7月12日。火曜日。大雨。
一昨日・10日・日曜日は
カトリック教会では『主日』、
浅草寺では『四万六千日・ほおずき市』、
各地で、祈りの一日でした。
私の自作・・・ 『ほおずき』
今年も例年とおり、
7月9日~7月10日の2日間、
浅草寺で、『四万六千日・ほおずき市』が開催されました。
7月10日に浅草寺の観音さまにお参りすることは、
『46,000日(約126年)参拝』したのと同じご利益があるとされ、
『四万六千日(しまんろくせんにち)の功徳日』と呼ばれています。
この日にあわせて開催される「ほおずき市」は、
この日にあわせて開催される「ほおずき市」は、
浅草の夏を代表する風物詩の1つです。
平安時代頃より、毎月18日に行われてきた浅草観音の縁日。
それに加え、
室町時代末期頃から、「参拝すると〇日分の功徳が得られる」という
特別な日・『功徳日』が設けられました。
江戸時代には、この『四万六千日』の参拝が定着しました。
その後、
浅草寺では、月に1度(年に12回)の功徳日を設けており、
浅草寺では、月に1度(年に12回)の功徳日を設けており、
なかでも7月10日の参拝で、
『46,000日分』の『最大のご利益』がある『功徳日』なのです。
どのような形であれ、
こういう具合に『祈る型』を示してくださるのは、
すばらしいことです。と私は思います。
人が、邪念なく、仏や神だけを見つめて、
死んだら極楽にいけると信じ、安心して、一心不乱に祈る姿は、
仏様や神様と通じる点があり、本当に美しい。と私は思います。
私は、『功徳日』を知って、浅草寺がより好きになりました。
7月10日の参拝をあこがれながら、私はいつも普通日の参拝ばかりです。
ご一緒する人の喜ぶお顔を拝見するのが、私は嬉しいのです。
浅草ほおずき市・・・ 『ほおずき』
ほおずきの『花言葉』は、自然美。心の平安。偽り。
「自然美」や「心の平安」は、ほおずきの美しい姿から想像できます。
「偽り」は、 どおして『偽り』? 疑問ですよね。
ほおずきの実が大きく見えるのに対し、
中身は空洞で、種も思っている以上に小さい、
そんなことが『偽り』の由来だそうです。 納得ですね。
今日は、神戸では、大雨注意報と雷注意報が出ました。
大雨が降っています。
外出は、あきらめるというより、やめるのが無難です。
そんな今日は、
My『ほおずき』を眺めながら・・・
世界の日本の平和を願って、祈りの一日にいたしましょう。
『ウクライナとロシアの為の祈り』
『父なる神様、
世界に、そしてとくに今、
ウクライナとロシアにあなたが望まれるまことの平和をお与えください。』
『カトリック教会の祈り』より
そして。
今日は7月12日。年間第十五火曜日。
『今日の入祭唱』
『わたしたちの神は来られる。
神は御自分の民を裁くために、上から天に呼びかけ、又、地に呼びかけられる。』
詩編 50章3-4節
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう。』
典礼聖歌 261番③ アレルヤ、アレルヤ。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、
イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、
叱り始められた。
「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。
お前たちのところで行われた奇跡が、
ティルスやシドンで行われていれば、
これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって、
悔い改めたにちがいない。
しかし、言っておく。
裁きの日には
『最後の審判』 ミケランジェロ作品
ティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。
また、
カファルナウム、お前は、
天にまで上げられるとでも思っているのか。
陰府にまで落とされるのだ。
天にまで上げられるとでも思っているのか。
陰府にまで落とされるのだ。
お前のところでなされた奇跡が、
ソドムで行われていれば、
あの町は今日まで無事だったにちがいない。
しかし、言っておく。
裁きの日には
ソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」』
マタイによる福音書 11章20-24節
今日のイエス様は、
イエス様が奇跡が行われても、悔い改めようとしなかった、
コラジン、ベトサイダ、カファルナウムの町を、
『その者たちをの受ける裁きは厳しい。』
と、叱責されました。
更に、
イエス様は、ガリラヤ地方のこれらの町々を、
異邦人の地であるティルスやシドンと対比し、
『これらの町で奇跡が行われていれば、すぐに悔い改めただろう。』
と、述べました。
イエス様は、
公生活の初めは、
特に、ユダヤ人の町のコラジン、ベトサイダ、カファルナウムで、
話をし、たくさんの奇跡としるしをなさいました。
ご自身の愛と慈悲を示して、人々がそれに応えることを期待なさいました。
人々の無関心は、イエス様を非常に悲しませました。
イエス様は、ご自分を拒否し、回心しなかった町のために嘆き、
彼らすべての心に愛のメッセージが届かなかったことを
悲しまれたのです。
それでも、
神様は、何事も強制もしませんし、
無理やり感謝の言葉を求めたりしません。
私たちは、
どうでしょう?
※コラジン、ベトサイダ、カファルナウムの人々と同じように、
イエス様に無関心ではないでしょうか?
あるいは、
※イエス様の愛を受け入れ、救いを知ったあとでも、
コラジン、ベトサイダ、カファルナウムの人々と同じように、
イエス様を日々忘れていないでしょうか?
いつも、
我が身を反省し、神様から頂いた沢山の恵みを思い出し、
神様にお喜びいただきたいものです。
祈りましょう。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
新型コロナウイルスのオミクロン株の「BA・5」により、
一時は減少傾向が続いていた感染者数が、増加に転じたそうです。
予防策はこれまでと同じだそうです。皆様のご自愛の日々をお祈り申し上げます。 お元気で!