金曜日の夜、北陸道神田PAに到着し車中泊後、土曜日の早朝木之本ICから余呉湖へ向かった。琵琶湖の北にある余呉湖は周囲6.4kmほどの小さな湖である。余呉湖は流入する川も流出する川もなく、神秘の湖として古くから鏡湖(きょうこ)とも呼ばれていたという。
今回は、ヒロボーさんや主催者のN部さんの誘い等もあり、かっちゃんやkazukawaさん達と余呉湖で行なわれる「天女の羽衣伝説ウルトラマラソン」に参加することにしたのだ。スタート会場となる国民宿舎「余呉湖荘」の駐車場には既に多くの車が止まっていた。
駐車場から道路に出た所が、スタート・ゴール地点である。周辺では、スタッフが受付やらスタート前の準備等で忙しそうに働いていた。参加者で余裕がある人は、余呉湖の風景をカメラで撮っていたりしている。我々も急いで支度をして、受付を済ますため受付テントに向かった。
受付をする参加者や荷物を預ける参加者たち。スタート地点前にある電光掲示板の時間はまだ0である。
国民宿舎「余呉荘」前で、大会の注意事項などの説明を主催者から聞く。
スタート地点の幟下で参加者全員で記念撮影だ。今回はかなり人数が増え80名近くになったという。気温が低く、今にも雨が降りそうな天気ではあったが、みんな楽しそうな表情を浮かべている。全員笑顔で記念写真が撮れたようだ。
スタートは午前7時で午後5時の時点で競技終了となる。コースは一周7キロの余呉湖を10周する周回コースであり、ほとんどフラットなコースだ。ゴール前のエイドに飲み物、食事があり、中間点前後に2箇所飲み物エイドがある。1周10キロだと長いような気がするし、5キロでは短すぎる。7キロくらいが丁度いい絶妙の距離といえる。エイドも3.5キロごとにあると考えれば充分だといえる。
スタート前の余呉湖の湖面は鏡のように平で波一つない。湖面に映る山影と湖面に浮かぶ白い霧は、伝説の湖をこれから走るというイメージを彷彿させてくれた。だが、気温は思いのほか低く、温かい太平洋側と比べ春の訪れが遅いのを改めて認識させられた。
スタートして1~2周目くらいまでは、曇りで日が少し射したりもしていたが次第に雨が降り始め、風も強くなってきていた。湖面も風で波立ちスタート前の様相と激変していた。1~2キロ地点は風の通り道になるのか、周回するたびに同じ場所で強風に苛まれた。なかなか天気が回復しないまま何度も余呉湖を周回する。7周目辺りくらいから雨がやみ日がちらほら射してくるようになった。同じコースを何度も走るので、コースの状況写真は、晴れてきた最後の10周目で撮ることにしていた。以下10周目で撮影したコース状況写真だ。
ゴール前のエイドで、周回毎のチェックを自分で済ませる。チェックは自分でしなければいけない。ただし役員のほうでもチェックはしてくれていたようだ。そして、9周したランナーには赤いた襷が掛けられ最後の周回とわかるようにしてくれる。
これは、エイドで用意されている果物やパン。他にもおにぎり、トン汁、ケーキ、コーラ、スポーツドリンク、お茶、コーラ等が用意されている。
1キロを過ぎた辺りから桜並木が始まる。まだ寒くこの辺りは3部咲きくらいである。そして、風が強かった場所でもある。
2キロほど行った辺り。この辺りの桜は7~8分咲きといったところだ。
日が射して朝より花びらが大きくなってきたようだ。
2.5キロ辺りにある「岩崎の大岩」。案内板にはこう書かれている。「岩崎山には湖岸に大岩が突出し、志津ヶ岳合戦には高山重友の砦があった。古代には近くに智者寺・蓮法寺があり、これと並び岩崎の大岩として人々から崇敬されていたが道路拡張で取除かれた。この岩は当時を偲ぶなごりである」
3キロ辺りの余呉川導にある桜並木と菜の花群落は見事である。ここを通るたびに癒される感じだ。
そしてほぼ中間点にあたる地点が、今大会のタイトルにもなった「天女の羽衣伝説」の発祥の地である「天女の衣掛柳」がある場所だ。この柳はマルバヤナギといい落葉して幹と枝だけなのだが、葉が伸びてくると見事な大木に見えてくるそうだ。案内板には、伊香刀美という男が舞い降りた天女の衣を隠し、帰れなくなった天女を妻とし、その子孫が伊香郡開拓の祖となったという伝説と、菊石姫伝説にも出てきた桐畑太夫の妻となった天女が一男を産んだが衣を見つけて天に帰り、残された幼児の泣き声を法華経のように聞いた菅山寺の僧が養育し、菅原是清が養子として引き取り京都で成人して菅原道真になったという伝説が紹介されている。
衣掛柳の前で記念写真だ。因みに日本の天女伝説は、北は北海道から南は沖縄まで50余箇所にあるという。余呉湖、三保の松原、丹後の奈具が日本3大天女伝説となっていて、余呉以外の地域の天女伝説では羽衣をかけるのは松がほとんどであり、柳が登場するのは余呉だけらしい。
JR北陸本線の横を通り、余呉湖畔西岸に入る。西岸には集落があり、細い道をしばらく走る。車が通るとちょっと狭い道だ。周回中には、仲間の走友たちと何度か出会う。
6キロ地点では、「菊石姫と蛇の目玉石」と呼ばれる大岩が現れる。玉垣で囲われた大岩の上にお飾りがしてあり、神聖な雰囲気がある場所だ。周回中、お参りしている人たちを何度か見かけた。案内板によれば、仁明天皇の頃、領主桐畑太夫の娘の菊石姫が干ばつ時に余呉湖に身を投げ、蛇身となって雨をふらせ、母に疫病の薬にと蛇の目玉を抜き取って湖中から投げたところ、石に目玉が落ちて跡が残ったので、以来この石を「蛇の目玉石」という、と書かれている。
目玉石の近くには、賤ケ岳合戦の時、柴田勝家側にいた青木新兵衛という槍の名手が血糊のついた槍を余呉湖の水で洗ったという場所が、槍洗いの池として史跡になっている。
前方に見えるのが、ゴール地点の国民宿舎「余呉湖荘」だ。10周目でここまでこればゴールは間近となる。
タイムは8時間6分だった。最初の2週目くらいはキロ6分ペースだったが、あとはキロ7分ペースで走った勘定だ。エイドごとで休憩していたが、それ以外はほぼイーブンでコンスタントに走れたといえる。一緒に走ったかっちゃんがいいペースだったので、自分も合わせることが出来、満足できたタイムだったといえる。
ゴール後は、夕食、懇親会へ突入する。続きは、《夕食・懇親会編》へ。
今回は、ヒロボーさんや主催者のN部さんの誘い等もあり、かっちゃんやkazukawaさん達と余呉湖で行なわれる「天女の羽衣伝説ウルトラマラソン」に参加することにしたのだ。スタート会場となる国民宿舎「余呉湖荘」の駐車場には既に多くの車が止まっていた。
駐車場から道路に出た所が、スタート・ゴール地点である。周辺では、スタッフが受付やらスタート前の準備等で忙しそうに働いていた。参加者で余裕がある人は、余呉湖の風景をカメラで撮っていたりしている。我々も急いで支度をして、受付を済ますため受付テントに向かった。
受付をする参加者や荷物を預ける参加者たち。スタート地点前にある電光掲示板の時間はまだ0である。
国民宿舎「余呉荘」前で、大会の注意事項などの説明を主催者から聞く。
スタート地点の幟下で参加者全員で記念撮影だ。今回はかなり人数が増え80名近くになったという。気温が低く、今にも雨が降りそうな天気ではあったが、みんな楽しそうな表情を浮かべている。全員笑顔で記念写真が撮れたようだ。
スタートは午前7時で午後5時の時点で競技終了となる。コースは一周7キロの余呉湖を10周する周回コースであり、ほとんどフラットなコースだ。ゴール前のエイドに飲み物、食事があり、中間点前後に2箇所飲み物エイドがある。1周10キロだと長いような気がするし、5キロでは短すぎる。7キロくらいが丁度いい絶妙の距離といえる。エイドも3.5キロごとにあると考えれば充分だといえる。
スタート前の余呉湖の湖面は鏡のように平で波一つない。湖面に映る山影と湖面に浮かぶ白い霧は、伝説の湖をこれから走るというイメージを彷彿させてくれた。だが、気温は思いのほか低く、温かい太平洋側と比べ春の訪れが遅いのを改めて認識させられた。
スタートして1~2周目くらいまでは、曇りで日が少し射したりもしていたが次第に雨が降り始め、風も強くなってきていた。湖面も風で波立ちスタート前の様相と激変していた。1~2キロ地点は風の通り道になるのか、周回するたびに同じ場所で強風に苛まれた。なかなか天気が回復しないまま何度も余呉湖を周回する。7周目辺りくらいから雨がやみ日がちらほら射してくるようになった。同じコースを何度も走るので、コースの状況写真は、晴れてきた最後の10周目で撮ることにしていた。以下10周目で撮影したコース状況写真だ。
ゴール前のエイドで、周回毎のチェックを自分で済ませる。チェックは自分でしなければいけない。ただし役員のほうでもチェックはしてくれていたようだ。そして、9周したランナーには赤いた襷が掛けられ最後の周回とわかるようにしてくれる。
これは、エイドで用意されている果物やパン。他にもおにぎり、トン汁、ケーキ、コーラ、スポーツドリンク、お茶、コーラ等が用意されている。
1キロを過ぎた辺りから桜並木が始まる。まだ寒くこの辺りは3部咲きくらいである。そして、風が強かった場所でもある。
2キロほど行った辺り。この辺りの桜は7~8分咲きといったところだ。
日が射して朝より花びらが大きくなってきたようだ。
2.5キロ辺りにある「岩崎の大岩」。案内板にはこう書かれている。「岩崎山には湖岸に大岩が突出し、志津ヶ岳合戦には高山重友の砦があった。古代には近くに智者寺・蓮法寺があり、これと並び岩崎の大岩として人々から崇敬されていたが道路拡張で取除かれた。この岩は当時を偲ぶなごりである」
3キロ辺りの余呉川導にある桜並木と菜の花群落は見事である。ここを通るたびに癒される感じだ。
そしてほぼ中間点にあたる地点が、今大会のタイトルにもなった「天女の羽衣伝説」の発祥の地である「天女の衣掛柳」がある場所だ。この柳はマルバヤナギといい落葉して幹と枝だけなのだが、葉が伸びてくると見事な大木に見えてくるそうだ。案内板には、伊香刀美という男が舞い降りた天女の衣を隠し、帰れなくなった天女を妻とし、その子孫が伊香郡開拓の祖となったという伝説と、菊石姫伝説にも出てきた桐畑太夫の妻となった天女が一男を産んだが衣を見つけて天に帰り、残された幼児の泣き声を法華経のように聞いた菅山寺の僧が養育し、菅原是清が養子として引き取り京都で成人して菅原道真になったという伝説が紹介されている。
衣掛柳の前で記念写真だ。因みに日本の天女伝説は、北は北海道から南は沖縄まで50余箇所にあるという。余呉湖、三保の松原、丹後の奈具が日本3大天女伝説となっていて、余呉以外の地域の天女伝説では羽衣をかけるのは松がほとんどであり、柳が登場するのは余呉だけらしい。
JR北陸本線の横を通り、余呉湖畔西岸に入る。西岸には集落があり、細い道をしばらく走る。車が通るとちょっと狭い道だ。周回中には、仲間の走友たちと何度か出会う。
6キロ地点では、「菊石姫と蛇の目玉石」と呼ばれる大岩が現れる。玉垣で囲われた大岩の上にお飾りがしてあり、神聖な雰囲気がある場所だ。周回中、お参りしている人たちを何度か見かけた。案内板によれば、仁明天皇の頃、領主桐畑太夫の娘の菊石姫が干ばつ時に余呉湖に身を投げ、蛇身となって雨をふらせ、母に疫病の薬にと蛇の目玉を抜き取って湖中から投げたところ、石に目玉が落ちて跡が残ったので、以来この石を「蛇の目玉石」という、と書かれている。
目玉石の近くには、賤ケ岳合戦の時、柴田勝家側にいた青木新兵衛という槍の名手が血糊のついた槍を余呉湖の水で洗ったという場所が、槍洗いの池として史跡になっている。
前方に見えるのが、ゴール地点の国民宿舎「余呉湖荘」だ。10周目でここまでこればゴールは間近となる。
タイムは8時間6分だった。最初の2週目くらいはキロ6分ペースだったが、あとはキロ7分ペースで走った勘定だ。エイドごとで休憩していたが、それ以外はほぼイーブンでコンスタントに走れたといえる。一緒に走ったかっちゃんがいいペースだったので、自分も合わせることが出来、満足できたタイムだったといえる。
ゴール後は、夕食、懇親会へ突入する。続きは、《夕食・懇親会編》へ。