fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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絵画作品展

2016年07月15日 | 日記


 飯田とも子造形&絵画教室のみなさんの作品展が開催されます。

7月20日~24日(日)

 11時~18時 

 井の頭線久我山駅改札前 ギャラリーアクロス にて

 飯田さんは、「季節風」の大先輩作家さんです。
 子ども達そして大人の皆さんの作品、きっと力強いと思います。
 私は、岩手秋田へ行くため残念。

 表現するっていうことが、人にとってどういうことか。ちょっと考えたりもしている時なので、「うまく描こう」というのではない絵を見ると触発されるものがあるんじゃないかなって思います。なので、やっぱり残念。
 私は、絵がこんなに好きなのに、どうして「これだ」っていう絵が描けないんだろう。
 絵を描くエネルギーはもうないけど、物語を描くエネルギーはある。これはどうしてなんだろう。
 なんて。

 ところで、きのうの記事。
 ひとりであれこれ、考えています。

 箒という「もの」は、塵などを「掃く」ための道具。座敷箒はなにゆえ、座敷箒であって、外を掃くと、こうも居心地が悪いのか。落ち葉を「掃く」ためだけでは、なんの不都合もないというのに。
 一足の靴下を、「これは外で歩くためのもの」と自分が決めてそれで歩いたとしたら、自分自身にはなんの不都合もない。でも他人からは「靴を履いていない」と見られる。
 つまり、これは「内のもの」これは「外のもの」という約束事があり、それが「常識」として体に染みついているっていうことなのか。
 そういう箍をはずした人は、狂っていると見られるっていうことか。
 
 いい年をしたおばさんが、考えることじゃないという声もまた、内から聞こえてきますが。

  まだ、外にいます。っていうか、一度外におろしたら、もう家の中じゃあ、使えないでしょ。