とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2015四国八十八ヶ所巡り:52番~53番

2015-04-06 17:52:47 | お遍路
昨夜の宿は、ビジネスホテルで食事がないので、道後温泉街の食事処に出かける。メニューは、値段が手頃な天丼御膳にした。


朝食は、近くのコンビニで買ったおにぎりなどで済ませる。7時15分。ビジネスホテル「さくら」を出発する。


このホテルは、道後温泉の歓楽街入り口にある。チェックインする際、怪しいホテルじゃないかと心配になったが、ホテル自体は特に問題なく快適に過ごせた。


賑やかな道後温泉を出て、しばらく進むといつも通りの遍路道に入った。しばらくは、曇りだったが、次第に雨足が強くなり雨具を着る。9時17分。太山寺門前町の入り口に入る。


9時20分。52番札所太山寺の仁王門に着いた。


仁王門から山門までが長かった。さらに10分ほど歩き、9時30分に山門に到着する。


太山寺を出て、次の53番札所円明寺までは、地図上では2.6キロとなっていたので、すぐに着くと軽く考えていたが、曲がり角に来た時、雨が酷くて地図を出すのをためらったのが良くなかった。シールがなく勘で進んだのが、失敗だった。おかげで1.1キロ逆方向に進んでしまい、気付いた時には15分も歩いてしまっていた。急いで正規のルートに戻る。53番札所円明寺に着いたのは、11時だった。


円明寺の境内の中にも門があり、一応この門の前でも礼拝をして入る。


12時頃、国道沿いを歩いていると立っていた女の人からみかんをお接待で貰う。お寿司屋さんの前で、そこの人だった。ちょうどお腹がすいていてランチをする場所を探していたので、そのお店に入る。寿司ランチを頼み、大将とマラソンの事で話が弾んだ。

13時01分。久しぶりに海を見た。お遍路では、初めての瀬戸内海だ。


予讃線の特急しおかぜとすれ違う。これに乗って、第1ステージの最後と第2ステージの最初が始まったのだ。


14時50分。天然温泉「シーパMAKOTO」に到着する。


ここは、何の予備知識もなく予約したのだが、部屋に入ってビックリ。6畳の和室と海が見える展望風呂&洗面所があり、お風呂は循環していていつでも入る事が出来る。格安の料金で温泉旅館の雰囲気を味わえる宿だった。






しかも、この宿は、日帰り温泉施設もあり、塩分を含んだ天然温泉の露天風呂や大浴場が楽しめる。食事の後、露天風呂や大浴場にも入ってみるつもりだ。露天風呂からは、天気が良ければ瀬戸内海の絶景を楽しめるらしい。

今日の歩行距離:間違った分を入れて25.2キロ(通算850.6キロ)
明日の予定:55番札所まで


2015四国八十八ヶ所巡り:番外編7-松山市内観光

2015-04-05 21:25:48 | お遍路
まずホテルから、道後温泉駅まで歩いていく。道後温泉駅は、伊予鉄道城南線の駅で、道後温泉の入り口になる。レトロな作りで明治の雰囲気を感じさせてくれる。


道後温泉駅のすぐ近くに、坊ちゃんカラクリ時計がある。午後1時ちょうどにカラクリが動き出す。




道後温泉駅で、坊ちゃん列車、松山城、リフト券、二之丸史跡庭園をすべて利用できるらくトクセット券を購入する。13時29分発の坊ちゃん列車が入ってきた。


坊ちゃん列車は、整理券方式で定員34名までしか乗車できない。切符を買ってすぐ乗れることができて良かった。順番に中に入って座ると、乗務員が列車の説明をしてくれた。


松山城入り口前で、坊ちゃん列車から下車する。


松山城ロープウェイ乗り場に入場する。


ロープウェイが下りてきた。


ロープウェイだけでなくリフトでも上がれるので、開放的なリフトに乗車する。


登城道を進んでいく。


本丸入り口では、門番が出迎えてくれる。


立派な門をいくつも通り抜ける。




お遍路でいろんな城にも立ち寄ってきたが、やはり松山城は一番立派だ。桜も咲いていてお花見でも賑わっている。


天守閣からは、城内や松山市内が一望だ。


その後、松山城から二之丸史跡庭園まで歩いていく。この庭園は、「恋人の聖地」として、NPO法人地域活性化支援センターに選定されている。和風情緒のある景観に加え、日露戦争時のロシア人捕虜の男性と日本人女性看護師のロマンスを秘めた金貨が出土したことや、結婚式の前撮りの場所として、年間500件ほどの撮影が行われていることなどロマンティックでプロポーズにふさわしい地域として評価されたことによるそうだ。


ここは、本丸を防衛する施設と藩主の生活のための「二之丸邸」が建てられていた場所で、防水用水としての水が溜められていた大井戸がある。大きさは東西18m、南北13m、深さ9mもある。


庭園の奥でイベントが行われており、松山市長の挨拶があった。


ちょうどこの時、松山秋祭りを彩る「四角さん」「八角さん」展示神輿のロープ巻きが、松山春祭りに合わせてのイベントとして開催中だったのだ。昭和の古町神輿の練が四角・八角・千木の3体により豪快に行われた。






練の後、餅まきがあり、私も餅まきに参加する。


ただ、袋も持っていないし、たくさん拾っても食べきれないので、一つだけ拾って良しとした。


その後、再び路面電車に乗って道後温泉駅まで戻った。


そしてやはり最後は道後温泉に入らねば。以前、石鎚山登山の帰りに寄ったことがあるので今回は二回目だ。


入場するにあたって、いろいろランクがあり、今回は二階霊の湯で、浴衣、せんべい、お茶、温泉内見学付きのコースにする。


見学できるのは、「又神殿」と「坊ちゃんの間」だ。「又神殿」は皇室の方々専用のお風呂や休憩所がある。天皇陛下が使った「玉座の間」もある。ただし、こちらは写真撮影禁止だ。

そして、こちらは有名な「坊ちゃんの間」である。夏目漱石が、この部屋で湯上りにくつろいだと言われている。




写真は、左からマドンナのモデルになったと言われる女性、夏目漱石、漱石の夫人。


「坊ちゃんの間」から道後温泉本館前が見える。賑やかな広場には、観光客が行きかっている。


道後温泉本館から少し離れた場所にあるのが、姉妹湯の「椿の湯」だ。その昔、聖徳太子が行啓された時、椿が枝をさしかわすように生い茂っている当時の温泉郷の光景をまるで天寿国にいるようであるとたたえた。椿の湯は、この聖徳太子のことばに起源をもち、その名が付けられたと言われている。                                           


「椿の湯」は、明日の朝風呂にでもしようと思い、そのままホテルに戻った。

2015四国八十八ヶ所巡り:47番~51番

2015-04-05 19:30:07 | お遍路
7時10分。民宿「長珍屋」を出発する。民宿というよりは、ビジネスホテルのような大きな宿だった。売店では、お遍路用品も数多く置かれていた。


7時24分。47番札所八坂寺に到着する。


山門前の極楽橋の上では、ネコが毛づくろいをしている。


大きなため池の横を通る。


8時08分。番外札所の文珠院にも寄って納経する。


8時32分。札始太子堂に到着。お遍路さんの納札は参拝の証であり、名前や願い事などを記入し本堂と大師堂の2ヶ所に奉納するが、その納札の始まりとも言われているお堂がここだ。


9時01分。48番札所西林寺に到着する。


9時59分。49番札所浄土寺に到着する。


10時36分。50番札所繁多寺に到着する。


11時24分。51番札所石手寺に到着する。


石手寺の山門までの参道には、屋台が立ち並んでいる。


石手寺山門に到着。


境内には、三重塔などがあり賑やかだ。


本堂の裏にある山にはマントラ洞窟といわれる洞窟があり、面白そうなので中に入ってみる。


洞窟は、金剛界・胎蔵界のマントラを表現しているそうだ。




ずっと進んでいくと出口に出た。この先には奥の院があったらしいが、この時は知らなかったので、そのまま引き返す。


知恵の輪をくぐって外に出た。


石手寺からしばらく歩き道後公園で昼食とし、昨日貰ったお寿司やサツマイモを食べる。

今日の宿は、道後温泉のビジネスホテルだ。12時30分。そのままホテルに向かい荷物だけ預けて松山市内観光へと向かう(詳細は、番外編7で)。

松山市内の観光を終え、17時頃ホテルに戻った。

今日の歩行距離:14.7キロ(通算825.4キロ)
明日の予定:53番札所まで

2015四国八十八ヶ所巡り:46番

2015-04-04 20:53:08 | お遍路
7時30分。国民宿舎「古岩屋荘」を出発する。


「古岩屋荘」は、古岩屋と呼ばれる景勝地の前にある。ここは、約4500万年前の地層が残る巨大な大岩壁で表面に無数の穴が空いていることから古岩屋と呼ばれるようになったという。紅葉の名所としても知られており、秋になると奇岩の岩壁との対比が美しいそうだ。




「古岩屋荘」からは、44番大寶寺方向に戻る。久万町役場から国道33号に入り、しばらく行くと道の駅「天空の郷さんさん」があり、そこでしばらく休憩する。


11時30分。国道の三坂峠への分岐から遍路道に入っていく。標高720mの三坂峠からの峠道は松山と高知と結ぶ主要陸路として土佐街道と呼ばれている。ここから久谷までの遍路道は、ほぼ昔のまま残っているそうだ。


森の中を進んでいくと、霧で真っ白となっていて幻想的だ。




晴れていれば、松山市内が一望できるそうだが、今日は真っ白で何も見えない。


12時ちょうど。休憩所があったので、道の駅で買ったパンなどを食べて一休みだ。


さらに下って行くと、棚田が広がっていた。きれいに耕してあったが、維持するのは大変だろうと思った。




大きな家が見えてきた。中から、「お接待するから寄っていって」という声が聞こえ、中に入っていく。「坂本屋」という休憩所で、昔は旅館を営んでいたそうだが、今は地元の有志で土日だけお接待をしていているという。おにぎりやおかずを頂く。その後、お汁粉までいただき大満足だ。




この地域でも、旧暦のひな祭りということでお雛様が飾られていた。


お接待のお父さんと一緒に写真を撮る。


坂本屋から15分ほど下ったところに「網掛石」があり、そこの太子堂にお参りをしていく事にした。


すると、そのすぐ近くの家でお花見会が開かれていて、お接待で寄って行ってくれという事で、断る訳にもいかず、少しお邪魔させてもらう。いとこ会ということで、お花見がてら楽しく宴会をされていたようだ。私も、その前でいろいろ食べていたので、あまりたくさん食べれなかったが、すしやビールまで頂き、帰りにはお土産まで持たされた。愛媛でも熱い接待に感激だ。しかも、このお宅の先代が、網掛石の太子堂を自費で建てられたという。


これが「網掛石」だ。昔、弘法大師が大きな石を網に入れて、オウク(担い棒)で担っていたころ、オウクが折れて山へ飛んで行き、石の1つは下の川に落ち、もう1つはこの石であるといわれている。この石は、表面に無数の網目がついているところから「網掛石」といわれている。




しばらく前は、桜が満開だったが、そろそろ散り始めている。


風が出て、桜の花びらが散っていくのが物悲しい。




14時15分。46番札所浄瑠璃寺に到着する。


14時35分。浄瑠璃寺前の民宿「長珍屋」に到着。今日は、曇りでほとんど雨にも降られず宿に着けて良かった。夜は、またしても雨が降るらしい。


今日の歩行距離:27.0キロ(通算810.7キロ)
明日の予定:51番札所まで

2015四国八十八ヶ所巡り:44番~45番

2015-04-03 19:56:57 | お遍路
昨夜の夕食。あまりにも品数が多いのでビックリ。女将さんの軽妙な話術に乗せられて、頑張って完食するものの、このあと、お腹がビックリしたのか下痢気味になってしまう。同宿の他の人は特に問題なかったらしいが、以後午前中はトイレに入りびたりになってしまった。




朝食は、朝早く出られるようにとお弁当にしてくれていたので部屋で食べてから出発する。おなかの調子が今一つなので、おにぎりも少し残し、後で食べられるよう荷物に入れておく。時間は、ちょうど朝6時だった。


沿道の桜は、今日もきれいに満開中だ。


6時58分。三島神社に寄る。ここにトイレがあったからだ。


7時47分。標高570mの下坂場峠を通過。ここで一旦下って行く。


8時44分。標高800mの鴇田峠に到着する。ここが前半のヤマ場である。


峠を下りると、久万町である。ここでは、旧暦のひな祭りが町を挙げて行われていた。




9時51分。44番札所大寶寺に到着する。


大寶寺から山の中に入り峠を一つ越える。


河合の町に下りてから、途中で昨夜同宿だった人と出会い、しばらく一緒に歩く。山とかマラソンが趣味だという事で話が弾み過ぎて、曲がり角を通り過ぎてしまう。途中で気がついたが、その時はすでに遅く大分先まで来てしまっていた。大回りになってしまったが、古岩屋から当初予定していたコースに戻ることができた。45番の岩屋寺は、舗装道路から行くコースと八丁坂から行く二つのコースがある。初めての遍路なので遍路道にこだわり八丁坂経由の山越コースに向かう。山道を上がって行くと渡渉地点もあった。10時半くらいから雨が降り出していて、水量が増すと渡るのが大変になるところだったが、まだ安全に渡ることができた。


12時48分。八丁坂の上り口に到着する。


13時06分。八丁坂の頂上に到着する。ここの標高は760mだ。ここまでが二番目のヤマ場だった。


以後は、アップダウンを繰り返す。尾根伝いの道から下界を臨むが、ガスで良く見えない。


最初は、険しい登りだったが、八丁坂頂上からは、緩やかな道が結構続いていた。


岩屋寺まで残り1キロくらいからぐんぐん下って行く。岩壁に不動明王の洞もあった。


ここが、奥の院の入り口だ。入り口には鍵がかかっている。奥の院に行ってみたい気もあったが、お腹の調子が今一つだったことと雨で体力を消耗していたこともあって、今回は奥の院はあきらめてそのまま岩屋寺に向かう(奥の院に行く場合は、納経所でカギを貸してもらい引き返すことになるのでなおさら行く気がなくなった)。


13時49分。岩屋寺の山門が見えてきた。


太子堂。


本堂。まさに巨大な岩壁からせり出しているような建物だ。


本堂の横に梯子がかかっており、岩壁に作られた修行場まで登ってみる。


ここからの景色もなかなかのものだ。


帰り際に、もう一度本堂を見てみる。やはり凄い岩壁だ。


お地蔵様の数がおびただしい。


14時22分。表参道の山門を出る。


帰りは、楽な車道経由で2.6キロ程歩き、今夜の宿である国民宿舎「古岩屋荘」に15時頃到着する。宿に着いたら、驚くことに同じ町内の人と偶然出会う。本当にご近所さんだったのでビックリだ。世の中は狭いものである。

今日の歩行距離:30.6キロ(通算783.7キロ)
明日の予定:46番札所まで

2015四国八十八ヶ所巡り:内子町~砥部町

2015-04-02 16:18:17 | お遍路
7時30分。民宿「シャロン」を出発する。ここは、1階がレストラン&喫茶で2階が宿だった。


10分ほど歩くと、44番と45番の案内板があった。44番大宝寺までは、まだ43キロもある。


今日は、しょっぱなからお花見だ。小田川沿いに色とりどりの桜が満開である。




7時46分。道の駅「内子フレッシュパークからり」を通過する。


ある民家の軒先には、おびただしい数の風車が吊るされていた。また、くまモンの絵もあり、家主の趣味なのだろうか?


またもや、桜の木が…。




9時35分、「大瀬の館」前を通る。旧大瀬村役場であった明治中期の建物を改修し、ギャラリーや宿泊利用として地元住民により運営されている交流施設である。この近くには、ノーベル文学賞作家である大江健三郎の生家があるそうだ。


大瀬の館前にある「大瀬の米蔵」。農協が使用していた米倉庫を改修し、ギャラリーや文化交流などに使用されているそうだ。あいにく、この日は閉館となっていた。




この大瀬の成留屋地区も古い町並みが整然と並び、旧村役場や米蔵などの貴重な建物が保存活用されている景観形成地区だ。




大瀬小学校前の桜


またもや面白い家を見つける。木彫りのペンギンや犬が所狭しと置かれている。良くもこれだけ作ったものである。


その後も、至る所で桜が満開となっている。






まさに花遍路の醍醐味を味わうといったら、今日のような日の事であろう。




道路に散った桜の花びら。明日から、雨の日が続きそうなので今日が見納めかもしれない。


13時。薬師堂近くの遍路小屋で休憩する。今日の宿は、もう2キロしかない。このまま行ったら早すぎてしまうので、遍路小屋でゆっくり休憩する。


14時15分。途中でもう一回遍路小屋で休憩して、宿に着いた。今日の宿は「えびす屋旅館」だ。蔵の入り口にえびす様があったのですぐに分かった。


あすは、44番大宝寺と45番岩屋寺だ。特に岩屋寺は、巨大な岩壁を背にして、本堂と大師堂が建っているという。中でも本堂は、垂直に立った岩壁の前に立っていて、まるで岩の中から飛び出しているように見えるというから、どんなところか楽しみだ。

今日の歩行距離:21.8キロ(通算753.1キロ)
明日の予定:45番札所まで

2015四国八十八ヶ所巡り:番外編6-内子町街並み散歩

2015-04-01 19:15:22 | お遍路
内子町の八日市護国重要伝統的建造物群保存地区は、ハゼの流通で財をなした商家が建ち並ぶ町並み保存を手かがりに、白壁と木蝋のまちづくりを進められ、江戸後期から明治、大正期とそれぞれの時代に建てられた建造物が並んでいる。200年以上に及ぶ時の流れを感じることができ、見どころ一杯の街並みであった。

まず最初に、内子町ビジターセンターに寄って町の概要を調べる。


ビジターセンターからしばらく行くと、「住まいと暮らし博物館」がある。


江戸時代後期から明治時代の商家をそのまま利用し、大正10年(1921)頃の商家(薬屋)の商いと暮らしを人形と当時の道具類を使って再現している。






各部屋に行くと、センサーで人を感知するらしく、突然しゃべりだすのが面白い。昔の薬屋の人々の暮らしぶりがわかるようになっている。




酢卵で有名らしい森文茶屋。茶屋内では、森文醸造の商品が試食・体験でき、森文の水戸黄門が目印だ。


旭館。森文醸造(株)など地元有志が大正14年に作った活動写真館。こんな映画館の建物が現存しているなんて驚きだ。


さらに白壁の街並みを進む。




本芳我家住宅。庭だけ見学できる。




屋根の下の飾りが凄い。


木蝋資料館上芳我邸。




上芳我家は、内子最大の製蝋業者であった本芳我家から分家した家で、木蝋生産を営んだ商家だという。木蝋で財を成した商家を見学できるが、その贅沢な造りに圧倒される。








邸宅とは別に、木蝋資料館が併設され、木蝋の作り方を詳しく知ることが出来る。






これは蝋を絞る設備。他にも、木蝋作業場であった晒場や作業工程の「釜場」なども見ることが出来る。


いろいろ見てたら、あっという間に1時間も経ち、そろそろ宿に行かねばと引き返した。

2015四国八十八ヶ所巡り:自宅~内子町

2015-04-01 17:47:52 | お遍路
今日から第2ステージの開始だ。朝自宅を出て、一路岡山まで向かう。再び瀬戸海峡大橋を渡るが、あいにくの雨模様の天気で海はすっきり見えない。




岡山からは、しおかぜ9号という特急電車に乗ったのだが、この電車がアンパンマン列車だった。たまたまの偶然だ。先頭車両は、バイキンマン号となっている。




7輌か8輌編成で、各車輌ともアンパンマンのキャラクターでラッピングされている。






しかも、1輌目のグリーン席は、アンパンマンのキャラクターで埋め尽くされている。これは、小さい子には大人気だろう。孫をこの電車に載せてあげたくなったくらいだ。




最後尾は、ショクパンマン号である。


松山駅で、電車を乗り換え内子駅で降りた。四日前ここから帰ったことが思い出される。内子に着くと、既に雨は上がっていた。


内子の町も、桜が満開になっている。


今日も、内子の重要伝統的構造物群の街並み散歩をしてから宿に向かった。街並み散歩の詳細は、番外編6で。

街並み散歩を終え、午後4時半、民宿「シャロン」に到着。明日から、本格的にお遍路が始まる。

今日の歩行距離:4.3キロ(通算731.3キロ)
明日の予定:44番札所手前15キロくらいまで(砥部町広田)

2015四国八十八ヶ所巡り:番外編5-内子町観光

2015-03-29 10:48:05 | お遍路
内子町には歌舞伎劇場があると、くーかいさんが教えてくれたので、まずは行ってみようと思っていた。運がいい事に泊まる宿のすぐ近くだ。受付終了時間が16時半だったので、宿のチェックインをする前に先に見ていく事にした。

劇場へと続く路地沿いにも幟旗が何本も掲げられ、歌舞伎劇場があることを猛烈にアピールしていた。狭い路地を曲がると歴史的価値がありそうな「内子座」がドーンと建っていた。この建物は、明治末から大正にかけて内子の町が木蝋や生糸などの生産で栄えていた頃、地元の人々の娯楽の場として発案され、大正天皇の即位を祝して地元有志の出資により創建されたという。




受付を済ませ、中の廊下に入ると歴代の歌舞伎役者の写真が飾られていた。


そして、劇場内に入ると昔ながらの枡席に区切られている。うしろから前に向かっては傾斜になっていて、二階席もあり、花道もしっかり付いている。できれば、歌舞伎をやっている時に入ってみたかった。




奈落の入り口。舞台裏まで見せてもらえるのだ。




奈落とは、舞台の下や歌舞伎の花道の床下の空間のことで、廻り舞台や迫り出しの装置があるほか、通路にもなっている場所の事だ。


そして、翌日は内子町でもかなり山奥にある見どころ見学だ。こちらは、神戸のイノさんの情報で行ってみる事にした。内子の町から麓川をさかのぼったところにある、棚田の田園風景が広がるエリアである。地元の人々が作った石畳清流園では、水車を回して精米をしているそうだ。




ただ残念なことに、水量が少ないのか水車は回っていなかった。




次に向かったのが、弓削神社だ。入り口には、太鼓橋と呼ばれる屋根付橋があり、橋を渡って神社に入っていく。鬱蒼と樹木が茂り神秘的な雰囲気がする。






弓削神社の創建は応永3年(1396年)と伝えられているそうだ。氏子の人々は「日参り信仰」を続け、1日も欠かすことなく旗を掲げ、五穀豊穣と家内安全を祈願しているという。




屋根付橋の前には、太子堂もあった。


弓削神社から少し下ったところに、「東のしだれ桜」がある。まだ早いかとは思っていたが、案の定早かった。樹齢350年ともいう立派なヒガンザクラだが、このところ寒かったせいか、見頃になるには10日くらい先のようだ。それでも、朝から地元の人たちが総出で桜祭りの準備をしていたのが面白かった。






最後に寄ったのが、弓削神社と同じく屋根付の「田丸橋」だ。生活道路としてはもちろん、農作物の保管場所や井戸端会議の場所としても利用されていたというが、屋根付きの橋というのは他では見たことがない。




この橋は、ドラマ『坂の上の雲』で、正岡子規の妹・律が幼馴染の真之を追いかけて駆けていく場面が撮影されたという。残念ながらそのシーを見てはいないが、どちらかというと映画「マディソン郡の橋」の日本版のような気がした。




さて、これ以上いろいろ見て回るとタクシーメーターの上がり具合も気になってくるので、そこそこにして内子駅に戻った。くーかいさん、神戸のイノさんのおかげで、面白いものを見ることができて良かった。今後とも、いい情報の提供をお願いします。ありがとうございました。

2015四国八十八ヶ所巡り:内子町~自宅(第1ステージ終了)

2015-03-28 19:18:56 | お遍路
宿泊した「松乃屋旅館」には、38年前だが「男はつらいよ 19作」の山田洋次監督、渥美清、真野響子、嵐寛寿郎等が宿泊したらしい。大洲でロケが行われたが、宿泊は内子だったようだ。


7時45分。「松乃屋旅館」を出発する。


旅館を出て、しばらく行くと川沿いに桜が見えた。しだれ桜並木だ。まだ、7~8分咲くらいだが、このくらいなら午後にはもっと見頃になっていたかもしれない。




その後、内子駅まで歩いていったが、まだ午前8時で時間がありすぎる。やはり神戸のイノさんが教えてくれた屋根付きの橋などを見に行きたくなり、ちょうど駅前で止まっていたタクシーで行ってみる事にした(詳細は、番外編5で)。

1時間ほどのドライブの後、内子駅に戻り、松山行きの特急「宇和海」に乗る。


松山で、特急「しおかぜ」に乗り換え、岡山まで向かう。


お昼は、松山駅で買った「マドンナ弁当」だ。




丸亀駅付近からは、おむすびのような形の飯野山(通称:讃岐富士)が見えた。ちょっと登山意欲を掻き立てられる山だ。


そして、瀬戸海峡大橋を渡り、いよいよ本州に入っていく。これで、四国とはお別れだと思うと名残惜しい気分だ。




夕方、無事自宅に帰る。家に帰って、靴底を見たらこんなにも減っていた。良くも頑張ってくれたものである。ついでにザックの重さを測ってみたら10キロ近くあった。次回は、もう少し軽くしなくては…。


今日の歩行距離:0.6キロ(通算727.6キロ)
今後の予定:第2ステージ 4月1日より。