9月7日。月曜日。曇り。27度。
秋を告げる・・・
『秋の七草』
秋の七草は、典型的な秋の植物であるというよりも、
秋の訪れをいち早く知らせる植物であるように思われる。
8月のお盆をすぎた頃、まだ残暑の厳しい頃に花を咲かせ始め、
残暑もあとわずかであることを知らせてくれる。
万葉時代からの秋の七草であるが、派手な植物が入っていない。
ひっそりと秋の到来を知らせてくれる植物である。
以上。 岡山理科大学 生物地球学部 生物地球学科
旧植物生態研究室 HP より拝借
なるほどね。 秋を告げるですね。
秋到来です。 良いものですね。
芸術の秋・・・
『キキョウ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/e1/7595d5d82e868072fc1e7dcc0cccc967.jpg)
岡山理科大の花を、ちょいと走り描きしてみました。
秋・・・食欲の秋。読書の秋。芸術の秋。作詩の秋。瞑想の秋。・・・STAY HOMEには向いているかもしれない。
スポーツの秋・・・ジョグ。自転車。登山。・・・私の個人プレイはコロナ対策には向いているかもしれない。
秋を満喫したいものですね。
『きのふこそ 早苗取りしか いつのまに 稲葉そよぎて 秋風の吹く』
詠人しらず 古今和歌集172
そして。
今日は9月7日。年間第二十三月曜日。
『今日の入祭唱』
『神よ、どうか御心に留めてください。 御自分の嗣業の部族としてあがなわれた会衆を。
いにしえより私の王よ、 この地に救いの御業を果たされる方よ。』
詩編 74章 2&12節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『ある安息日に、 イエスは会堂に入って教えておられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/b3/bb4fabac4b2ef05909627ad6eadec6d1.jpg)
そこに一人の人がいて、その右手が萎えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/3b/3b4daab3c7c37395847b3471fa6816df.jpg)
律法学者たちやファリサイ派の人々は、
訴える口実を見つけようとして、
イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、
注目していた。
イエスは 彼らの考えを見抜いて、 手の萎えた人に、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/81/e2c7a970dccb011cfbfd2831e00fd88e.jpg)
「立って、真ん中に出なさい」 と言われた。
その人は身を起こして立った。
そこで、イエスは言われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/ac/b87f0381298f5f6f98bae28a537cd132.jpg)
「あなたたちに尋ねたい。
安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。
命を救うことか、滅ぼすことか。」
そして、彼ら一同を見回して、
その人に、 「手を伸ばしなさい」 と言われた。
言われたようにすると、手は元どおりになった。
ところが、彼らは怒り狂って、
イエスを何とかしようと話し合った。』
ルカ福音書 6章6-11節
旧約時代。
『モーセの律法』は、
神に忠実に生きることができるように、
神の民イスラエルを、キリストの時代まで、 守り導いてきた、 さまざまな『規定』です。
イスラエルの民、特に、律法学者たちやファリサイ派の人々は、
『律法』を『信仰の中心』として考えるようになり、
非常に厳しく守ろうとしました。
神様がそのことを期待なさると、思っていたのです。
新訳時代。
『イエスの到来』は、
『律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
廃止するためではなく、完成するためである。』 マタイ福音書5章17節
イエスは、御自分の『弱者への愛』で、『律法』を完成させました。
イエスにとって、神を愛することと、人間を愛することは、同じことでした。
『安息日』には=善いことをする。病人を救う。等。=が安息日にふさわしいことである
とイエスは考えておられるのです。
イエスの『神からの権威』を信じる者は、イエスによって、『律法』の完成に与ることとなったのです。
一方。
ファリサイ派の人々には、イエスの生活は、主日でも、 神よりも人間を大切にするように見えたのです。
イスラエルの民は、イエスの『権威』をまだ認めることができないので、
『律法』に反する行為をする人たちも、イエス様すらも、許せないのです。
怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合ったのです。
現在の時代。
今も、神様が、私たちの救いのために働いてくださっていることを、
信じることができ、 感謝する事ができますように。
私たち世界中の皆が、それぞれの考えを認め合って、
自分の考えで相手を裁くことがないような世界になりますように。
『今日の祈願』
『万物を治められる神よ、 世界の歩みを力強く導いてください。
現代に生きる教会が人々に仕え、 平和のために尽くすことができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
台風10号の大きさは尋常ではございませんでした。御当地ではいかがでしたでしょうか。
明日からの平安の日々をお祈り申し上げます。 お元気で!
秋を告げる・・・
『秋の七草』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/c1/06b9bc943c37d5e99e14a20f4368f96d.jpg)
秋の七草は、典型的な秋の植物であるというよりも、
秋の訪れをいち早く知らせる植物であるように思われる。
8月のお盆をすぎた頃、まだ残暑の厳しい頃に花を咲かせ始め、
残暑もあとわずかであることを知らせてくれる。
万葉時代からの秋の七草であるが、派手な植物が入っていない。
ひっそりと秋の到来を知らせてくれる植物である。
以上。 岡山理科大学 生物地球学部 生物地球学科
旧植物生態研究室 HP より拝借
なるほどね。 秋を告げるですね。
秋到来です。 良いものですね。
芸術の秋・・・
『キキョウ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/e1/7595d5d82e868072fc1e7dcc0cccc967.jpg)
岡山理科大の花を、ちょいと走り描きしてみました。
秋・・・食欲の秋。読書の秋。芸術の秋。作詩の秋。瞑想の秋。・・・STAY HOMEには向いているかもしれない。
スポーツの秋・・・ジョグ。自転車。登山。・・・私の個人プレイはコロナ対策には向いているかもしれない。
秋を満喫したいものですね。
『きのふこそ 早苗取りしか いつのまに 稲葉そよぎて 秋風の吹く』
詠人しらず 古今和歌集172
そして。
今日は9月7日。年間第二十三月曜日。
『今日の入祭唱』
『神よ、どうか御心に留めてください。 御自分の嗣業の部族としてあがなわれた会衆を。
いにしえより私の王よ、 この地に救いの御業を果たされる方よ。』
詩編 74章 2&12節
『今日の福音 イエスの御言葉』
『ある安息日に、 イエスは会堂に入って教えておられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/b3/bb4fabac4b2ef05909627ad6eadec6d1.jpg)
そこに一人の人がいて、その右手が萎えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/3b/3b4daab3c7c37395847b3471fa6816df.jpg)
律法学者たちやファリサイ派の人々は、
訴える口実を見つけようとして、
イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、
注目していた。
イエスは 彼らの考えを見抜いて、 手の萎えた人に、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/81/e2c7a970dccb011cfbfd2831e00fd88e.jpg)
「立って、真ん中に出なさい」 と言われた。
その人は身を起こして立った。
そこで、イエスは言われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/ac/b87f0381298f5f6f98bae28a537cd132.jpg)
「あなたたちに尋ねたい。
安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。
命を救うことか、滅ぼすことか。」
そして、彼ら一同を見回して、
その人に、 「手を伸ばしなさい」 と言われた。
言われたようにすると、手は元どおりになった。
ところが、彼らは怒り狂って、
イエスを何とかしようと話し合った。』
ルカ福音書 6章6-11節
旧約時代。
『モーセの律法』は、
神に忠実に生きることができるように、
神の民イスラエルを、キリストの時代まで、 守り導いてきた、 さまざまな『規定』です。
イスラエルの民、特に、律法学者たちやファリサイ派の人々は、
『律法』を『信仰の中心』として考えるようになり、
非常に厳しく守ろうとしました。
神様がそのことを期待なさると、思っていたのです。
新訳時代。
『イエスの到来』は、
『律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
廃止するためではなく、完成するためである。』 マタイ福音書5章17節
イエスは、御自分の『弱者への愛』で、『律法』を完成させました。
イエスにとって、神を愛することと、人間を愛することは、同じことでした。
『安息日』には=善いことをする。病人を救う。等。=が安息日にふさわしいことである
とイエスは考えておられるのです。
イエスの『神からの権威』を信じる者は、イエスによって、『律法』の完成に与ることとなったのです。
一方。
ファリサイ派の人々には、イエスの生活は、主日でも、 神よりも人間を大切にするように見えたのです。
イスラエルの民は、イエスの『権威』をまだ認めることができないので、
『律法』に反する行為をする人たちも、イエス様すらも、許せないのです。
怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合ったのです。
現在の時代。
今も、神様が、私たちの救いのために働いてくださっていることを、
信じることができ、 感謝する事ができますように。
私たち世界中の皆が、それぞれの考えを認め合って、
自分の考えで相手を裁くことがないような世界になりますように。
『今日の祈願』
『万物を治められる神よ、 世界の歩みを力強く導いてください。
現代に生きる教会が人々に仕え、 平和のために尽くすことができますように。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
台風10号の大きさは尋常ではございませんでした。御当地ではいかがでしたでしょうか。
明日からの平安の日々をお祈り申し上げます。 お元気で!
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