うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

お盆だから

2022年08月15日 | 日記

私は仏壇と呼んでいるが、

あれは仏壇ではないな。

 

おはようございます。

実家には、とても小さな仏壇がある。

コンパクト仏壇だ。

けれど、先祖の位牌は飾られていない。

あるのは、薬師寺如来が描かれた小さな札だけだ。

両親が以前、熱心に薬師寺如来を信仰していたからだけれど、

最近、両親が手を合わせる姿を見たことがない。

私は、それがとても気になっていた。

 

そのくせ、

毎朝実家に通う私は、その日の両親の様子が思わしくないと、

玄関を出るついでに、部屋からちらりと覗くコンパクト仏壇に、

「お願いしますね」と祈る。

右手は玄関のドアのぶを握り、左手だけで祈る。

足元は、靴を履くためにバタバタさせているし、

私の祈りは、なんとも無礼な祈りだ。

 

だから、今年の13日は、ちゃんとしようと思った。

贖罪の念を払拭する気持ちもあった。

ちゃんとと言っても、埃を拭いて花を飾って、お供え物を供えただけだ。

酷く溜まった埃を拭いたついでに、

「ごめんなさい」と念じながら、その布で本尊も拭くという、

これまた、呆れるくらい無礼な贖罪だ。

蝋燭に火を灯し、線香を炊き、そーっと鈴を叩くと、

なんとも情けない音が出た。

その音に、母さんは

「なんちゅー音や~」と無邪気に笑った。

母は、もう手は合わせない。

私は、茶化す母さんに苛立ちながら、

それを無視して、両手を合わせた。

 

けれど、何も祈れない。

なーんにも、思いつかない。

信心も無ければ、志もない。

ダメな私だ。

 

もう一度、鈴を叩いた。

さらに情けない音に、母さんはさらに大きな声で笑う。

もうダメだ・・・あかん。

神妙に手を合わせたつもりが、

こっちまで笑いにつられそうになり、苛立ちはスーッと消えていく。

「ありがとうさんでございます。」

結局、私は、ありがとうだけを明確に祈った。

 

実家を出て、脇に通る小川を見れば、

岸には、ハグロトンボが佇んでいた。

真っ黒な翅に輝く青緑の胴体が見える。

奇跡みたいに、美しいトンボだ。

このトンボは、両翅をゆったり合わせて止まる姿が、

まるで合掌する人のように見えることから、神様トンボとも呼ばれている。

私にとっては、今年初のお目見えだ。

私はハグロトンボにも「ありがとうさん」と祈った。

 

私には、神仏の存在など気付けない。

空に手を合わせたって、救いようのない時はいくらでもある。

けれど、

どんな世にも、美しい奇跡や、笑っちゃうような奇跡はある。

それは、ほんの些細なことかもしれないし、

一瞬の気休めにしかならないことも多い。

私は、そんな一瞬の奇跡に「見逃すなよ、私。」と思ったのだった。

 

こっちは、気付き過ぎている。

というか、狙っている!

隠れて狙っているつもりの、たれ蔵。

 

隠れたつもりで、見逃すまいと出ちゃってる、真剣なたれ蔵。

 

こっちにも隠れているつもりの、丸見えのあやがいる。

君達、なんちゅー真剣な面持ちよ!

 

我が家の緊張(あや・たれ)と緩和(のん太)の奇跡。