岸史子さんが、「やさしくて深い物語」と題して、『どこどこ山はどこにある』の書評を書いてくださいました。
一部抜粋させていただきます。
悠々とした時を感じる一方で、私はまどかをうらやましく思った。今の自分が介護を抱えていたら、おそらくきりきりと追われているに違いない(まあ、親の介護に直面して、「どこどこ山はどこだっけ?」など悠長に考える大人はそういないだろう)。つまり、本書は子どもだからこそ経験できるファンタジーなのだ。
(中略)
身近な人の死は誰もが経験するもの。本書を読んだ子が、大人になる過程で「どこどこ山」を思い出して救われるかもしれない。救われればいいなと願う。
この書評を読んで、私は祖母を思い出しました。『どこどこ山はどこにある』は、かなり現在の母がモデルであって、祖母のことはそんなに考えていなかったのですが。
私が20代のとき死んだ祖母は、今でいう介護というとらえ方をしないで、自宅でなくなったのですよ。私は仕事でほとんど家にいなかったし、あるいは母は大変だったのかもしれません。
また今号では、私も「言葉の駆け込み寺」と題して、『漢字はうたう』杉本深由起作・吉田尚令絵(あかね書房)の書評を書かせていただいております。
投稿作品評の厳しさは、いつも以上! あさのあつこさんの言葉の力には、圧倒されます。この投稿評があるのが、他の同人誌と大きな違いです。そしてあるいは、「季節風」から多くの作家が誕生している所以かとも思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます