梅さんのかわら版.umelog

甲州市~甘草屋敷

”Apricot”XmasDanceParty~2016”

2016-12-25 14:41:58 | 梅本ダンスチーム
 
毎年恒例となっているアプリコットの’Xmas’danceparty…
自宅ホールで会員の家族も参加して、アットホームなパーティーとなった。
今年もこうして開催できることに感謝…
窓の外からそっと覗いて見る…
何とも温かい雰囲気だ。
昨年のパーティーの様子
 
来年早々新春のパーティーがあるので、そのトライアルの練習も兼ねて、それぞれの種目を皆で披露。
普段は体育館での練習なので、ちょっと狭いかな…
 
昨年のブログを見てみると、ジュニア選手の成長に驚く。
あんなに幼かったのに、今年は既に紳士淑女?の雰囲気が漂っている。
つい先日、横浜の大会でジュニアラテンの部において第3位に入賞した。
実力は全国レベルへと上がっている。
来年が又楽しみな選手だ。

最後は指導員のデモンストレーション。
この踊りをもってアプリコットダンスチームの今年の予定は終了!
又来年元気にお会いしましょう。

"Xmas Dance Party~アプリコット”

2015-12-17 17:41:06 | 梅本ダンスチーム
 
アプリコットDCの2015年度の最後を飾るXmas dance party…
外から見ると、なんともアットホームな光景だ。
アプリコットは、年々高齢化している他のサークルと違い、
子供から若者まで入った若いチーム。
先ず準備運動としてリズム体操を…。
  
普段は前半はラテン、後半はスタンダードを皆で一緒にレッスンする。
しかし、今日は思い思いに曲に合わせて踊る。みんな楽しそうだ。

2016年度に入るとJDSF山梨の新春パーティーがある。
それにみんな出場するので、今日はその予行練習を兼ねて一組づつのデモをした。
とにかく、みんなその目的に向かって練習に余念がない。
普段は静かな人達だが、闘志が見られて驚いた。
1月23日、アリーナが楽しみになって来た。

  

今日は、ホームパーティなので軽食を用意した。
あまり食べると踊れないので、ピザやケーキetc
そして、ジュニア達にはお決まりのXmsプレゼント。
今年は、小学校低学年のラテン部門で優勝したり、高学年の部でもよい成績を残し活躍した。
来年早々にも、山梨大会があるので、頑張って欲しい。

”30周年記念イベントへ向けて”

2015-03-05 16:11:35 | 梅本ダンスチーム

山梨岡神社の紅梅。まだ蕾です。

あっという間に3月に突入です。
なんとなく気ぜわしい月です。

今、4月に向けて取り組んでいるのが、JDSF山梨30周年記念イベントです。
ダンスの歴史は、鹿鳴館で外国の高官をもてなすために開かれたダンスパーティーが起源だと
言われています。
ダンスの歴史についてはこちらで少しだけ書いています。
社交ダンスの団体には、プロ・アマチュア・学生とありますが、梅本ダンスチームが属している
のは、アマチュアの日本ダンススポーツ連盟です。
日本全国に支部があり、それぞれに歴史があります。
山梨県支部はちょうど今年が30周年にあたります。

この節目に、県内外の来賓を招き記念のイベントが4月4日に開かれます。
このイベントに向けてサークルも特訓中です。

"6週間のダンスレッスン"

2014-07-02 23:53:54 | 梅本ダンスチーム

6週間のダンスレッスン”舞台見てきました。
これは68歳になる未亡人リリーとダンスインストラクターの青年マイケルの二人芝居です。主演は草笛光子、相手役のマイケルは文学座の新進気鋭星智也。
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6週間でマスターする6つのダンスレッスンを契約したリリーと青年ダンス教師。
はじめはお互いに警戒心いっぱいだった二人が丁々発止のやり取りをしながら、お互いに心を開いていきます。
不安や孤独、後悔など複雑な内面のリリー。心に負った傷のために頑なになっているマイケル。

この二人のぶつかり合いを、草笛さんと星さんが見事に演じています。

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やっぱり見どころはダンスでしょう。
この芝居は、一幕ごとに一つのダンス種目が用意されています。
「一週目スウィング、2週目タンゴ、三周目ワルツ、四週目スローフォックストロット、5週目チャチャチャ、6週目コンテンポラリー」


”山梨県のダンスの歴史”

2014-05-12 18:10:48 | 梅本ダンスチーム

2014_kdc_r週末に開催されたこのダンスパーティーの主催者は、山梨県の最高齢者でありアマチュアダンス界の第一人者です。
そして、そのパートナーを務めたのがアプリコットの会員で、祖父と孫という年齢差ですが、さすが素晴らしい踊りでした。
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5/7に、大正のダンスについて書きましたが、
社交ダンスが一般に広く踊られるようになったのは、昭和に入ってからです。1929年ごろにダンス大ブームが訪れますが、第二次世界大戦により禁止。
そして、戦後1947年頃に「職場ダンス」が流行し、農村や漁村にもダンスが入ってきます。
学生によるダンス競技会(学連)が始まったのもこの頃からです。

現在アマチュア界のトップにいるこの方は、その頃からダンスを始めていて、山梨県のダンスを牽引してきました。昔、地域地域ごとに青年団というものがあり、若い男女はみんなそれに入り、ダンスも青年団から広がっていったというような話を聞きます。それが1947年頃というわけですね。
そこらへんのことは、来年JDSF山梨の30周年記念事業として、編集委員に携わることになっていますので、今しばらくお待ちください。


"大正時代のダンス”

2014-05-07 18:17:24 | 梅本ダンスチーム

ゴールデンウィークもあっという間に終わってしまいましたね。フルーツ王国山梨はいよいよ繁忙期となります。
さて、今日はダンスの話題ですが、世の中のこういった動きに関係なく日本全国で一年中競技会は開催されます。そしてダンスパーティーも開かれます。仕事は仕事、趣味は趣味として皆さんストレス解消や息抜きにダンスを楽しんでいるんですね。今週末のパーティーには梅本ダンスチームの一員もフォーメーションに参加することになっているのでumeさんも行ってきます。

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_1 左の写真は、大正時代のダンスの風景です。先日タイムスクープハンターという番組を見ていたら大正時代の社交ダンスブームを追っていました。

この衣装なんだか変ですね。
日本で最初にダンスが踊られたのは鹿鳴館だと言われています。その時の衣装は、西洋から入って来た裾の膨らんだきらびやかなドレスです。(下の写真)

その後、明治後期から大正時代にかけて庶民の間にダンスブームが起きますが、その当時のダンス風景がこれです。阿波踊りを踊るような格好で、履物は草履です。踊りも今のものとは違いフォークダンスのようなものでした。これをどう見たらいいのか?空想の世界なのか…

Rokumeikan 社交ダンスは男女が組んで踊るということで、その当時はダンスを毛嫌いする人も多く、その流れで風営法という規制で縛られていました。
しかし、どの時代にあっても、今の若者がEXILEの踊りに夢中になるように、西洋から入ってきたこのダンスに夢中になったのです。
そして事件は起きるのです。大正天皇崩御の号外がでた日、大阪の舞踏場はクリスマスパーティの真っ最中。混雑していたためこれに気づかずに踊ったため、一斉禁止となり、大阪では第二次大戦終結までそれが続いたのです。
ダンスが今のように子供から高齢者まで広がり、スポーツとして踊れるようになるまでにはこの後、紆余曲折あるのですが、以前のブログが消えてしまいましたので又、おいおいと書いていくことにしましょう。


”梅本ダンスチームの日々”

2014-04-13 17:37:29 | 梅本ダンスチーム

4月に入り、いろいろなことがスタートしました。
梅本ダンスチームのジュニア選手として活躍していた仲間は、東京での学生生活をスタートさせたもの、高校へ入学したもの…
そして、大人に目を転じれば、県外へと転勤したもの、ダンスをやめて仕事に専念する者…と様々な生活がスタートしました。
今はダンスが出来なくても、又できる機会が巡ってきます。梅本ダンスチームはいつでも門戸を広く開けて待っています。ダンスを離れても、みんなそれぞれの地で頑張って欲しいと思います。
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Iwai_1 今日は三月と四月にお誕生日を迎える3人の誕生祝い。又、又大好きなお寿司さんへ…さて、梅本ダンスチームでは今度の土曜日、大きなイベントに参加します。
それは、神奈川県、静岡県、山梨県のある団体の記念行事が、今年は山梨県で開催されることになり、2000人規模の人が集まります。そこでダンスを披露してくれと依頼されました。
出演するのは二組です。今、それに向けて準備中です。又、その模様はブログアップしたいと思います。