2月1日。火曜日。晴れ。
2月に入り、
受験シーズン真っ只中です。
コロナ感染急拡大中の受験シーズン。
病状が現われないままに、濃厚接触者となった受験生は、
Taxiで試験会場に来ることが条件で、
隔離状態で受験が可能になったそうです。
良かった。良かった。
元気な小6年の孫息子も受験真っ只中。
Taxiではなく、
パパの車で・・・ 『お台場』
何人の受験生が、親の車で、この橋を渡っていることでしょう。
巨大な橋を渡って、受験会場へと。
小さな子供たちが、
骨身を削って努力し、コロナ禍のもと、鎬を削る日を迎えるのです。
小さな子供たちの心を思って、
彼らへのいとおしさに、涙出る思いが致しました。
大都会・東京の景色。
受験生の皆様が、
そして、我が孫息子が、
今までの努力が発揮出来る受験となりますように。
今までの努力が報いられますように。
受験生の皆様、私も大都会も、心からのエールを送ります。
がんばってください!
そして。
今日は2月1日。年間第4火曜日 。
『今日の答唱』
『すべての人の救いを願い、わたしはあなたを待ち望む。 』
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、 イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、
大勢の群衆がそばに集まって来た。
イエスは湖のほとりにおられた。
会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、
イエスを見ると足もとにひれ伏して、 しきりに願った。
「わたしの幼い娘が死にそうです。
どうか、おいでになって手を置いてやってください。
そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」
そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。
大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。
さて、
ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。
多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、
全財産を使い果たしても何の役にも立たず、
ますます悪くなるだけであった。
イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、
後ろからイエスの服に触れた。
『跪く女性に話しかけるキリスト』 パオロ・ヴェロネーゼ作品
「この方の服にでも触れればいやしていただける」
と思ったからである。
すると、
すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。
イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、
群衆の中で振り返り、
「わたしの服に触れたのはだれか」 と言われた。
そこで、
弟子たちは言った。
「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。
それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」
しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、
辺りを見回しておられた。
女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、
震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。
イエスは言われた。
「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。
もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
イエスがまだ話しておられるときに、
会堂長の家から人々が来て言った。
「お嬢さんは亡くなりました。
もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」
イエスはその話をそばで聞いて、
「恐れることはない。ただ信じなさい」 と会堂長に言われた。
そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、
だれもついて来ることをお許しにならなかった。
一行は会堂長の家に着いた。
イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、
家の中に入り、人々に言われた。
「なぜ、泣き騒ぐのか。
子供は死んだのではない。眠っているのだ。」
人々はイエスをあざ笑った。
しかし、イエスは皆を外に出し、
子供の両親と三人の弟子だけを連れて、
子供のいる所へ入って行かれた。
そして、子供の手を取って、 「タリタ、クム」と言われた。
これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」
という意味である。
少女はすぐに起き上がって、歩きだした。
もう十二歳になっていたからである。
それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。
イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、
また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。』
マルコによる福音書 5章21-43節
信仰を持つ病人たちは、
イエスに触れただけでも、癒やされました。
人は、信仰によって、救われるのです。
今日は、イエスに救われる※二人の方※の話です。
※十二年間も出血の止まらない女性
女性は、病気のために、自分は汚れた者となっていると考えて、
イエスに直接話しかけることは、恐れ多いこと、許されることではない、
と、思っていたのでしょう。
それでも、
「イエスの服にでも触れればいやしていただける」と思ったのです。
すると、
イエス様は、この女性の信仰を、本物にしたい、清めたい、と考えて、
「わたしの服に触れたのはだれか」
と、彼女に起こった『不思議なこと』を話すように
彼女に『言葉』をかけます。
イエスの『魔法的な力』ではなく、
イエスと『出会う』ことに、本当の『神の救い』があるのです。
※自分の幼い子どもが死にそうなヤイロ会堂長
彼は、
イエスの言った『恐れることはない。ただ信じなさい』の『言葉』を信じて、
彼の信仰は清められたのです。本物になったのです。
そこで、
家の者たちの「娘が死んだ」との知らせを聞いても、
それでもイエスを信じて、イエスを自分の家に案内したのです。
彼の幼い娘は、
イエスが触れ、イエスが『少女よ、起きなさい』と声をかけると、生き返りました。
病人二人の信仰は、イエスとの接触によって、深められました。
イエスを信じる病人は、『イエスの一言』で、癒やされるのです。
私たちも、
弱い信仰を深めるために、
いつもイエス・キリストに希望をかけて、
いつもキリストとの接触を重ねたいものですね。
祈りましょう。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『主はわたしたちの病を身に負い、わたしたちの苦しみをになってくださる。』
詩編 53章4節 参照 アレルヤ、アレルヤ。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
これからの日本を背負って行く若者たちの登竜門の一つが、受験でしょうか。
勝つも負けるも、若者の人生を決めるものではありませんが、
コロナ感染のために受験の棄権が起こらないように、大人は自粛生活で応援を致しましょう。 お元気で!