うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

いきる、お作法

2019年01月16日 | 日記

ついに、

正月気分が、私の視界から全て消えた。

 

おはようございます。

弊社には神棚があるのだが、

11日には鏡開き、昨日はしめ縄が外された。

神様も、すっかり日常が戻っておられるだろう。

朝になれば、

「はい、今日もおはようござますよ~。」と私ごときに軽い挨拶をされ、

「お水ですけどね、冷たいよ。ほんとにお水でいいんですか?

ぬくた~いお茶とか、欲しくないです?」と余計なことを心配され、

「では、火、付けます!」と蝋燭を灯される。

 

私は、神仏を敬う気持ちは人並みにあるつもりだが、

お作法など全く知らないから、以前、まじで真剣に

「お水じゃなんだなぁ。今日はお茶にしましょうね」と言って

本当に神棚に熱い緑茶を供えようとしたことがあった。

その時に限って、頭上の神棚に湯飲みを供える寸前に、

なぜか手が滑り、頭から、熱々のお茶をぶっ被った。

出社した、隣の熟女に聞いてみると、

「あのね、神棚にお茶って、そんな事しちゃ駄目だから」と教えられ、

その時私は、神を感じた。

あれは・・・

まさに・・・

罰が当たったんやなごめんなさい。ほんと、ごめんなさい。

 

そんな私の家には、神棚はないが、猫の食卓は置いてある。

我が家は、猫が神様のようなものだ。

重い足を引きずりながら帰っても、家に上がれば嘘のように軽いステップが蘇る。

まずトイレに行きたくても、猫達の真っすぐな視線は、それを許さない。

もじもじしながらでも、まずは猫のご飯だ。

たとえ漏れても、ちょっとくらいなら我慢して、猫のご飯だ。

ご飯を食べてる隙に、トイレへ行こうと一瞬思っても、

「いや、ちゃんと食べたか見届けてから行こう。」と、

尿意だろうが便意だろうが、ちょっと漏れてても、そっちのけとなる。

で、ようやくトイレに入ると、猫はドアを閉めるなと抗議する。

もちろん、私はそれに従い、開け放して用を済ませるのが常だ。

もう、我が家には、トイレのドアなど、邪魔でしかないのだ。

取っ払ってしまおうかと、考えている。

そうなると、来客時は、どうする?

もういいじゃんね。解放感を味わってもらおう。

と、人としてのお作法が、そっちのけとなっていくのだ。

この段階にまでくると、人の家でトイレをお借りした時も、

ドアを閉めることを忘れてしまう。

そういう経験が、何度もあった。ごめんなさい。

 

猫を信仰すると、こうなっちゃうんですよね。

 

さて、我が家のうんこ大明神様は、

寝床を命がけで守っておられましたよ。

目覚めると、ゴロンと半回転していたことに気づいたが、

はっと横を見ると、うんこが踏ん張っていた。

 

こんな顔で

こんな顔で。

 

うんこさん、上手い具合に押さえますよね。

退くという発想はないんだね?

うんこ「うんちゃんは退かないの。」

そうだな。

今も、そんなとこに乗ってて、楽ではないだろうに、退かんもんな。

なんでだ?

 

うんこ「これが、猫のお作法なのよ、母さん」

猫のお作法も、案外、楽じゃなさそうだな。

 

うんこ「そうよ・・・ねこも・・・らくじゃないん・・・だか・・・から・・・」

ふっふっふっふ