7月14日。木曜日。雨のち曇り。
今朝は、
コロナワクチン接種後5日目です。
早朝は雨でした。
実がつきました。
昨夜は、
五日ぶりに、”明日から始めましょう” と
早朝ウォーキングの準備をして休みました。
ところが今朝は雨降り。
きっと、「もう少し待ちなさい」との天からの助言でしょう。
今朝は、
五日ぶりの早朝ウォーキングをきっぱり諦めました。
決めていたことをきっぱり諦める。潔さ。
諦めには、迷いに迷いがつきものです。
「諦め」と「潔さ」
自分で大事なことを決心する。それは最上の喜びです。
小さな決心でも、心の満足が伴う今朝の私でした。
感謝!感謝!
そして。
今日は7月14日。年間第十五木曜日。
『今日の入祭唱』
『新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。
右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』
詩編 98章1節
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。』
マタイによる福音書 11章28節 アレルヤ、アレルヤ。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスは言われた。
疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」』
マタイによる福音書 11章28-30節
今日のイエス様は、
世の中で『小さい人々』と呼ばれる人たちを、
「神は、小さな人々に、神の国を示されます」
と話され、励ました後に、
更に、
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。」と、慰めました。
イエスの時代。
ユダヤ教の人たちは、
『律法』を守ることで、『救い』があると信じ、
真面目に守っていました。
一方、
一般の人々は、
してはいけないこと、守らなければならない、
600ほどもある細かい『規則』:『律法』を
覚えることも、守ることも、
難しいことでした。
それは『重荷』であり、疲れることでした。
そんな時・・・
イエス様は、
※「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。」
と、おっしゃるのです。
更には、
※「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。』
と、励ましてくださるのです。
『イエス様の軛くびき』とは、
それは、600以上の『規則』を、一つの『愛の掟』にまとめたものです。
『隣人を自分を愛するように愛しなさい』
これが『イエスの軛』:『愛の掟』です。
最後には、
※『イエスの軛は、軽いから、負いやすい。
だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。』
と、人々を励ましました。
イエス様は、いつも、『隣人』:『一番小さな人々』を大切にし、
御自分の生活で、
『イエスの軛』:『隣人愛』を、実施し、見せて、教えてくださいました。
私たちも、
一人で、自分の『十字架』を背負うことは、重くて、苦しいものです。
でも、イエス様が、
『重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。』
とおっしゃるように、
イエス様が、共に、私たちの『重荷』を担ってくださるのです。
『重荷』を軽くするのではなく、一緒に担ってくださるのです。
私たちも、
イエス様が共に歩いてくださることを信じて、
イエスに支えられて兄弟を大切にし、
イエス様に学びながら兄弟を迎え、
『イエスの軛』を背負っていきたいものです。
祈りましょう。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
夏休みに入るというのに、雨どころか、コロナ感染者拡大で、
夏休み計画が立てられません。ままなりません。残念です。
それでも、諦めと潔さで、有意義な夏休みにしていきましょう。 お元気で!