『没後30年 シャガール展 愛と色彩のファンタジー』 に行ってきました。
絶望の中の 『一条の光』
私の心の奥深くには、忘れ得ない 過酷な状況で『一条の光』を見つけた経験者の『二つの言葉』 があります。
その一つ目。
アウシュブィッツの収容所の中でただ一人、死を待つだけのような、絶望の中で、一人の体験の『言葉』。
『時々私は空を見上げた。そこでは星の光が薄れて暗い雲の後ろから朝焼けが始まっていた。
そして私の精神は、それが以前の正常な生活では決して知らなかった
驚くべき生き生きとした想像の中でつくりあげた面影によって充たされていたのである。
私は妻と語り合った。
私は彼女が答えるのを聞き、彼女が微笑するのを見る。
私は彼女の励まし勇気づける眼差しを見るーーたとえそこにいなくてもーー彼女の眼差しは、
今や昇りつつある太陽よりももっと私を照らすのであった。
その時私の身を震わし私を貫いた考えは、多くの思想家が叡智の極みとしてその生涯から生み出し、多くの詩人がそれについて語った
あの真理を、生まれて始めてつくづくと味わったということであった。
すなわち 愛は結局人間の実存が高く翔り得る最後のものであり、最高のものであるという真理である。
私は今や、人間の詩と思想としてーー信仰とが表現すべき究極の極みであるものという意味を把握したのであった。
愛による、そして愛の中の被造物の救いーーこれである。
たとえもはやこの地上に何も残っていなくても、
ー瞬間であれーー愛する人間の像に心の底深く身を捧げることによって
浄福になり得るのだということが私に判ったのである。
収容所という、考え得る限りの最も悲惨な外的状態、また自らを形成するための何の活動もできず、
ただできることと言えばこの上ない苦痛に耐えることだけであるような状態
ーーこのような状態においても
人間は愛する眼差しの中に、
彼が自分の中に持っている愛する人間の精神的な像を想像して、自らを充たすことができるのである。
天使は無限の栄光を絶えず愛しつつ観て浄福である、
と言われていることの意味を私は生まれて始めて理解し得たのであった。』
『夜と霧 非常の世界に抗して』 より。
『夜と霧』は続きます。
『過去の重要な体験ではなく、以前の生活のごく日常的な出来事やささやかな事象の周り、
ーー市電に乗って家に向かう、入り口の扉を開ける、電話が鳴る、受話器を持ち上げる、
室の伝統のスイッチを入れるーー囚人がその思い出の中でいわば撫で回して慈しむものは、
こんな一見笑うべきささやかなことであった。
若干の囚人に現れる内面化の傾向は、
またの機会さえあれば、極めて強烈な体験になっていった。
そしてその体験の強さは、
われわれの環境とその全くすさまじい様子とを忘れさせ得ることもできたのである。』
生き延びる人の力の源:『一条の光』となったのは『家族たちとの愛の確認』でした。
いかなる過酷な状態の中でも、生き延びるための 『一条の光』 を見つけることが出来る人間の叡智。
涙せずには読めない『心理学者の体験記』 の『言葉』です。
ユダヤ人の方が厳しく残酷な経験から言った、『忘れ得ない言葉』
その二つ目。
先日私のブログにも書いた 実話の映画:『Defiance』 (「果敢な抵抗」)の中での、『ラビの言葉』(正式にはラビではなくラビのような人)
ナチス軍の 『ユダヤ人狩り』 で沢山の命が亡くなります。
襲撃を逃れるために、すべてを捨てて、森へと逃げるグループ。
なぜ故に??? 『選民:ユダヤ人』は、ナチス軍に殺されるのか???
思わず。。。 集団の中で、ラビのような働きをしている紳士が 祈るのです!
『神様! 一つの事を願うことをお許しください!
『選民であることを返上させて下さい!』 と。
後に。。。 励ましあい、食べ物を分かち合う仲間たちの愛情を見て、 ラビは、神に懺悔します。
『神様! 私が間違っておりました。 『選民』でいさせて下さい!』 と。
私は、その『祈り』を聞いた時・・・
『選民』であるが故の『苦労』を、私はまるで知らない。 『選民』をまるで分かっていない。 と泣きました。
そして、映画でも確信しました。
生き延びる人の力の源:『一条の光』となったのは 『周りの人たちとの愛の確認』 でした。
映画の主人公の青年は、弟に諭します。
『真の復讐は、ドイツ兵を殺すことではない。 生き延びることである。』 と。
『二つの言葉』 を深く心の奥深くに丁寧に仕舞ってある私。
ユダヤ人としてナチスの迫害を受け米国に7年間の逃亡をした『シャガール』 の絵画展に行ってきました。
どの絵を観ても、『二つの言葉』 と重ねて観てしまいました。
では。
皆様! シャガールの絵をお楽しみ下さい
愛のファンタジー(空想。幻想。)を描き続けたシャガール
『枝』
妻との愛を『一条の光』として・・・生き延びたシャガールだったのですね!
もう一つ。 『花束の中のカップル』
バイオリンの奏でる音楽を聴きながら・・・
人は『愛の確認』によって・・・長寿です
シャガールは98歳の長寿でした! 終戦後40年の昭和60年没。
ユダヤ狩りに悩むこともなく・・・戦後40年の長寿でした
そして。
『ユダヤ教を信仰しながら、しばしば『さまよえるユダヤ人』のモチーフを画面に登場させた画家・マルク・シャガールもまた、
さまようことを宿命とされた一人であった。
民を率いて40年間の旅をしたモーゼが神から十戒の石版を与えられたように、
あるいは、
一人さまよい続けたヤコブが天使に出会い、戦いの末にイスラエル(神守り給う)の名を与えられたように、
シャガールもまた旅する中で様々な人や物と出会い、変化していくことになります。』
藤原啓『さまよえる画家』より。
神を信じ、ユダヤ人であることを深く意識し、絵で本で、自分のアイデンティティーを表現し続け、
・・・『平和の世界』 を望んだシャガール
『メシアの時代』
蛇も人も動物たちも神様も皆仲良し
『わたしは新しい天と新しい地を見た。
そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。
「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。
神は自ら人と共にいて、その神となり、
彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死もなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。
最初のものは過ぎ去ったからである。』
ヨハネ黙示録 21章1節~4節
シャガールは、沢山の『聖画』を描きました、
生き延びる力の源:『一条の光』 を『聖書の御言葉』の中に見つけていました。
以上。シャガール展を観ながら私の考えていたことです。
事実。
『夜と霧』の著者・V.E.フランク も 実話の映画の3兄弟 も シャガール も
『一条の光』
を頼りに、過酷な状態を耐えて、『生き延びること』 で復讐を果たしたといえますね。
お見事です!
皆様!
ご訪問に感謝いたします。
つらい戦争の体験をした先人たちの『強い心』を学びつつ、『一条の光』を見つめつつ、生き方を正したいものですね!
***********記録。土曜日23日と今日26日。 14km×2日=28km。
今朝5時半。17度。
My ラン師匠の師匠にお会いした。 「一緒に走りましょう。 あなたのペースで行きましょう。」 と。
師匠’s師匠の考える「あなたのペース」 をくずさず、一定ペースで快調についていきました。 がんばりました.
無事終了。帰宅後…汗が噴出した
5月走行距離合計 150㎞