うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

元日の嵐 (加筆あり)

2024年01月03日 | 日記

今年の第一声は、

この場での「ごめんな~い」だったが、

その2時間後、第二声は、何だったでしょうか?

 

おはようございます。

すっかりクイズづいてしまっているが、

第二声は、実家で父さんに叫んだ言葉、

「こんちくしょうめーーーー!」だった。

 

父の元日は、早朝に遠くの寺へ車を走らせ、

祈祷を受けたお札を貰いに行き、

その帰りに近所の氏神様のお札を貰ってくることだ。

これは何十年も続く恒例行事だ。

けれど数年前から、その行動が周囲では問題になっていた。

今年で89歳。

減らず口の、しっかりした老人だ。

けれど、判断力、認知能力、体の動きは、当然鈍っている。

父を知る周囲の人は口を揃えて、

「おかっぱちゃん、さすがに、もう運転はさせちゃいかんよ。」

と私に忠告をする。もはや私への叱咤だ。

簡単に言ってくれるよねと、内心うんざりした。

「今度は父さんか・・・」

数年前、母から車を取り上げる時を思い出す。

その際は、本気で泣きながら説得をした。

泣きながら私は決意した。

今後一生、かずこが行きたがる所はどこへだって、

私が運転手として連れて行ってやろうと。

そして、それを実践してきたが、

今でも、聞かん坊のかずこは時々、

「わしの車どこ行ったんや?わしの車返せー!」

と荒ぶる。

 

そして、父の聞かん坊は、かずこを上回る。

父さんは、もはや機関銃のような男だ。

よく、夫婦の相性を『水と油』『犬猿の中』などと例えるが、

うちの両親を例えるならば、

狂気の火だるまと、火を噴く機関銃だ。

ジャックナイフと日本刀。

つむじ風とかまいたち。

向こう見ずと無鉄砲。

猛虎と暴れ猪だ。

私は、日々両親と向きあっていると、時々猛獣使いの気分になる。

 

「せめて、遠い寺への運転は阻止せねば」

一昨年は運よく、私も父さんも新型コロナに罹った。

そうだ。もはや、やったぜコロナだ。

そして、

去年の暮は、思い切って言ってみた。

「父さんは貰って来た仏壇の御札にも、

神棚の御札にも、この一年で手を合わせたことある?

私は見たこと無い。

お迎えした御札に手を合わせないのなら、

それはもう、なんというか、引退してもいいってことじゃないかな?

御札のお世話を引退する時期が来たんじゃないかな?

それは悪い事じゃないと思うけど。」

しかも、父さんは12月に入り、腰と膝を痛めていた。

私は、これで、とっても平和に遠出の運転は阻止できると考えた。

 

ところが、

元日の朝になって、父さんは烈火のごとく怒った。

朝から酒を煽りながら、

「お前が、神さんの面倒も見れん人間が、

初詣行く資格がないって言った!!

おれは、もうどでもいいわ。

ババァぶっ殺して、俺もどうにかなりゃいい。」

と吐き捨てるように言った。

「そんな言い方、あたししてないよ。」

極めて慎重に穏やかに伝えたつもりだ。

それでも父さんは

「いや、言った。」

と言い張る。

そして、ぐちゃうちゃと恨みつらみや愚痴が続く。

何をどう伝えても、父にはもう届かない。

そこで私は、ついに立ち上がった。

立ち上がって、叫んだ。

「こんちくしょうめー!うるせぇ。

父さんは、どんだけへそ曲がりなんだよ!」

すると、父は、

「俺のへそは曲がっとらん!お前の方がおかしい!!」

と怒鳴る。

「いーや、ジジィのへそはグンニャグニャじゃねーかーーー!!」

私がさらに、そう叫ぶと、かずこがたまらず、

「ぶっ」

と吹き出した。

どうやら、グンニャグニャという表現がツボったらしい。

それにつられ、父さんも思わずにやけてしまった。

私はすかさず、いや思わず、神棚を指差し、

「分かったわ、こんちくしょうめ!

今から、あたしが神社も寺も行って来てやろうじゃねーか!

いいか、あたしの御札だかんな!

分からんちんのジジィにバチ当ててもらう神さんを連れて来てやるわい!」

と啖呵を切ってしまった。

 

そこから、私には、罰が下された。

元日に、神棚に飾るためのしめ縄や鏡餅は売っていない。

何軒スーパーを探しても、無いのだ。

父さんが、「今更じゃ、御札貰っても何も出来ん。」

と嘆いていたのは、そういうことか。

私は、そんなことさえ、初めて知った。

半泣きで、我が家のおじさんい電話を掛けた。

「そういう飾りがないと、御札飾っちゃダメなの?」

そう聞くと、おじさんは、

「いいえ、大丈夫ですよ。

供物を供えれば、問題ありませんよ。」

と教えてくれた。

我が家のおじさんのお家には、神職の祖母がいたから詳しい。

「神社とお寺、行く。」

「はい、行きましょうね。」

そんな訳で、私は我が家のおじさんと初詣へ行くことと相成った。

そして、それはおじさんとの初めて行く初詣だった。

15年共に居て、初詣は初めてなのだ。

 

「そうそう、僕は辰年でしたね。

せっかくなら、厄払いしてもらおうかしら?」

考えてみれば、我が家のおじさんは今年で還暦だ。

「やっぱ、あれだね?

おじさんって徳が高いから、偶然そういう機会に遭遇できるんだね。」

私は、まだまだ半べそのまま、感心したのだった。

そして、何を隠そう。

信仰心の一切ない私が、神社もお寺も、幼子のようにはしゃいでいた。

 

初めから、

「父さんの代わりに、私が行ってくるよ」

と、素直に言えばよかったのかもしれない。

私は、それが言えなかったんだ。

なんか、お節介みたいで嫌だったんだ。

あのへそ曲がりを老人扱いして世話を焼くのが嫌だった。

クソジジィは、クソジジィのままでいて欲しいなどと、

どうかしてるが、そう思ってしまってるから。

 

さて、我が家の珍しい光景が見られた。

3匹勢揃い。

珍しい光景だわね。

 

あらら、あやさんは退いちゃったの?

せっかくだから、並んで寝てればいいじゃない?

 

あや「だって鬱陶しいもん、あんちくしょうらめ!」

我が家の女は口が悪い・・・。