ある日の夜、
私は仰向けに寝たまま、ただひたすら泣いていた。
おはようございます。
拭うこともせず流れる涙は、こめかみを伝って、
髪を濡らしていく。
人肌の涙は、髪に移ればただの水のように冷ややかだ。
私は、それがとても不思議に感じた。
せっかく涙を流しているのに、ただの水になるのかと思うと、
馬鹿らしくもあり、それでいて爽やかな気分になった。
はて、私はどうして泣いていたのだろう。
仰向けになった胸の上には、猫がどっかり乗って寛いでいる。
ただでさえ、寝苦しい夏の夜だというのにだ。
だから、私は泣いていた。
「ありがとう、ありがとう」と呟きながら泣いていたのだ。
ただでさえ、寝苦しい夏の夜だというのに。
それでも、太陽が昇れば私は笑う。
笑って欲しい人のために、嬉しいことがあった人のために、
疲れている人のために、泣いてたまるかと歯を食いしばるために、
時には社交辞令のために、死んでいった命のために、
私は毎日笑う。
そして、
ただでさえ寝苦しい夏の夜に、胸の上の猫が、私を時々泣かせる。
泣いた訳が、笑った分量だと気付けば、
馬鹿らしくもあり、それでいて爽やかな気分になるというわけだ。
けれど、涙のきっかけが、どうして胸の上の猫なのか、
その不思議は、きっと永遠に分からない。
当猫は、分かってやっているのかな?
こんな寝苦しい夏の夜に、乗っかってくる猫とは、
もちろん、のん太なのですが、
今日は、そんな、のん太の小さな頃を載せておこう!
生後2週間の、のん太
うふふ、これも泣けてくるわ~。
生後3か月の、のん太と、生後5か月のたれ蔵
うんうん、仲良しや。泣けてくるわ~。
うんことの窓辺。
人の世は、泣いたり笑ったりで、時々疲れる。
けれど、大丈夫なのだ。
どれだけ泣いて笑っても、水に還っていくのだから。