マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

眼底の定期検診・・・『梅の花』 そして 『聖チリロ隠世修道者 聖メトジオ司教 記念日』・・・『どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。』

2022-02-15 05:46:30 | 私のこと
2月14日。月曜日。曇り。

春は近くまで来ています。
あちこちに『春のしるし』を発見します。

              『梅の花』
  

      時を告げる美しい花々を我が目で愛でることができる
         それはとても幸せなことです。

      この幸せが長く続くことを願わずにはいられません。

      私は今のところ、有り難いことに、健康です。
           その健康を過信して、
        ついつい無理を重ねることが多く、
         反省することが度々です。

    若かりし30代の頃、
      健康過信で、数時間の睡眠時間の日々で、
        朝の4時過ぎから
       『テニス自主トレ』をしました。
      そんな無理を重ねた私の体は、
       悲鳴を上げ、両眼ともに『網膜剥離』を起しました。
       目の調子が悪いと気づき伺った眼科医者は、
         『即入院です。即手術です』
         と、有無を言わせませんでした。

        幸いにして、完全ではないのですが、
        目の視力を戻すことができました。

    最初の右目の大手術の後、
    すべてのものが波打って見える恐ろしい4ヶ月間を過ごしました。
    4ヶ月間は自宅で寝たままで、食事も取る気になれず体重を10キロも落としたまま、
    それでも右目回復の日を迎え、次の左目の手術に臨んだ次第でした。


      アメリカでの両眼の手術の後・・・
      今に至るまで、半年ごとに検診です。
      薬で両目の瞳孔を開いて、
      眼底全体の手術の経過を精密観察するのです。


    今日、
     病院に行く前に・・・愛でることができた『梅の花』。
     そして、
     病院で瞳孔を開いてから半日ほどたって・・・
        やっと、ものがよく見えるようになりました。
          有り難いことです。


     失うことがあって、
     初めて『当たり前』の『景色』の有り難さを、
     やっと再認識する忘れっぽい私です。
     そんな私の弱さを反省させる『検診の日』なのです。
         感謝!感謝!


そして。

今日は2月14日。年間第六月曜日。

    『聖チリロ隠世修道者 聖メトジオ司教 記念日』
    
      両聖人は兄弟です。
    東ローマ帝国の官吏の息子として、
   815年頃:兄のメトジオ、827年頃:弟チリロ
    ギリシャのテサロニケにまれた。

  弟チリロは
  コンスタンチノープルですぐれた教育を受け、
  哲学、神学に優れ、宮廷付司祭となった。
  二人は、
  宣教のためにモラビアに赴いた。
  後に「キリール文字」と呼ばれるようになった文字で、
  スラブ語の『典礼書』を作成し、スラブ語に聖書を翻訳するなど、
  宣教活動によって教会を改革していった。
  こうしてスラブ族の大半は、キリスト教徒になりました。

  869年。42歳。弟チリロは、ローマでくなりました。
  885年。60歳。兄メトジオは司教に叙階されてから、パンノニア(現在のハンガリー)に行き、
         福音宣教に献身、多くの反対があったが、
         ローマ教皇たちに助けられた後に、
         ヴェレラド(現在のチェコ)くなりました。
           『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

  『救いの源である神よ、
 あなたは聖チリロとメトジオ兄弟を使徒として選び、スラブの民に遣わされました。
 わたしたちも神の言葉に心を開き、
    一つの民となってあなたを賛美することができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、ファリサイ派の人々が来て、
   
      イエスを試そうとして、
   天からのしるしを求め、議論をしかけた。

   イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。
 「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。
      はっきり言っておく。
   今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」

  そして、
  彼らをそのままにして、また舟に乗って向こう岸へ行かれた。』
         マルコによる福音書 8章11-13節


   イエスは遠くから来ている人々のために、
     『パン』を与えました。

    これらの『不思議な業』を見ても、
   イエスに反対しているファリサイ派の人々は、
   なお『天からのしるし』をイエスに求めます。

 
   ファリサイ派の人々は、
   ※イエスが『権威』を持って、『言葉』を話すこと、
   ※イエスが『力』をもって、『病人の癒やし』をなさること、
       を良く知っています。
   しかし、
   それは、イエスが『悪霊の力』を持って実行できているのだと
       主張するのです。
   ※イエスが『神から派遣された者』なら、
       もっと大きな『しるし』を見せるはずだと、
       イエスは偽預言者であると思っているのです。


     イエスの話す『言葉』 や イエスのなさる『しるし』
         には『特別の意味』があり、
         『信仰』に導くはずです。

   ファリサイ派の人々は、信仰がなく、信じたくないのです。
   イエス様は、
      そんな彼らとこれ以上話すのは無理だと思ったのでしょう、
      彼らのもとを去って、別の所へ行かれました。

   私たちは、
   自分の生活の中で、『神様の働き』を見いだしたいものですね。
       祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
    『わたしは道であり、真理であり、命である。
 わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』
    ヨハネによる福音書 14章6節  アレルヤ、アレルヤ。
        
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
厳しい寒さが続きますが、春の訪れの『しるし』をあちこちに見いだします。
その喜びを、見逃すことなく、有り難いこととして楽しみましょう。 お元気で!