とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2021熊(くんま)ノルディックウォーキング

2021-05-03 23:15:35 | ウォーキング
5月初旬、天竜区の熊(くんま)で行われたノルディックウォーキングのイベントに参加してきた。いわゆる二本のポールを持って歩くウォーキングイベントだ。

スタート会場は、「道の駅 くんま水車の里」の広場だ。初めての人もいるので、ポールを乗っての歩き方の練習を最初に行う。私は、登山でも2本のポールを使って歩いているので、普段通りに歩く。


一通り、体操と歩き方の練習をして、ここからスタートする。この日の予定は、ヒラシロ遺跡までの往復約8キロほどだ。


道の駅の駐車場には、たくさんのバイクが止まっている。連休がスタートして、バイクのツーリングに出かける人たちも多いようだ。


ノルディックウォーキングの事務局のある「健康長寿の邑くんま」の前を通過する。


一列で距離を取りながら、ガイドの後を進んで行く。


今回のコースは、東海自然歩道の天竜美林コースである。


熊の地域の人々の信仰を集めている社などの説明を聞く。


クルミの花が咲いていた。クルミの花は、なかなかめったに見られるものではない。


観音様が祀られている場所。かつては三十三観音揃っていたそうだが、明治時代に発せられた神仏分離令により、全国各地で廃仏毀釈運動がおこり、多くの観音様が失われ、現在は18体ほどしか残っていないそうだ。


コースの途中で見かけたドクロの案山子。遠くからは、カッパを着た人が作業しているかに見えたが、胴体がないので何だろうと思ってよく見たら案山子だった。夜中に見たら恐ろしい。


茶畑の間を通っていく。


きれいに刈り取られた茶畑の緑が美しい。


静岡県指定文化財「柴のタブノキ」。




ヒラシロ遺跡に到着する。平成4年1月、柴の八王神社の南側で、工事中、縄文時代中期終わり頃(約4、500年前)の「住居跡」1軒が発見された。住居の中央には「石囲い炉」、その周囲には「柱穴」、「貯蔵穴」があり、平成5年度に「ヒラシロ遺跡公園」として整備されたという。


遺跡の状況を元に、1軒の住居が復元されている。


中に入ってみると、意外に広く、住みやすい感じがした。


藤の横で、ガイドさんの説明を聞く。


視線の先には、静岡県の古くからの銘茶の産地のひとつ「天竜茶」産地にあり、その中でも、標高450m~650mと、静岡県内でも最も高いところでお茶作りをしている茶畑だ。2015年度の全国茶品評会で全国1位農林水産大臣賞を受賞した茶畑もこの中にあるそうだ。


ヒラシロ遺跡からは、「道の駅 くんま水車の里」方面に戻る。帰りは、少し違うコースのようだ。

帰りの道では、山椒の花が咲いているのを教えてもらう。山椒の花もなかなか見られるものではない。


ウォーキング中は、天気が不安定で、雨が降ったり止んだりの状況だったが、ガイド付きで熊地域の歴史や自然を教えられながらの楽しいウォーキングだった。

参考1.熊(くんま)ノルディックウォーキングのコースマップ


参考2.熊(くんま)ノルディックウォーキングの高低図&タイム

2020JRさわやかウォーキング~城跡コース~

2020-02-03 22:19:33 | ウォーキング
1月に続いて、2月もウォーキングに参加してきた。今回は、JRと天竜浜名湖鉄道の共催で天浜線桜木駅からJR袋井駅までの約13キロのコースだ。パンフレットを見ると、体力に自信のある方向けの健脚向けコースとなっていた。

まずは自宅から遠州鉄道西鹿島駅まで向かい、天浜線に乗り換え桜木駅で降りる。桜木駅は、周辺に大手企業があり、結構通勤客の乗降が多いそうだ。桜木の由来は近隣にある雨桜神社とこの周辺の地区名である垂木のそれぞれから一文字ずつとって桜木という地名が生まれたという。桜木駅本屋及び上りプラットホームは国の登録有形文化財に登録されており、レトロな雰囲気がなかなかいい。


駅前で、JRさわやかウォーキングの受付があり、コースマップを貰ってスタートする。


住宅地を抜けると、直ぐに田園地帯となり、青空のもと、サクサクと歩いていく。


1時間ほどで、油山寺に到着する。遠州三山の一つ医王山薬王院油山寺(いおうざんやくおういんゆさんじ)は、大宝元年(701)に行基大徳によって開山された真言宗のお寺だ。油山寺という名前は、昔この山から油が湧き出ていたため「あぶらやま」と呼ばれていたことに由来している。


油山寺は、行基大徳による開山から1300年あまり、目や足腰にご利益があると、親しまれ、目の霊山として知られている。


「瑠璃の滝」。孝謙天皇が御眼の病気を患った折、境内を流れる「るりの滝」に加持祈祷を行い、この霊水で御眼を洗ったところ、病気が全快したといわれている


瑠璃の滝前にある滝堂の天井には見事な「白龍の画」が描かれている。


三重塔。建久元年(1190)に源頼朝公から眼病平癒のお礼として建立された。その後、戦国時代の兵火にさらされ、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて再建したといわれている。滋賀県の長命寺と京都府の宝積寺(ほうしゃじ)の三重塔と共に「安土桃山期の三名塔」の一つに数えられている。塔の高さはおよそ23メートル。上層にいくほど塔身が細くなるよう設計されており、安定感のある美しい塔だ。


一番上まで上がって行くと、薬師本堂がある。本堂には本尊の薬師如来と油山寺の守護神である軍善坊大権現が祀られている。


本堂の内部を見ると、目の霊山という事で「め」という文字が目立つ。絵馬には、目の病が治るようにと書かれたものがほとんどだ。


油山寺からさらに1時間ほど歩くと、可睡斎に到着する。東海道一の禅の修行道場である可睡斎は悠久六百年の歴史を刻む徳川家康公が名づけた古刹。現在は、曹洞宗・専門僧堂として多くの雲水(修行僧)が修行をしているそうだ。


可睡斎には何度も来たことがあるのだが、国登録有形文化財に登録された瑞龍閣にはまだ入ったことがなかった。今回は、目玉である「ひなまつり」のイベントが開催されているという事で、入場料を払って初めて中に入る。ウォーキング参加者には、入場料の割引がある。迷路のように張り巡らされた会場の中には、あちらこちらにお雛様が飾られている。


庭園前の廊下にも、お雛様がずらっと飾られている。




瑞龍閣のなかにあるトイレは「日本一の東司(とうす)」と呼ばれ、炎の神「宇烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)」が祀られている。炎の神様は「烈火で不浄を清浄とする」とされ、本来清浄なる自己に目覚めさせる徳をもつといわれている。その効力なのか、とても清潔で綺麗なトイレだ。


さて、油山寺の「ひなまつり」イベントのメイン会場に入る。2階の「菊の間」と「牡丹の間」は各50畳もあり、木造建築物としては日本有数の規模だ。そして「牡丹の間」には、高さ3.5メートル・重さ50キロの巨大な「傘福」と、可愛らしい「2,000体さるぼぼ」が展示されている。




圧巻なのは、「菊の間」に飾られた"日本最大級のひな飾り"だ。きれいに並べられた32段・約1,200体のおひな様は、今にも天井に届きそうである。ひな壇は、幅9メートル・高さ3メートルにも及び、凄い迫力を感じる。




1階では室内ぼたん園も開園しており、展示・グルメ・体験など、ひなまつりに関連したいろんなイベントが開催されていた。




可睡斎では、寺院に参拝する事より「ひなまつり」イベントで十分満足してしまった。かなり見学で時間もかかり、ゴールの締切り時間も考えると、次に行かなければならない。その後も、せっせと歩き、タイトルにもある城跡に着いた。場所は、久野城址だ。久野城は袋井市鷲巣に所在する平山城で、東海道を見渡せる位置にあり、明応年間(1492~1501)に久野宗隆によって造られたと伝わっている。


久野城址は、「袋井メロンマラソン」のコースとして、いつもこの横を通り過ぎていたのだが、一度も意識したことがなく、今回初めて城址だったことを知った。整備された階段を登っていくと、“北の丸”の場所に出た。枯草が生い茂り、城址らしきものはない。


さらに上に上がって行くと、“本丸”があった場所に出た。“北の丸”よりもかなり広い。


南側は見晴らしがよく、袋井市内が良く見える。ベンチの横には、大きな看板が立っている。


何が書かれているのかと、回って前を見てみると「久野城址」と書かれていた。これだけ大きければ、市内からよく見えるのだろう。


久野城址を出ると、14時を回っていた。ゴールの15時には1時間もない。東海道どまん中茶屋に着いたのは14:45。お茶を頂いて、いそいで袋井駅に向かう。


最後は、小走りや速足で14:57くらいにゴールに到着。ぎりぎりセーフで完歩のスタンプを頂くことが出来た。


袋井駅からは、JR掛川駅まで戻り、天浜線の西鹿島から遠州鉄道経由で帰宅する。さすが健脚コースというだけあって、自宅に着くと歩数は3万歩にも達していた。このところ良く歩いているので、ちょうどいい足慣らしになった。

参考.今回のコースマップ

2020天浜路ヘルシーウォーク:天竜区二俣周辺

2020-01-22 22:47:04 | ウォーキング
スキーから帰った翌日の日曜日は、特に予定がなかったのだが、妻がウォーキングに出かけるというので一緒についていくことにした。遠州鉄道に乗って西鹿島駅で降りると、妻の友達とも合流しウォーキングをスタートする。9:15。まずは、天竜川に向かって歩き出す。


天竜川に架かる鹿島橋を渡る。青空が広がりこの日もいい天気だ。


天竜川に架かる鉄橋は、天竜浜名湖鉄道の線路だ。


鹿島橋を渡り切り、右側の細い道に入ると、筏問屋「田代家」がある。田代家は、徳川家康の遠州経略に協力した功績で、天竜川の筏川下げと諸役免除の特権を与えられたことを機に天竜川の筏問屋経営を始めた。重厚な佇まいの屋敷には天竜川舟運の資料などが展示されており、主屋と土蔵の2棟は国の登録有形文化財だ。




田代家の庭には、遠州最古の紀州みかんの木が植わっている。来場者には、この遠州最古のみかんを味わうことが出来る。実の色は温州みかんと比べるとやや薄く、種がたくさんあって多少酸っぱい。


田代家から二俣の中心部を抜け、二俣小学校を過ぎると清瀧寺がある。清瀧寺には、徳川家康の長男で、織田信長に謀反の疑いをかけられ二俣城で切腹したという岡崎三郎信康の墓がある。岡崎三郎信康は、本来なら徳川家康公の嫡男として二代将軍になっていたかもしれない戦国時代の悲運の武将だ。清龍寺は、まさしく信康を供養するために家康により建立された寺であり、清瀧寺の名を与えたのも家康自身である。




信康ゆかりの清龍寺には、本田技研の創始者である本田宗一郎が、少年時代弁当を早く食べたいために正午を知らせる鐘を30分前に、ここで突いたという。




清瀧寺の本堂へ向う坂の途中には池があり、その池に一筋の水が滝のように落ちている。この水は、裏山から湧き出た水で、未だに枯れたことがないという。


清瀧寺の隣には、本田宗一郎ものづくり伝承館がある。国の登録有形文化財(建造物)に登録されている旧二俣町役場を改装した建物で、昭和初期の面影が残っている。1階には本田宗一郎の軌跡をたどる年譜や写真・映像、関係者の談話、遺品、初期のバイクなどが展示されている。2階は関連図書が閲覧できるほか、ものづくりの楽しさを伝えるワークショップや、特別展などのイベントスペースになっており、本田宗一郎の「人となり」や「ものづくりの精神」に触れることができる施設である。初めて入館したが、無料で見学出来るのがありがたく、今回のウォーキングでは一番面白かった施設だ。


バイク好きにはたまらないようなイラストが、売店で販売されている。


本田スーパーカブ。耐久性と経済性に優れ、発売開始後50年以上を経ても多くの原設計を引き継ぎ、改良を続けながら継続生産販売されている。本田技研工業の調べでは、スーパーカブの累計生産台数は2017年10月時点で1億台に達し、輸送用機器の1シリーズとしては世界最多の生産台数および販売台数を記録しているという。まさに本田の最高傑作だ。


初期の名車もずらりと展示されている。


2階には、精密イラストレーションの第一人者柴田制作所柴田賢二氏のイラスト原画が展示されている。


陸軍中野学校二俣分校校趾碑。陸軍中野学校二俣分校とは、ゲリラ戦要員の短期育成を目的とした大日本帝国陸軍の教育機関。帝国陸軍の解散とともに廃止された。諜報や防諜、宣伝など秘密戦に関する教育から、ゲリラ戦術の教育に変化していった中野学校とは異なり、当初からゲリラ戦術、破壊工作の訓練を目的に設置された施設だったという。しかし、二俣にこのような学校があったとは思いもよらなかった。


浜松市天竜区山東にある光明山光明寺は、奈良時代(養老元年・717年)に行基により開創された遠州地方の名刹だ。毎年1月の第3日曜日に大黒天像の大祭「初甲子祭」が開かれる。この日はちょうど「初甲子祭」の日に当たり、多くの参拝者で賑わっていた。




周囲約10mの一本杉の木で彫られた日本最大級の黄金に輝く大黒様(高さ約4m)。この日、光明山の大黒様にお参りをした後に、新しいお財布をおろすと特にご利益がいただけると言われているそうだ。


光明寺の前には、光明山古墳(墳長83m)がある。浜松市内最大の前方後円墳だ。ただ、残念なことに雑草が生い茂り、一見するとただの小山にしか見えないような状態になっている。


ウォーキングも後半になってきたころ、ケーキ屋さんがあったので、ランチのデザート用にショートケーキを買っていく。


“天竜山の市”の広場で、ランチとデザートでしばらく休憩する。その後、曹洞宗の古刹で、可睡斎(袋井市)の末寺に当たる栄林寺に立ち寄る。


東谷山栄林寺の毘沙門天を祀る毘沙門堂。


12:50。天浜路ヘルシーウォークのゴールとなる天竜二俣駅に到着する。ここで、ウォーキングを完歩したというスタンプがもらえる。約7キロのお手軽ウォーキングだった。


しかし、ここで終わりではやや歩き足りない。そこから、さらに歩いて飛龍大橋を渡り、西鹿島駅まで歩く。


西鹿島駅まで歩くと10キロほど歩いたことになる。この辺りは何度も来たことがあるのだが、いろんな施設や名所をゆっくり見た事がなく、名前は知っていても、初めての場所が多く新鮮な気持ちで見て回ることが出来て良かった。

参考.今回のコースマップ

2018JRさわやかウォーキング:豊川いなり寿司フェスタin豊川稲荷

2018-12-08 22:35:21 | ウォーキング
今日は、妻とその友人でJRさわやかウォーキングに行くというので、予定がなかった私もそれに便乗していくことにした。最近、ウォーキングも毎日やっているので距離を稼ぐつもりでもあった。

最近は、歩く人も多く、このような鉄道会社が企画するウォーキングイベントはよく見かける。このイベントのいいところは、予約も参加料もいらないということだ。時間だけ合わせて急に思い立って参加することもできる。

今回のコースは、飯田線の三河一宮駅から砥鹿神社、大いちょう、ヤマサ、桜ケ丘ミュージアム、豊川稲荷を経て豊川駅までの約10キロのコースだ。豊橋駅から飯田線に乗り換えるといつも乗車人数が少ない飯田線の車両が満席になっていた。ほとんどウォーキング参加の人たちのようだ。三河一宮駅に停車すると、一気に客が下車して列車内はガラガラとなっていた。神社の社をかたどったような三河一宮駅を出るとJRの職員たちがパンフレットを配っていた。ここからウォーキングのスタートだ。


10分ほど歩くと、砥鹿神社の境内に入る。


砥鹿神社里宮本社には、大己貴命(おおなむちのみこと)がお祀りされている。大国様(だいこくさま)と慕われる御祭神は、福徳の神・国土開拓の神・縁結びの神として尊崇され、交通安全・家運隆昌・厄難消除等の御利益があるとされている。四囲を欅、楠の大樹に囲まれて、荘厳な檜造りの社殿が建つ。その信仰の歴史は千三百年を遡り、古くから朝廷の崇敬篤く、平安時代には「延喜式内社」に列せられ、三河国の国司が国内神社に巡拝奉幣する筆頭神社「一之宮」となったという。また砥鹿神社奥宮は、本宮山にある。


砥鹿神社を出て、道を下っていくと、のどかな田園地帯に入る。さわやかウォーキングにふさわしい風景だ。


さらに10分ほどで一宮地域の人たちが開催するイベント会場に着いた。会場では、焼き芋や甘酒をいただく。

 
会場の奥には、大和保育園の裏手にあたる場所にいちょうの巨木が立っていた。高さは約25mで、枝は水平方向に10m以上あり、毎年12月初旬には鮮やかな黄色に色づき、遠くから見るとまるで、打ち出のこづちに見えるという。「大和の大いちょう」と呼ばれ、一宮のシンボルになっているそうだ。残念なことに、10月の台風24号の塩害の影響で、南側の葉が茶色に変色したり、枯れてしまっている。もとに戻るにはかなりの年月がかかりそうだ。


東名豊川インターを潜り抜けると、ヤマサちくわの里があり、そこでちくわの試食などをしていく。

桜ヶ丘ミュージアムでは、古代から現代までの郷土の歴史を系統的に展示している歴史常設展や、市民の写真などを展示した市民ギャラリーを見学していく。ちょうど特別展として開催されていた「大岡越前守忠相と豊川展」では、天下の名奉行としてその名をうたわれた大岡越前が、豊川のお殿様だったということを初めて知った!


ゴールまであとわずか。稲荷公園に入る。


豊川稲荷「千本のぼり」の中を進む。のぼり1本奉納すると、1,000日分の精進の効果があるそうだ。


豊川稲荷本殿にお詣りしていく。


この日は、豊川いなり寿司フェスタなるイベントが行われており、いなり寿司の食べ比べがあった。数種類のいなり寿司を買って無料の味噌汁と一緒に食べる。


会場では、「いなりんのお誕生会」もお行われ、いなりんからお餅のプレゼントを受ける人たちの行列が続いていた。いなりんは、愛知県豊川市の観光マスコットキャラクターだ。


豊川稲荷を出る。


12:30。豊川駅に到着してウォーキングのゴールとなった。10キロほどのコースを4時間ほどで歩き、初めてのさわやかウォーキングを楽しむことができた。


参考.今回のコースマップ