よねという猫は、
食事時間も惜しんで、
寝ている。
だけど、どういう訳か、
我が家では、最も、
見た目が若々しい気がする・・・
おはようございます。
究極のアンチエイジングは、
とにかく、体を使わない事だと言われるが、
全く、その通りかもしれない。
なまくらも、極めると、健康に転ずるのかもしれない。
そういえば、私も、
たまに、スーパーポジティブと呼ばれる。
自覚はないのだが、人は、そう呼ぶ。
自覚がないから、私のどこを見て、
そう呼ぶのか定かではないが、
いわば、私は、ネガティブの権化なのだ。
嬉しい時だって、内心浮かれたりはしない。
「こんな素晴らしい事が起こったんだから、
絶対、次は、地獄だ」っと、心の準備に入るし、
よぼよぼのお爺ちゃんが、ごく軽い気持ちで、
飴玉1個程度をくれる時も、
「体だな、私の体が目当てなんだな」っと、覚悟を決める。
これは、ただの自意識過剰だ!
とにかく、ネガティブありきで、物事を考えてしまうから、
ネガティブな事が起こっても、
比較的、あっさりと受け入れるという訳だ。
そもそも、おっちょこちょいな私には、
痛い事や恥ずかしい事が、よく起きる。
転ぶなら、まだいい。
転ぶなんて、誰にだって起こりうる事だ。
しかし、先日は、包丁の使い方を間違えて、
左手に、迷いなく刺してしまった。
その時の、私の発言は、
「あっ、ハサミと間違えた」だ。
どんな状況なんだ?
信じらんない!
また、転ぶが、
転んで、パンツが見えた程度、慣れたものだ。
「やっぱり、そうなると思ったし」っと呟いて、
普通に起き上がって、普通に歩き出せばいい。
ただ、
またまた転ぶが、
その時、パンツを履き忘れている事に気付いたら、
それは事件です。
しかし、そこで気づくなら、まだいい。
その後、店に入って、ジーパンの試着をするため、
試着室に入った時に、ようやく気づいた時の、あの衝撃。
思わず、天を仰いで「助けて~」と叫んだ。
しかし、それも一瞬だ。
試着は諦め、普通に帰った。
その時の時刻は、もう昼過ぎだった。
だから、私は、
「今から履いたって、勿体ないじゃん」という理論のもと、
ノーパンで、過ごした。
そして、今、こうしてネタにしている。
私は、人生は、コントだと諦めている。
しっちゃかめっちゃかになればなるほど、
そのコントは、面白いモノとなる。
とはいえ、その時は、いつも真剣で、苦しい。
ネガティブにしか考えられない私などは、
苦しみもがいて、更に深みにはまり、
涙さえ枯れてしまう事もある。
例えば、靴下の穴に気付いて、
どうにかこうにかごまかそうと、
穴を足指でつまみ続けて、足がつった状態だ。
違うか?
そうなると、もう、解決策も見失い、
自分の思うようなオチになるかなんて、
私の知る所ではなくなってしまう。
追い詰められて、だったら、こうしてやる!っと
穴を広げて、レッグウォーマー風にして、
大けがしてる状態だ。
そうなると、揃えるために、穴が空いてない片方も、
あえて破る!
しかし、
この苦しみの行方は、解決か失敗かだけが大事ではない気がする。
その数日後か、はたまた数年後か、
どれほど面白いコントに仕上がっているかと、
そう思い返せる、様々な経験自体が、
人生の糧になるのではないだろうか。
そして、面白いコントに仕上げるのは、
どれだけ真剣に向き合えたかにかかっている。
私は、いつも、
これは波乱の幕開けか?と思った時、
そんな思いを、心の片隅に置いて、
波へ乗りに行き、溺れている。
サーフボードを、置き忘れちゃうからだ。
ネガティブな事も、
ある意味では、いつかポジティブに転ずる時が、
来るのかもしれない。
そして、私のドM気質も、時々、どSに転ずる。
「私なんて、もっと雑に扱えって言ってんの!」
「私を、もっと直角に、上から見下せ!」
「こらー、私の意見を尊重すんなー!」ってね。
もはや、ドSだよね。
そんな、よねさんは、炬燵の精のわりに、
お昼間は、炬燵から出てる事が多いんだよね。
眠そうですね。
あっ、毛づくろい、しなさるのね?
いや、ちがっ!
そこ、よねじゃないよ!
大丈夫かな~?
よね「だいじょうび~」
そうだな。
ただのなまくらかと思いきや、
昼は、ちゃんと太陽に浴びてるんだよね。
この時、よねは、きっと、ほぼ無意識。
さすが、極まってこそ、転じてるよね~!