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うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

猫の気持ち・男の気持ち

2017年12月11日 | 日記

頑張って!

って、言っちゃダメなんだろうな・・・

 

おはようございます。

我が家の男は、頑張っている、のだと思う。

ただ、だから上手くやれてる訳ではないようで、

「仕事に行きたくない」と、また言い始めた。

 

そんな時、私は頑張ってとは言えない。

どっちかというと、

じゃあ、やめちまえ!と吐き捨てたくなるが、

それも言えない。

 

オレの背中を見ろと言わんばかりに、

無駄に張り切って見せるのだが、

オレの背中など、見本にはなり得ない。

だって、オレ、女だし。

ポンコツだし。

 

だから、せめて、

仕事なんて、適当にやっつけて、早く帰っといで。

と声を掛けて、外へ押し出す。

押し出そうと背中に触れた時、

なぜか、いつも、ほんの少しの罪悪感に見舞われるのだ。

 

あれに似てるな。

猫、特に子猫や老猫が、酷く体調を崩した時、

私は、まず、もうそっとしておくか、病院へ連れて行くか、

選択肢を2つ挙げてみる。

そして、病院を選択する時は、必ず、こう思う。

私が死ぬわけじゃあるまいし、と。

 

積極的に行動する時は、

なぜか、いつも、突き放した時だ。

自分から、その存在を分離して、

突き放した時、

途端に攻めてみようという心境になったりする。

助けたいのに、突き放す。

助けたいから、突き放す。

 

男の背中を押す時も、

その時の罪悪感と、似ている気がして、

他との距離感を、また考えさせられている。

突き放すべきか、抱き寄せるべきか、

強く押すべきか、撫ぜるべきか、

ぶん殴って、鼻フックして引きずり回してみるか・・・って、

それは、ただの暴力です!

 

そんな我が家の、もう1匹の男はといえば、

おい、おたま!

と呼んだところで、つれない男。

何度呼んでも、つれないくせに。

 

不意に

 

 

 

こんな事されたら、まいっちゃうよね。

 

通りすがりに

 

 

こんな事されたら

 

うんこ「うんもう、あいつったら~ん」

て、なっちゃうよね。

 

お前ったら~もう~。

 


三文めは、私?

2017年12月09日 | あやの事

私の朝は、早い。

365日欠かさず、4時台には起きる。

この季節になると、

お日様より、かなり早い起床となる。

 

おはようございます。

ハッキリ言って、この早起きには、何の意味も持たない。

ただ単に、早起きは三文の徳だと思い込んでいるだけだ。

 

よねなんて、そんな時刻に起きて来る訳ないし、

おたまは、「おら、こんな早朝に、メシ食えねー」って言ってるし、

うんこさんは、しっかりちゃっかり食べるけど、

朝ごはんを食べて、そく、二度寝という、

ダイエッターには最悪のパターンだ。

当の私も、朝が長いから、コーヒータイムも長くなり、

そうなると、コーヒーの量も増えて来て、

膀胱は過活動だ。

そんな頃、おじさんを起こす時刻になるものだから、

起きてきた、おじさんの朝のトイレタイムが、

私の過活動との、殺伐とした奪い合いとなる訳だ。

 

これじゃ、一文も徳になってないじゃないか!

 

毎朝のように、そう思いながらも、

やっぱり、今朝も早起きした私は、

唯一、早起きを歓迎している、あやの熱い視線を感じた。

 

見てる・・・すごい見てる・・・

 

そんな時、目を合わすとダメなんだ。

目を合わせたら、待ってましたと言わんばかりに、

遊べ遊べと鳴き喚くに違いない。

あの子のエナジーは、ハンパないのだ。

そう分かっていても、やっぱり、見ちゃった私に向かって、

あやは、雄鶏の長鳴きに負けず劣らぬ長鳴きを始めた。

早口言葉みたいだ。

雄鶏の長鳴きに負けず劣らぬあやの長鳴き。

「みやおーーーーーーーー」

息が長い!

 

今朝も絶好調な、あやに、私はこう言ってみた。

「あやさん、おじさんを起こしてきてくれないか?」と。

すると、あやは、寝室にドタドタと走って行き、

「みやおーーーーーーー」と、

寝ているおじさんに向かって雄叫びをあげた。

おじさんは、すっ飛んだ。

 

毎朝、起きるまで何度も声を掛けなきゃならないのに、

あやの雄叫びで、ぱきーんと起きる、おじさんを見て、

すごいじゃん、あやさん!と褒めてやりたかったが、

こっちに歩いてくる、おじさんに気付いて、

やっぱり、取られてなるものかと、

急いでトイレに籠った、過活動な私であった。

 

あや、偉いな

君の背中に、一文の銭が見えるよ。

 

早起きは、一文の徳にはなったな。

 

あや「まだまだよ、おばちゃん」

まだ、何か、してくれるのか?

 

あや「あたし、今から、あの子を」

朝飯後、そく二度寝してる、うんこを?

 

あや「訳もなく、ブッ叩いてやるわ」

止めてあげてーーー!

いや、ある意味、二文めの徳となるのか?


ジレンマの解消、なす~?

2017年12月07日 | 日記

まずは、歌おう。

おじさんの~

ナスナスナスナス、ボーナスは~

わしの名義で、貯金成す~(フォーエバー)

 

おじさんの~

ナスナスナスナス、ボーナスは~

わしがほんのちょっと欲しいけど~(アイ・ウォンチュ~)

わしの稼ぎで買うの勿体ないものを~(オ~ノ~無駄遣い)

思い切って買っちゃうための~(シークレットミッショ~ン)

銭っことして、役を成す~(レッツ・ダンシーング)

 

おはようございます。

そんな訳で、

こんな本も、買ってみました。

なかなかと切ない話が、満載です。

クスッと笑えて、動物達を応援したくなる、

そして、なんなら、私もがんばろ!っと思える、一冊です。

 

この本には書かれていないが、

ナマケモノという動物は、餓死をする子が多いと、

聞いた事がある。

食べる事を怠けるのではなく、

頑張って、いっぱい食べたけど、

それを消化吸収できなくて、餓死してしまうという事らしい。

これも、なんとも切ない話だ。

そして、我が家にも、

ナマケモノに匹敵するレベルに動かない動物が、存在する。

そもそも動かないのに、

炬燵を出した事で、更に不動が亢進中のよねさん。

 

小走りでトイレに行って、小走りで炬燵に戻り、

小走りでご飯を食べて、小走りで炬燵に戻り、

小走りで・・・

 

よねさん、待って!

よねさん?

 

よね「こんにつわ~こんにつわ?」

おぉ、よねが鳴いておる~

 

よね「おばんです~おばんですか?」

うん、完全に時差ぼけやな。

 

朝ですよ~。

よねは、籠もるのが好き、でも撫ぜられるのも、好き。

できれば、籠もった状態で、撫ぜられたい。

切ないね~。


逃げる必要など、ない!

2017年12月05日 | 日記

最近は、

悪質なクレーマーが増えているらしい。

 

おはようございます。

先週の土曜日、テレビが、そう言っていた。

サービス業で、理不尽なクレームを受けた

経験のある人の割合が、7割もいるそうだ。

私は、以前、整体院で働いていたが、

お陰様で、そういう事で困った覚えはないが・・・。

 

店が建っている場所の土地柄か、

ちょっと怖い職種のお客様に、

結構な頻度で、御指名頂いていた。

「わしをやる、ヤツ、おるか?」

そう、おっしゃいながら、お越し下さるのは、

全身を血で染めたような、深紅の装いの、女性だった。

毎度、施術を受けながらも、

決して携帯電話を離さない。

「そこに、100万、ぶち込め!」とか、

「なんやと?アホな事、言うな!」とか、

とにかく、恐ろしく忙しい女性だった。

その女性が、ある日、施術後にこう言ったんだ。

「おう、姉ちゃん。

今度な、わしの亭主を連れて来るから、

そん時は、姉ちゃん、頼んだで。

あの人は、しっかり揉んでもらわな、

あかん人やからな。」

私は、笑顔で、かしこまりましたと言ったが、

内心、奥様より、更に怖さがパワーアップか?

下手こいたら、ついに、やられるのか?と震えあがった。

 

そして、ついに、その日は来た。

ご夫婦で歩いてくる姿は、

まるで、極道映画で見た、

「チャカをぶっ放す直前」のようだった。

奥様は、

「おう、姉ちゃん。頼んだで。

しっかり、この人を、頼んだで~。」と、おっしゃる。

我が半生で、最もプレッシャーの掛かった瞬間だった。

 

施術ベッドにうつ伏せになった、旦那様は、

いまだ一言も、発しない。

さすが、親分の風格だ。

 

私は、その肩をグーッと押しながら、

「力加減は、いかがですか?」と聞いてみる。

すると、親分から、

「あっ」と吐息のような声がもれた。

そこで、すかさず、奥様から

「こん人は、強く揉んでやってくれ!」という言葉が飛んでくる。

ならばと、もう少し力を入れて押してみると、

親分は、ついに言葉を発した。

「いたっ」と、吐息より小さな声で。

 

その後、優しく揉んでいくと、

親分は、「腕」と呟いた。

その頃には、私もすっかり、緊張が解けていて、

親分とのコミュニケーションのコツも理解し始めていた。

腕を揉んで欲しいと、そうおっしゃっているんだなっと察し、

「ちょっと、袖を上げさせていただきますね」と、

慣れた風に1枚目の袖をたくし上げ、

2枚目の袖もと、たくし上げようとしても、なかなか上がらない。

何度も何度も、腕を擦るように、袖を上げようとした。

その時、親分は、

「それ、ちがっ」と。

擦っている腕を、よく見ると、

それは袖ではなく、皮膚を彩る柄だった。

走って逃げたい衝動を抑えながらも、施術は無事、終わったのだった。

 

その子分なのか分からないが、

また、別のある日は、

背中が痛いとおっしゃる男性がお越しになり、

「では、背中にテーピングを張りましょう」と服を脱いでいただき、

立派な龍の上に、大きくYの文字にテーピングした。

数日後、その男性が、また、お越しになり、

「先生よ~、オレ、えらい目に遭ったやないか」と。

え?え?

「バーベキューで、熱なったから、服ぬいたが、

若いもんに、笑われたやないか」と。

「兄さん、張り切ってますな。

背中のは、や〇ざのYですかい?ってさ」と。

その時も、走って逃げようかと思いながらも、

大変申し訳ないが、爆笑してしまった。

 

そんな事を思い出しながら、

そろそろ買い物しようと車で出掛けると、

道端で、ご老人が、若い男に胸ぐらを掴まれていた。

悪質クレームを特集した番組を観ながら、

昔の事を思い出していたら、

なぜだか、勇気が湧いてきた私は、車を止めた。

そして

顔を上げたら

もう、独りぼっちになっていた。

揉め事は無事、収まったようだが、

私は、走って、車に逃げ帰ってやった!

 

そんな我が家は

あやが狙ってる~、やられるぞ~

 

ほれ、飛んできた~

 

あや「うぇ~い、姉ちゃんよ~」

 

うんこ「まったっくもう!」


若干、重い話が含まれます(スルーして頂いて、いいですよ~)

2017年12月03日 | 真面目な日記

猫がお好きなんですね。

そう言われるたび、

私は、考え込んでしまうんだ。

だって、私は犬が好きだから。

 

おはようございます。

私がこれまでの人生の中で、

自分から望んで、迎えた動物は、

実は、パンチョという子犬だけだった。

 

当時、私は、元夫の実家で、嫁修行をしていた。

不慣れな修行が祟って、病に罹った。

それを機に、夫婦での別居を許された。

なかなか、子供が出来ない事もあったからだろう。

 

しかし、その時、

私は、自分の子宮に子を宿す事が難しい事を、

実は知っていた。

当時は体調不良が続いていて、

ついでに行った婦人科で、それを告げられたのだ。

その時の医師は、半笑いで

「最近の人は、まだ未成熟の歳で関係を持っちゃうから、

後にも、子宮の発育にも問題が出る事がある。

妊娠は、あと10年位待ってみたら?」と言った。

それを聞いて、私は体中が震えて、立てなくなった。

 

私は、幼少期に、性虐待を受けていたからだ。

両親が忙しく、それが故、よく預けられていた家で、

何度も被害を受けていた。

その記憶がよぎった瞬間、また骨盤の痛みが蘇って来て、

私は、立てなくなったのだ。

 

家に帰っても、その事実は、言えずにいた。

誰にも、言えなかった。

誰にも言わず、知らぬ顔して、

新居に移ったら、犬を飼いたいと、笑って見せた。

本当は言わなければならない事を、

私は、隠して、子犬を飼った。

まるで、人の子を取って、

我が子の振りをして見せるかのように、子犬を飼ったが、

子犬は、人の子には見えない事にすら気付けなかった。

 

忙しい、忙しい。

あの子の世話で、夜も寝られない位、忙しいわ。

そんな事を言っていたのも、つかの間だった。

私の子は、1か月後、この世を去った。

パンチョは、死んでしまったのだ。

私のせいなのではないかと、感じた。

私の罪を背負わせてしまったのではないかと。

それ以前に、

こんな私が、我が子を持ちたいなんて

思うのが間違いだったのではと。

 

あれ以来、なんだかんだと猫とばかり出会って来た。

うめとも、不意の出会いだったが、

パンチョを亡くした後だったからか、

ペットショップで売れ残っている、うめを、

見過ごす事が出来なかった。

よねも、きくも、不意に出会った、猫達だ。

そして、彼女達にとって、私は、あくまで「お姉さん」だ。

もう一度言うが、「お姉さん」だ。

母さんだよと、名乗る自信は、無かった。

 

あやも、おたまも、私が拾った。

よし、飼うぞと望んだ訳では無い。

そして、さすがに、私は「おばちゃん」と名乗った。

そういう歳だから。

もちろん、うんこだって、不意中の不意だ。

だけど、あの子は、私を「母さん」だと思っている。

 

私は、自分の命の価値なんて、見いだせない。

生きたいと望んで生きてきた経験が、あまりない。

自分を消してしまいたい。

そう思いながら、時には人や自分を傷つけながら生きてきた。

そんな私は、今、

死んでたまるかと、よく呟く。

 

そして、生きていて良かったと、思う時が増えてきた。

パンチョを見送った時、

うめを見送った時、

きくを見送った時、

私は、生きていて良かった。

この子の最期を見るために、生きていて良かった、

そう深く思うのだ。

 

命は重い。

そして、尊い。

言うのは簡単だが、

人は、時には、生きるも死ぬも、難しくなるものだ。

そんな私の元で暮らす動物達は、

ご飯をやって、頭を撫ででやれば、幸せそうに生きていられる。

それを見ていると、

途端に、生きる事が簡単に思えてくるから、不思議なものだ。

私は、猫の頭を撫ぜるために、生きているようなものだ。

おばちゃんだろうが、母さんだろうが、

そんな事は、どうでもいい。

ただ、こんな私でも、

彼らを、最期まで幸せにしてやりたい。

そう思うと、生きる事が難しくなくなるという訳だ。

 

おい、おたま?

い・・・生きてるか?

 

なんか、足とか手とか、ややこしいな。

ややこしく、生きてるな。