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『そこに言葉も浮かんでいた』(新日本出版社)『アゲイン アゲイン』(あかね書房)『わくわくもりのはいくえん はる おともだちできるかな』『みちのく山のゆなな』(国土社)『ファミリーマップ』、エンタメシリーズ『家守神』1~5巻、『おはようの声』幼年童話『ヘビくんブランコくん』『オンチの葉っぱららららら♪』、短編集『友だちの木』・歴史物語『アテルイ 坂上田村麻呂と交えたエミシの勇士』他、好評発売中です。各種ご依頼は、左側のメッセージからお願いいたします。
最近読んだ小説では、言うが全て「云う」になっていました。馬鹿馬鹿しいは、「莫迦莫迦しい」。気づいたのは、その二つだけでしたが、他にも作者のこだわりであえてこの表記というのがあったのかもしれません。古い小説でもなければ、年配向けの話でもありません。
中学校が舞台のホラーというかミステリーというか。それで重い雰囲気を出そうという意図があるのかなあと思ったり。「云う」は、「伝える」的意味が強いようでもあるのですが、作品中では別にそういうわけでもなさそうでした。ばかばかしいは、どちらも当て字のようです。
で、その小説はおもしろかったか? というと、正直時間を無駄にした感があり。(なので、タイトルは書きません)けっこう厚い本でもあり、その割にさくさくと読めたのですが、あんなに人が死ななくてもとか、いくらフィクションでも、こんなことがあったら日本中大騒ぎだろうとか、それでもがまんして最後まで読んだのに、根本的な部分は解決されていない。でも、映画化もされ、人気の小説のようでした。
気づいたら、蕗の薹がこんなに。
蕗の姑だ。今年は、蕗味噌を作らないでしまいました。