラを止めろという意味で、なぜなら、そのあとに続くことばが「俺がやられているじゃないか!」なのだから。
取り締まるはずの警官も奥崎のことを「先生、、、」といって持ち上げる。
怒らせると厄介な騒動になるからと、へりくだってみせているのだ。
この映画のなかで奥崎に一目置かれているのは、妻シズミのみ。
そんな奥崎を原が好きになれるはずもない、しかし原がすごいのはそれでも撮影の主導権を死守したところ。
そう、この映画は原と奥崎の戦い、その距離感によってゾクゾクする面白さを獲得している。
これほど過激なオッサンであれば、誰が回しても面白い絵が撮れるだろうって?
勘違いされ易いが、それはないと思う。
デタラメな距離感であれば、スリリングな場面も生まれなかったはずだから。
なにを映してなにを映さないのかは、自分が決める―元上官を殺す計画を打ち明けられ、それを撮れと命じられた原は、それを断った。だから映画には元上官の息子を撃った場面は出てこない。
撮っていればスクープにはちがいないが、ある一線を越えたとして映画は陽の目を見なかったのではないか。
撮らなかったことによって、映画は映画としての面白さに溢れることになった。
そうしてこの距離感のまま、原はホラ吹き作家に迫ろうと次回作を企画していくことになる。
…………………………………………
筆者が新聞奨学生として調布駅前を担当していたころ、調布駅南口の東山病院に作家・井上光晴が入院していた。
そんな井上の日常を原が捉えていたことを知るのは、『全身小説家』(89…トップ画像)が発表されたあとだった。
知っていれば原のドキュメンタリー術を見学しにいっただろうが、後日、調布に住む井上夫人に「あの映画、感動しましたよ」と伝えると、夫人は苦笑しながら「私、あの映画は好きじゃないのよ」と発したのである。
暴力的なまでの肉迫は、面白さを生むいっぽうで、関係者を傷つけてもいるのだろう。
原はもちろん、そのことに自覚的なのだった。
…………………………………………
※『またの日の知華』予告編
原が、初めて劇映画に挑んだ作品
つづく。
次回は、4月上旬を予定。
…………………………………………
本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『10年のゴミ溜め』
その昔―。
「スティーブン・キングの小説、パッと思い浮かぶものを挙げてみて」と友人にいわれ、
「えっとね、『クジョー』に『クリスティーン』、『デッドゾーン』と『ニードルフ・シングス』・・・」などと返したら、
「わー! いかにも“俺は通”って感じでイヤだねー」
「なにがさ?」
「最初に『シャイニング』とか『スタンド・バイ・ミー』を挙げないところが」
「当たり前過ぎるでしょ、だって」
「ほら、そうやって、ある質問に対して答えを発する前に、自分がどう思われるかまで考えているわけでしょ」
「まぁそれはそうだよ」
「だから、まっき~はプライド高いんだよ」
「否定はしないよ、でも、なに、その質問は? キングについてではなくて、心理分析かなにかなの?」
「いや、そういうつもりはなかったんだけれど、みんな『シャイニング』と答えたのに、まっき~だけ変化球だったから」
というわけで。
映画から考える心理分析というかプロファイリングというか。
好きな映画を三つ挙げてもらうだけで、そのひとの「ひとと、なり」が分かる―というのが持論だが、
それはべつに映画にかぎった話ではなく、文学でも音楽でも絵画でもそうだと思う。
去年あたりからメディアでよく見かける「映画」心理分析官? に、コトブキツカサというひとが居る。
作家で清涼院流水というひとが居て笑ったことがあったが、「寿司」と書いてコトブキツカサと読ませるのも面白い。
こんなひとで、
まぁ、映画の数だけ答えかたがあると思うので、この攻めかたは新しいっちゃあ、新しいのかもしれない。
しょっちゅう我流のベストテンなどを展開する自分、そのリストはほぼ不動ではあるが、
「好きなもの三つ」とか「ベストスリー」とか「ひとに薦めたくなる三本」とか「宝物三つ」とか、聞きかたによって答えは微妙に変わってくるものだし、日によって順位がアベコベになり、ふだんなら入るものがその日にかぎって漏れてしまうことだってある。
たとえば「ベストワン」と聞かれたらスコセッシの『レイジング・ブル』(80)と答えるが、
「いちばん好きな映画」と聞かれたら、スコセッシは一緒でも『タクシードライバー』(76)と答える。
日常会話としての「好きな三つ」であれば『タクシードライバー』、『アマデウス』(84)、『ゆきゆきて、神軍』(87)と答えるが、
最初から心理分析をおこなうのが分かっていれば、『アマデウス』を同じミロシュ・フォアマンの『カッコーの巣の上で』(75…トップ画像)に置き換えるかもしれない。
なぜ? と問われても「うっ」と詰まってしまうが、両隣が鬼畜系? の映画だから、ちがいますよ、自分はヒューマニストですよと主張するため、、、なのかもしれない。
そういう心理さえ読んでくれるのであればコトブキ氏はホンモノだと思うが、どうなんだろうか。
というか。
こういう問いって、映画キチガイには無効であったりする。
(自分も含めて)こういう連中は常に自分のベストを考えている傾向にあるため、事前に候補作が絞られているから。
答えが準備されていないものに対する質問でないと、心理分析なんか出来ないと思うのだ。
だから自分は「そこそこ映画が好きなひと」にこの問いをぶつけてみることが多いのだが、相手は自分が映画小僧だと分かっているために身構えてしまい、
「うーーん、なかなか思い浮かばないね」と逃げられることが多い。
結論。
自分は、問うほうにも答えるほうにも向いていないと。
なんて不器用なヤツなんだ!!
…………………………………………
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…………………………………………
明日のコラムは・・・
『怒れる牡牛の物語』
「スティーブン・キングの小説、パッと思い浮かぶものを挙げてみて」と友人にいわれ、
「えっとね、『クジョー』に『クリスティーン』、『デッドゾーン』と『ニードルフ・シングス』・・・」などと返したら、
「わー! いかにも“俺は通”って感じでイヤだねー」
「なにがさ?」
「最初に『シャイニング』とか『スタンド・バイ・ミー』を挙げないところが」
「当たり前過ぎるでしょ、だって」
「ほら、そうやって、ある質問に対して答えを発する前に、自分がどう思われるかまで考えているわけでしょ」
「まぁそれはそうだよ」
「だから、まっき~はプライド高いんだよ」
「否定はしないよ、でも、なに、その質問は? キングについてではなくて、心理分析かなにかなの?」
「いや、そういうつもりはなかったんだけれど、みんな『シャイニング』と答えたのに、まっき~だけ変化球だったから」
というわけで。
映画から考える心理分析というかプロファイリングというか。
好きな映画を三つ挙げてもらうだけで、そのひとの「ひとと、なり」が分かる―というのが持論だが、
それはべつに映画にかぎった話ではなく、文学でも音楽でも絵画でもそうだと思う。
去年あたりからメディアでよく見かける「映画」心理分析官? に、コトブキツカサというひとが居る。
作家で清涼院流水というひとが居て笑ったことがあったが、「寿司」と書いてコトブキツカサと読ませるのも面白い。
こんなひとで、
まぁ、映画の数だけ答えかたがあると思うので、この攻めかたは新しいっちゃあ、新しいのかもしれない。
しょっちゅう我流のベストテンなどを展開する自分、そのリストはほぼ不動ではあるが、
「好きなもの三つ」とか「ベストスリー」とか「ひとに薦めたくなる三本」とか「宝物三つ」とか、聞きかたによって答えは微妙に変わってくるものだし、日によって順位がアベコベになり、ふだんなら入るものがその日にかぎって漏れてしまうことだってある。
たとえば「ベストワン」と聞かれたらスコセッシの『レイジング・ブル』(80)と答えるが、
「いちばん好きな映画」と聞かれたら、スコセッシは一緒でも『タクシードライバー』(76)と答える。
日常会話としての「好きな三つ」であれば『タクシードライバー』、『アマデウス』(84)、『ゆきゆきて、神軍』(87)と答えるが、
最初から心理分析をおこなうのが分かっていれば、『アマデウス』を同じミロシュ・フォアマンの『カッコーの巣の上で』(75…トップ画像)に置き換えるかもしれない。
なぜ? と問われても「うっ」と詰まってしまうが、両隣が鬼畜系? の映画だから、ちがいますよ、自分はヒューマニストですよと主張するため、、、なのかもしれない。
そういう心理さえ読んでくれるのであればコトブキ氏はホンモノだと思うが、どうなんだろうか。
というか。
こういう問いって、映画キチガイには無効であったりする。
(自分も含めて)こういう連中は常に自分のベストを考えている傾向にあるため、事前に候補作が絞られているから。
答えが準備されていないものに対する質問でないと、心理分析なんか出来ないと思うのだ。
だから自分は「そこそこ映画が好きなひと」にこの問いをぶつけてみることが多いのだが、相手は自分が映画小僧だと分かっているために身構えてしまい、
「うーーん、なかなか思い浮かばないね」と逃げられることが多い。
結論。
自分は、問うほうにも答えるほうにも向いていないと。
なんて不器用なヤツなんだ!!
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『怒れる牡牛の物語』
いちど聞いたり見たりしただけでは把握出来ないニュースはとても多いが、最近絶句したのは、
「どうかひとつの小さな命とひきかえに、統廃合を中止してください」
という遺書を残して自死してしまった、小学5年生男子のニュース。
少年のころ、「学校なんて・・・」と思っていた自分なんかからすると「そんなことで!?」と突っ込みたくもなるが、この子にとって世界といえば学校であり、それがすべてだったのかもしれない。
とはいえイジメを苦に―というケースとはちがい、痛ましさよりも違和感が残るというのが本音である。
ただ伊丹十三の例を出すまでもなく、自死するものの闇の深さは、当事者でないものには分からない。だから安易に是非なんていえないが、それにしても、、、と、頭のなかでぐるぐる。
この話からスライドさせて母校の閉校について語るのも気が引けるが、強引にそうしてみることにする。
自分が通っていたころは『にっかつ芸術学院』だった『日活芸術学院』が、今月9日で閉校となる。
自分が映画を学ぶ学生だったのは92~94年。
映画史的にいえば、QTタランティーノが出現したころ。ミニシアターのブームが隆盛期を迎えたころ。いまをときめく園子温がパンクな自主制作を撮っていたころ。CG技術が注目され始めたころである。
在学中に「にっかつ」は事実上の倒産、ナムコ傘下となる。
日本映画は現在のように好調とはいえず、倒産という大激震もあって中退していく同級生も多かった。
あれから約20年―率直にいえば、よく持ち堪えたなぁ、、、と。
ライバル校とされていた日本映画学校(現・日本映画大学)は阿部和重や三池崇史を輩出したが、
わが母校はカメラや編集などの技術マンの卵を業界に送り込んではいるものの、いわゆるクリエイターで大成したものは居ない。
ここにはもちろん自分も含まれるのだから、面目ないごめんなさいとしかいえないのだけれども・・・。
9日は、最後の生徒たちの卒業式と全卒業生・講師による閉校式、そのあとに大同窓会が開かれる。
みんなに会いたいから連絡のつく同級生にメールを送り続けていたが、
学院事務局から「参加者が400人を超えたため、本日で参加申し込みを締め切る」という連絡が入った。
400人、かぁ。
卒業まで在籍する「どうかしている」ものは俳優科で30人弱、映像科でも70人前後。連絡つかないものも多いはずで、そう考えると、なかなかの参加率かと。
当日は20度ちかくの陽気になるようで、珍しくお洒落をしていこうと張り切っている自分は洋服選びに迷うが、ひじょーに楽しみである。
元々が同窓会好き? というか単に呑み会好きなだけだが、と同時に、集いの機会が閉校というのは、やっぱり寂しい。
当時は(思想信条的に)無敵だった。
いや無敵なわけはないのだが、そう信じていた。
恥ずかしいほどの無知だったなぁと思うが、無敵と信じることは若者の特権みたいなところがあって。
べつに学園紛争などを経験したわけではないのだから、圧倒的な敗北感を味わったというわけでもない。
ないが、日常を送るうちに自分が無敵ではないことを悟っていくもので。
で、いまのような救いようのないヤツになったと汗
でも、あのころの自分が好きだ。大好きだ。
同級生も、みんな好きだ。もちろん嫌いな、大嫌いなヤツも居たが、9日に会えるのだったら、ソイツのことも抱きしめてあげられる。
向こうが拒否するだろうけれどね!!
自分の所為でそうなったというのもあるが、小学生~高校生のころは、映画に触れている瞬間以外の人生を楽しいと思えなかった。
上京して「にっかつ」の学生となり、映画漬けの日々が楽しくて楽しくてしょうがなかった。
だから9日は、きっちり撮影所にお礼をしてこようと思う。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『映画でプロファイリング』
「どうかひとつの小さな命とひきかえに、統廃合を中止してください」
という遺書を残して自死してしまった、小学5年生男子のニュース。
少年のころ、「学校なんて・・・」と思っていた自分なんかからすると「そんなことで!?」と突っ込みたくもなるが、この子にとって世界といえば学校であり、それがすべてだったのかもしれない。
とはいえイジメを苦に―というケースとはちがい、痛ましさよりも違和感が残るというのが本音である。
ただ伊丹十三の例を出すまでもなく、自死するものの闇の深さは、当事者でないものには分からない。だから安易に是非なんていえないが、それにしても、、、と、頭のなかでぐるぐる。
この話からスライドさせて母校の閉校について語るのも気が引けるが、強引にそうしてみることにする。
自分が通っていたころは『にっかつ芸術学院』だった『日活芸術学院』が、今月9日で閉校となる。
自分が映画を学ぶ学生だったのは92~94年。
映画史的にいえば、QTタランティーノが出現したころ。ミニシアターのブームが隆盛期を迎えたころ。いまをときめく園子温がパンクな自主制作を撮っていたころ。CG技術が注目され始めたころである。
在学中に「にっかつ」は事実上の倒産、ナムコ傘下となる。
日本映画は現在のように好調とはいえず、倒産という大激震もあって中退していく同級生も多かった。
あれから約20年―率直にいえば、よく持ち堪えたなぁ、、、と。
ライバル校とされていた日本映画学校(現・日本映画大学)は阿部和重や三池崇史を輩出したが、
わが母校はカメラや編集などの技術マンの卵を業界に送り込んではいるものの、いわゆるクリエイターで大成したものは居ない。
ここにはもちろん自分も含まれるのだから、面目ないごめんなさいとしかいえないのだけれども・・・。
9日は、最後の生徒たちの卒業式と全卒業生・講師による閉校式、そのあとに大同窓会が開かれる。
みんなに会いたいから連絡のつく同級生にメールを送り続けていたが、
学院事務局から「参加者が400人を超えたため、本日で参加申し込みを締め切る」という連絡が入った。
400人、かぁ。
卒業まで在籍する「どうかしている」ものは俳優科で30人弱、映像科でも70人前後。連絡つかないものも多いはずで、そう考えると、なかなかの参加率かと。
当日は20度ちかくの陽気になるようで、珍しくお洒落をしていこうと張り切っている自分は洋服選びに迷うが、ひじょーに楽しみである。
元々が同窓会好き? というか単に呑み会好きなだけだが、と同時に、集いの機会が閉校というのは、やっぱり寂しい。
当時は(思想信条的に)無敵だった。
いや無敵なわけはないのだが、そう信じていた。
恥ずかしいほどの無知だったなぁと思うが、無敵と信じることは若者の特権みたいなところがあって。
べつに学園紛争などを経験したわけではないのだから、圧倒的な敗北感を味わったというわけでもない。
ないが、日常を送るうちに自分が無敵ではないことを悟っていくもので。
で、いまのような救いようのないヤツになったと汗
でも、あのころの自分が好きだ。大好きだ。
同級生も、みんな好きだ。もちろん嫌いな、大嫌いなヤツも居たが、9日に会えるのだったら、ソイツのことも抱きしめてあげられる。
向こうが拒否するだろうけれどね!!
自分の所為でそうなったというのもあるが、小学生~高校生のころは、映画に触れている瞬間以外の人生を楽しいと思えなかった。
上京して「にっかつ」の学生となり、映画漬けの日々が楽しくて楽しくてしょうがなかった。
だから9日は、きっちり撮影所にお礼をしてこようと思う。
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