かつて隠岐の国だったところは、3つの島の島前(どうぜん)と1つの島の島後(どうご)の4つの島からなっています。今回1つの島が1つの町、隠岐の島町である島後に行ってきました。
〈初日-7月28日〉 古事記によると隠岐は、淡路、四国の次、3番目に生まれたということです。平安時代には後醍醐天皇、後鳥羽上皇、小野篁などが島流しとなった歴史を持つ国。本当だったら舟で渡りたかったのですが、さすがに遠く、往復とも航路となりました。ところが初日からトラブル発生。大阪伊丹空港から飛ぶはずの プロペラ機ボンバルディアが部品の不都合とやらで、他の機首に変更となり2時間も待たされてしまいました。ボンバルディアは故障が多いという情報があとから入ってきました。(個人的にこのへんは興味外なのですが、家族にマニアがいるもので……。いるでしょう? 飛行機の飛ぶ音を聞いただけで、それがなんのなんという機首か名前が出てくるようなタイプが)
結局隠岐のホテルに着いたのが17時。即夕食で、18時半から句会でした。そうです、今回は、『童子』のみなさんと行った吟行なのです。 私を含めての遅延組8人は「何も見てないよ~」と言いつつ、ホテル裏の磯(上写真)を10分ほど見て、句会に臨みました。
麻シャツや遠流(おんる)の島に降り立ちて あぶみ
童子に入って18年ほどになりますが、このように何日もの泊まりがけの吟行に行けるようになったのはこの頃です。しかし行くとやみつきになるこの吟行。続きはまた明日。