先日、某作品の漢字、仮名の統一をしました。((今更そんなことやってんのかったいう話でもありますが)「のぼる」「おりる」も、意味によって、「登る」「上る」、「降りる」「下りる」があり、他にもいろいろ。階段の上り下り、木には「登る」? 一人を「ひとり」としたら、二人はやっぱり「ふたり」にするべきか? とか。プロの作家のみなさんは、ちゃんとやっていることなのでしょうが、今までどこか曖昧なまま書いていました。反省。表を作りました。(←的なことをみなさんやってらっしゃるのかなあ)
でも、やっているとあれこれ迷うことも出てくるのです。
若い頃に、井上ひさしさんが漢字について書いていらした文章を読んで、へえーと思ったことがありました。
傷、疵、瑕。全て読みは「きず」ですが、意味が違うということ。「傷」は、人がけがをしたときのもの。「疵」と「瑕」の違いは実は今調べてもはっきりしないのですが、どちらかは物体にできたものだったと思います。でも、現在、物体にできた「きず」を「傷」と書いてもおそらく間違いとはされず、そう表記しているものもあるように思います。
疵瑕で、「しか」。欠点、あやまちという言葉もあります。疵は欠点。瑕は物にできたものでしょうか。「玉に瑕」ですしね。
傷以外は常用漢字ではないので、「傷」で通して間違いではないということのようです。
同じように「きく」という日頃よく使う言葉で、耳で「きく」場合は、「聞く」。その中でも音楽などを耳を傾けて「きく」場合は、「聴く」。尋ねるという意味の場合は、「訊く」があります。ただ「訊く」という漢字はやはり常用漢字ではないようです。この常用漢字というのがまたくせもので、じゃあ公にする小説で使わないかというとそんなことはない。
尋ねるの意味で「聞く」と書いても間違いではない。いや、「坊ちゃん」などでも、「聞く」と表記しているので、正しい間違いというのとも違うようです。でも、なーんかやっぱり「尋ねる」の意味のときに「聞く」って使えないんですよねえ。私の場合、子ども向けのものを書いているので、訪ねるの意味のときは仮名にしています。(対象が中学生以上だったら、訊くにするかな)
あと、木をきるのは、「切る」ではなく「伐る」だし、鳥が木にとまるのは、「留まる」か? テレビをみるは「観る」だよね。なんか、こう書くと、間違って使っている字もありそうな気がしてくる。
意識して小説を読むと、きちんと使い分けをしているものの方が多いです。 (あたりまえか)尋ねるという意味で「聞く」を使っている場合も、ちゃんと意識して、あえて「これでいい!」的な方もいるはず。 本屋に並んでいる本は、プロの校正の目を経ているわけですしね。
やっぱ、人様にお見せする前に、できるだけ統一するのを心掛けるべきですね。と、今ごろこんなことを考えてます。心掛けていても、落ち度があるのが人間だし。
笹起きる(前にも出したか?←これだ)