梅さんのかわら版.umelog

笛吹川フルーツ公園の紅葉

荒野にひびけ長崎の鐘

2020-10-24 15:31:49 | エール

長崎の鐘について
4月に既にかいているが、今週のエールにその場面が登場しましたね。
ドラマなので、史実とは違う面もあるけど、とても感動した場面でした。

古関裕二の生きた時代は戦争無くしては語れない時代…
その時代にどのようにして、あのような人々を感動させる歌が生まれたのか…
エールによってそのことが掘り起こされ、そのルーツにまた感動を覚えるのだ。


 ”新しき朝の光のさしそむる 荒野にひびけ長崎の鐘”

この詩は、永井博士が長崎の鐘の歌に感動して作ったものだが、
曲が付けられて、長崎の鐘と一緒に歌われている。
藤山一郎が三番の後に歌っているのがYouTubeで聴ける。

来週は予告によると、「栄冠は君に輝く」ということなので、
全国高校野球の歌がいよいよ生まれることになる。
こうして見ていくと、世の中の節目節目に古関裕二は歌を作っていたんだなぁと
感嘆する。それも世の中を元気にした…

コロナ禍で一時中断したので、本編の最終回は11月27日の予定だそうだ。
それまで、どんな歌が生まれるのか楽しみだ…

命の恩返し75年~新聞記事より

2020-08-10 14:20:14 | エール

”施されたら施し返す、恩返しです”
半沢直樹は名言の宝庫だね。香川も猿之助もすこぶる名調子!
今日の毎日新聞にはその”恩”の字が大きく踊っていた。

こちらは、命の恩返し…あの,以前umeさんが書いた永井博士のことだ。
以前書いたumeさんの記事はこちら↓
4月19日 梅さんのブログ

長崎に原爆が投下される10分前、この記事の主人公友清史郎さんは、
永井博士に早めの食事に誘われ屋内に入り、難を逃れた。

永井博士は原爆投下の3日後、長崎医科大の「第11医療隊」で、
被爆した人の巡回診療に携わり、6年後43歳の若さで早世している。
友清さんにとって永井博士は命の恩人だ。
友清さんは、その後放射線技師として75歳まで働き、
ようやくお墓参りが出来る心境となり、
75年の恩返しが出来た…

恩は恩でも全く違った恩返しの話だ。

古関裕二と永井博士
永井博士と長崎の鐘

「ライブ・エール」で山崎育三郎が歌った、長崎の鐘は、
このエピソードなしには聞けない…
彼は、だからと言って湿っぽくならないよう…
ことさら感情移入しないよう…
しかし、心のうちには熱いものが滾っていたと思う。
もうすぐ8月15日、終戦の日が来る。


"「エール」金子と裕而~歌に生き愛に生きる”

2020-04-19 16:21:55 | エール

連続テレビ小説は毎日ワクワクしながら見るのがいいのだが
沢山借りた本の中に、現在放送中の古関裕而の本が混じっていた
「金子と裕而」金子は裕而の奥さんの名前で「きんこ」と読む

今日は一気にこの本一冊読み切った!
この二人の一生はとても興味深いものだったのだ
その中から、今日はこの部分を…

昭和23年、「栄冠は君に輝く」「という高校野球大会のテーマ曲を完成しているが
その翌年昭和24年「長崎の鐘」を作っている 
この歌は、umeさんがとても好きで、気になっていた曲だが
どうやってこの歌が出来たのか…終戦から4年後の事である

”こよくなく晴れた 青空を 悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に はかなく生きる 野の花よ” (1番)

”召されて妻は 天国へ 別れてひとり 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの 鎖に白き わが涙”
なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る (2番)

この歌は、長崎医大で放射線研究をしていた永井隆博士の
著書「長崎の鐘」「この子を残して」を元に作った曲である

この時、永井博士は原爆投下により愛妻を失い、自らも被爆し、
二人の子供と共に焼け跡のバラックに住んでいたが、
裕而のこの歌に励まされこのようにお礼を言っている

「この歌により、ほんとうになぐさめ、はげまし、明るい希望を与えられた」
「全国の戦災荒野に生き伸びようと頑張っている人達が、
新しい元気を持って立ち上がりますよう祈ります」

歌が、人々を勇気付けてきた歴史は歴然とあり、
コロナ禍で今大変な時期だけれど、マイナスなことは言わず、
少しでも希望の持てることを考えようと、umeさんは思ったのである


"朝ドラ「エール」から見る~昭和初期のダンス”

2020-04-16 14:12:31 | エール

朝ドラが面白い!!
作曲家の古関裕而の生涯を描いているが、
ちょうど今は青年時代…
銀行に就職して、いよいよ社会生活の始まり
社交ダンスに目覚めるのだ!!

凄く華やかな世界が繰り広げられている
この時代はCDなど無かった時代、
生バンドで踊るのだ…何と豪華な!

ダンスはチケットを買ってダンサーを指名して
踊ってもらうというシステムだった

今のクラブ等の指名制度のようなもので
綺麗で踊りが上手な人が人気があったのだろう…ネ
今はキンタロー。のように競技に重点をおいているので
スポーツダンスと言っているが、
この時代は社交のためのダンスだったので
社交ダンスと言っていた

ドラマの中では、ダンスなのかそのダンス音楽に惹かれたのか
ゆういちは連日このダンスホールに通うことになる
この時代、誰もが夢中になったのだ!!

大正のダンスについてブログに書いているので
興味ある人はこちらもそうぞ…