松代には、太平洋戦争末期、長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に作られた地下壕などの地下軍事施設群があったという。松代大本営と呼ばれ、敗色濃厚だった当時、軍部は本土決戦を行うことに備え、「国体護持(天皇を頂点とする国家体制の維持)」などのよりよい和平条件を得ようと考え、この決戦の指揮中枢を守るためのシェルターとして松代大本営の地下壕が計画されたというのだ。この工事には、多くの朝鮮人労働者が動員され、過酷な労働を強いられた。しかし、その犠牲者などについてはほとんど明らかにされていないという。今回、松代に来て初めてそんな場所があったことを知った。
2日目は、松代ラウンドトレイルの大会に参加したのだが、大会の前後に空き時間があり、スタート前に、まず象山地下壕に立ち寄る。見学は無料だが、管理人室に立ち寄り、管理人どこから何人で来たかを告げ、安全のため用意されているヘルメットを着用する。
地下壕入り口の左側に象山地下壕全体の様子が描かれていて、この象山地下壕には、政府、日本放送協会(NHK)、中央電話局などが移転してくる予定だったらしい。
いよいよ地下壕の中に入っていく。幅4m、中心の高さ2.7m、軒高2mの縦坑(本抗)が20m間隔で20本、それをつなぐ横坑(連絡抗)が50m間隔で掘られ碁盤の目のように造られている。全長は約5854mあり、松代で最大の地下壕だという。このうちの519mが公開されている。
数百m進んだところで広い場所があったので、写真を撮る。地下壕の中は、岩がむき出しになっており、こんな場所に大本営を移転しようと考えたこと自体が、当時の日本軍が狂気の沙汰であったことが窺い知れる。それにしても、広大な地下壕を僅か8ヶ月ほどで8割方完成させたという事は、相当な人の数を要したことであろう。終戦に伴い、工事は中止になったというが、強制的に労働に駆り出された朝鮮の人たちが相当数犠牲になったらしく、日本人としてこのような戦争遺産が松代に残っていることを忘れてはならないだろう。
その後、急いでトレランの会場に向かう。
我々の仲間が最後にゴールしたのは、14時過ぎ。まだ明るいので、舞鶴地下壕に向かう。ここも大本営と天皇・皇后御座所(ござしょ)、宮内省が入る予定だったというが、終戦後、地下壕を有効に利用する為、1947年に中央気象台松代分室が設置され地震観測が始まり、現在は、気象庁地震観測所になっている。
主要な地震計は、舞鶴山山頂下100mの松代大本営跡の地下坑道内に設置され、1965年8月3日から始まった松代群発地震で貴重なデータを採取するなど、日本における地震観測研究の中心的組織であったというが、現在は常駐する職員はいなくなっている。
そして、地上部にある半地下式のコンクリート建物は、地震観測室庁舎として利用されているが、当初は、天皇御座所として利用する予定だったという。
室内には立ち入れないが、建物の外から窓越しに部屋の様子を見られる。天皇の居室に予定されていた和室が残っている。実際には、天皇がここを使うことはなかったのだが、莫大なお金が使われたことであろうと思うと、虚しさを感じてしまう。
2日間で、知らなかった松代の歴史的背景を知ることが出来て、大いに勉強になった。
「2024松代トレイルツアー:3日目尼巌山・奇妙山トレッキング」に続く。
2日目は、松代ラウンドトレイルの大会に参加したのだが、大会の前後に空き時間があり、スタート前に、まず象山地下壕に立ち寄る。見学は無料だが、管理人室に立ち寄り、管理人どこから何人で来たかを告げ、安全のため用意されているヘルメットを着用する。
地下壕入り口の左側に象山地下壕全体の様子が描かれていて、この象山地下壕には、政府、日本放送協会(NHK)、中央電話局などが移転してくる予定だったらしい。
いよいよ地下壕の中に入っていく。幅4m、中心の高さ2.7m、軒高2mの縦坑(本抗)が20m間隔で20本、それをつなぐ横坑(連絡抗)が50m間隔で掘られ碁盤の目のように造られている。全長は約5854mあり、松代で最大の地下壕だという。このうちの519mが公開されている。
数百m進んだところで広い場所があったので、写真を撮る。地下壕の中は、岩がむき出しになっており、こんな場所に大本営を移転しようと考えたこと自体が、当時の日本軍が狂気の沙汰であったことが窺い知れる。それにしても、広大な地下壕を僅か8ヶ月ほどで8割方完成させたという事は、相当な人の数を要したことであろう。終戦に伴い、工事は中止になったというが、強制的に労働に駆り出された朝鮮の人たちが相当数犠牲になったらしく、日本人としてこのような戦争遺産が松代に残っていることを忘れてはならないだろう。
その後、急いでトレランの会場に向かう。
我々の仲間が最後にゴールしたのは、14時過ぎ。まだ明るいので、舞鶴地下壕に向かう。ここも大本営と天皇・皇后御座所(ござしょ)、宮内省が入る予定だったというが、終戦後、地下壕を有効に利用する為、1947年に中央気象台松代分室が設置され地震観測が始まり、現在は、気象庁地震観測所になっている。
主要な地震計は、舞鶴山山頂下100mの松代大本営跡の地下坑道内に設置され、1965年8月3日から始まった松代群発地震で貴重なデータを採取するなど、日本における地震観測研究の中心的組織であったというが、現在は常駐する職員はいなくなっている。
そして、地上部にある半地下式のコンクリート建物は、地震観測室庁舎として利用されているが、当初は、天皇御座所として利用する予定だったという。
室内には立ち入れないが、建物の外から窓越しに部屋の様子を見られる。天皇の居室に予定されていた和室が残っている。実際には、天皇がここを使うことはなかったのだが、莫大なお金が使われたことであろうと思うと、虚しさを感じてしまう。
2日間で、知らなかった松代の歴史的背景を知ることが出来て、大いに勉強になった。
「2024松代トレイルツアー:3日目尼巌山・奇妙山トレッキング」に続く。