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お着物Enjoy生活からバレエ・オペラ・宝塚etcの観劇日記に...

AustralianBallet 「白鳥の湖」②

2007-07-15 17:48:53 | BALLET
2幕はサナトリウムで療養中のオデットの願望的な夢として、彼女の精神が逃避する安らぎの場としての湖が、16羽の白鳥とともに姿を現します。


円盤状の鏡のような湖は、天井に設けられた木立の網目のようなオブジェを透過した光によってE.S.エッシャーの「波形表面」を作り出す。
静謐な世界で4羽の白鳥が、そして修道女がなりかわったのか、衛兵のようにこの小さな世界を守る2羽の大きな白鳥が舞う中で、オデットは夢の中の王子とともに愛のパ・ド・ドゥを踊ります。


クラシックチュチュではないものの、ここではプティパ版の湖での白鳥の踊りのエッセンスの多くがこめられており、シンプルなベアトップで後が少しV型に長くなっているオーガンジーを重ねた短めのロマンチックチュチュにシンプルなバレッタのような髪飾りでやや現代的にアレンジされてはいるものの、古典の白鳥を愛する人の気持ちに寄り添った白鳥と言えるかも・・・。
実際、この2幕までは、オーストラリアバレエの演劇性とバレエの融合と言うコンセプトが見事に結実していると認めざるを得ませんでした。

第3幕、男爵夫人主催のパーティ。ブラックフォーマルに散りばめられたラメが妖しく煌く夜会。
結婚式のときの招待客が顔を揃える、大人の、貴族の夜会です。
そこに突如として現れる純白のドレスのオデット。
落ち着いた優美な自信に満ちた態度で、周囲を魅了。王子もそんな彼女の純粋さ、美しさにひきつけられて、今や男爵夫人は眼中にありません。
瞬く間に奪われた主役の座を奪還すべく、踊る男爵夫人。その甲斐むなしく、彼女に振り向く人は今や誰も・・・。
忽然と現れたサナトリウムの医師と修道女たち。夫人の差し金です。
再び精神のバランスを失ったオデットは、もう、サナトリウムには帰りません。



オデットを捜し求めて王子が見つけたのは黒鳥の湖に身を潜めるオデット。
愛のパ・ド・ドゥでようやく真実の愛が成就するかと見えたが、絶望したオデットは湖に身を投げ、悲嘆にくれる王子が残される・・・。

と、かなり古典の「白鳥」とは筋も展開も異なりますが、音楽が発するメッセージと王室の悲劇が響き合って中々説得力のある舞台になっていたのは振付家のグレアム・マーフィーの功績でしょう。
ただ、3幕での夜会の始まりの華やかさに比べると、オデットが現れてからの男爵夫人の抵抗が長く、あの美しく王子を完全に支配下に置いていた夫人が見せる足掻きがやや見苦しくしつこく感じられてしまうのが残念。また、男爵夫人からオデットに心変わりする王子が今度は、すがる夫人を足蹴にしたりと、王子の男の身勝手さが目に付いて、感情移入しづらく・・・というか、後半の話自体が(実話をヒントにしているので仕方がないかもしれませんが)あまりにも救いがなくて、辛く、もっと短くしてしまっても良かったのでは・・・という印象を持ちました。

折角アイデアに満ちた舞台と小道具を上手く使った振付で舞台的感興が深かった前半に比べ、ドラマ的側面を大切にするあまり、バレエとしての面白みにも今ひとつ欠けている上に、どんどん単調な悲嘆に陥る展開、の後半はわたくしとしましては、やや残念に感じられるものでした。

席の2列前に、バレエ団関係者、そしてマチネの主役を踊ったロバート・カランをお見かけしましたが、台風にも関わらず満席の劇場から好意的な拍手が起こるのを満足していただけたようで何よりです。

通常の版で踊られる、マズルカ、ナポリ、スペインの結婚式のディベルティスマンは削られ、ハンガリー人が踊る短調の旋律でアレグロで扇情的に踊られるチャルダッシュが、一幕の結婚式の出し物として残されていましたが、あえて、セクシャルな振りを交えたり、女性の民族衣装のペチコートだけを鮮やかな赤にしていたり、という暗喩は効果的。(キモノの襦袢のようですね)
また、一幕でアイボリーの衣装のオデットが王子と夫人の関係に疑惑を深め始めるところでの踊りで初めて彼女の衣装の裏側のペチコートが黒であることがわかったり(晴れの場の暗雲を意味している)、と衣装・装置のクリスティアン・フレドリクソンの卓越したアイデアも秀逸でした。



AustralianBallet 「白鳥の湖」①

2007-07-15 14:47:02 | BALLET
「すっかり忘れていた」とどこぞで失礼なことを書きましたが、そのコメントを忘れてください。
ゴージャスでエモーショナルな舞台、を14日のソワレで存分に楽しませていただきました。
南半球の知られざるバレエ団、オーストラリア国立バレエの来日公演、2演目を引っさげての11年振り、3度目の来日です。


アダム・クーパーをスターダムに押し上げたAMPの「SWAN LAKE」同様、イギリス王室を舞台に翻案。ホモセクシュアルの男性の白鳥、というスキャンダラスな仕掛けのAMP版とは異なり、実際のダイアナ妃、チャールズ皇太子、カミラ夫人をそれぞれ、オデット、ジークフリート王子、(なんと)ロットバルト置き換えたバージョン。
音楽はチャイコフスキーの原曲に忠実に、その場のシチュエーションに合った旋律が随時選択されており、選曲は適切ながらも、この作品に眼も耳もすっかり馴染んだバレエファンには違和感もあるかもしれません。

金髪のショートヘアに痩身のスタイリッシュな女性指揮者、二コレット・フレイヨンがきびきびとドラマチックに音を紡ぎます。バレエ公演といえばお呼びがかかる、東京シティフィルもいつものように金管に若干の不安を孕みながらも良くそれに応えていたと思います。

前奏曲からドラマはスタート。幸せな新郎新婦、でも彼には秘密の愛人が・・・。
という前振りが、幕を半分開けた状態でコンパクトに語られます。



第一幕は結婚式。明るい照明、象牙色とライトグレーで彩られた上品なタキシード姿の紳士に日傘を掲げたレトロシックなレディたちが招待客。第一王女の夫に日本人プリシパルの藤野暢央さん。
男爵夫人(=カミラ)の夫に芸術管理のフランク・レオ、侯爵にバレエ・マスターのマーク・ケイなど脇が眼を光らせているせいか、舞台全体の調和、一人ひとりの演技が着実に入っており、この若干王室三面記事的な題材をドラマチックに盛り立てています。

裾の長い、純白のドレスに夜会巻にした艶やかなブルネットが魅力的なオデット、カースティ・マーチンはちょっとアルティナイ・アスィルムラートワやクラウディア・カルディナーレを髣髴とさせる細面で目元を黒々とはっきりさせたメイクが似合う、ドラマチックな表現力のあるダンサー。冒頭では幸せ一杯に、アメリカ映画のヒーローが似合いそうなハンサム、ダミアン・ウェルチのジークフリート王子と踊ります。
フラメンコのパタ・デ・コーラを思わせる裾裁きが華やかで、女性客の日傘を効果的に使った群舞とともに、衣装でかなりの得点(?)を稼いだ、華のある冒頭部。
そのうち、招待客の一人である男爵夫人、麻美れいかイングリット・バーグマンかという骨格のはっきりした顔立ちに纏めたウェーブヘアが妖艶なオリヴィア・ベルとのただならぬ関係に気づいてしまうオデット。


バレエ「ジゼル」で恋人の裏切りを知った”狂乱の場”さながらに、壊れていくオデット。親密な王子と男爵夫人の間に割ってはいるパ・ド・トロワ、突然激しくその場の男性全員を相手に踊りまくるシーンなど、かなりのスタミナを擁するシーンが続きますが、カースティ・マーチンの力演は全く目をそらせません。
遂に、精神科医と2人の尼僧に腕をとられてその場を去るオデット。
この場で、招待客の一人に”公爵の若い婚約者”というソリスト、ゲイリーン・カンマーフィールド(若い、という設定だけあって、軽やかかつキビキビとした動きで目を惹くダンサー)が、気の毒そうにするのですが、周囲から関わらないようにと諭されて眼を伏せる演技など、周りの適切かつ細やかな反応が突然のオデットの精神の変調をかたずを飲んで見守らせるドラマにしています。
見事な舞台です。