マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

本物・・・『絶景の夜明け』 そして 『悪はみな人の中から出て来て、人を汚すのである。』

2022-02-09 06:52:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
2月9日。水曜日。晴れ。

今朝
ウォーキング出発が
1時間遅れになりました。
 
   6時52分・・・
             『夜明け』
  
    美しい!                 埴輪模型が乱立する近所の中央公園。


     今朝の夜明けは『6時52分』とのラジオからのお知らせ。
           『絶景の夜明け』
       見ましょう! と1時間遅れの出発となりました。


       『本物』を見ることは、
        たとえそのために犠牲(早起き?)が伴っても、
        できるかぎり『本物』=『一流』を見たい。接したいものです。
        そうすれば、
        『本物』が、ものを見る目の『基準』となり、
           『鑑賞眼』や『価値観』
           が養われていきますよね。
         本物を見る目、見分ける目、が養われます。


     今晩は、今の旬の『金目鯛』を料理してみましょうかしら?
       冬本番の『本物』で元気になることに致しましょう。
                 感謝!感謝!

そして。

今日は2月9日。年間第五水曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、あなたは命の道を教えてくださいます。
 わたしは御顔を仰いで満ち足り、右の御手から永遠の喜びをいただきます。』
          詩編 16章11節

  
『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 
      イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。
      
      『山上の垂訓』  カール・ハインリッヒ・ブロッホ画

     「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。
  外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、
     人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」


       イエスが群衆と別れて家に入られると、
       弟子たちはこのたとえについて尋ねた。

   イエスは言われた。
     
    「あなたがたも、そんなに物分かりが悪いのか。
       すべて外から人の体に入るものは、
     人を汚すことができないことが分からないのか。

      それは人の心の中に入るのではなく、
      腹の中に入り、そして外に出される。

     こうして、すべての食べ物は清められる。」

   更に、次のように言われた。
     「人から出て来るものこそ、人を汚す。
   中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。

       みだらな行い、盗み、殺意、
  姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、
    これらのはみな中から出て来て、人を汚すのである。」』
        マルコによる福音書 7章14-23節


   今日のイエス様は、
   昔の言い伝えによって、
   『神の言葉』の意味がゆがめられていることを指摘し、
   実際に人間を汚すものは何かを告げます。


   イエスに反対するファリサイ人は、
   イエスとその弟子たちの行動を、度々、見張っていました。
   『規律』に反する行動をするイエスや弟子たちを見て、
     ”なぜあなたの弟子はそうするのですか?”
        と尋ねました。

      ファリサイ人は、
      『規律に反する行動』=『信仰の浅さ』と考えたのです。


   イエスは話します。
   ※『規律』に反する行動は、人間の正しさには直接には関係がない。
     たとえば
     どういう物を食べるか? いつ体を清めるのか? 等々。
     食べ物は、人間の腹に入りそして外に出されるだけで、
        人間の心の中に入るものではないのです。
   ※『本当の信仰』は、
     心に関係あること、心からでる悪いこと、に関係があるのです。
        みだらな行い、盗み、殺意、
      姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、
        悪口、傲慢、無分別など。
    これらの悪が、みな体の中から出て来て、人を汚すのである。
        人の信仰を汚すのです。
    

        イエスはおっしゃるのです。
     形式的なことよりも、心のことを大切にしなさい。
              
   ※人間は弱いもので、完全な生活を望んでも、できるものではありません。
       だから心を清めて改心しなければならないのです。
 ※善悪の基準は、食べ物や身を清めることにあるのではなく、心の持ち方にあります。 
    だから、”神が私たちを清めてくださる”との『信仰』が必要なのです。 


    私たちも、
    神が私たちを清めてくださるのだと信じましょう。
           祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『御父よ、真理によって、彼らを聖なる者としてください。
      あなたの御言葉は真理です。』
        ヨハネによる福音書 17章17節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍の中、沢山の自由時間が与えられています。
そんな時間で、ゆっくりと考えながら、人生の本物を捜してまいりましょう。 お元気で!