マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

孫たちとお別れ・・・『新宿バスタ』 そして 『愛は感情ではなく、キリストの愛に結ばれて、他者に奉仕することです。』

2019-11-07 05:00:07 | 娘と娘家族

11月6日。水曜日。晴れ。

  東京滞在5日目。

   
   娘家族とお別れ・・・   『バスタ新宿』
 
     夜中の24時過ぎ。ここは夜がない世界。不夜城。
         人。車。バス。灯。
      この時間でも『躍動の時間』が流れている。

   
   ”おばあちゃん、家に着いたら又鞄を持って、すぐに東京に来て!”
        別れのハグをしながら、孫たちの挨拶です。
       楽しい4日間は、正に、”あっ!”と言う間でした。


       8時間後には、『静かな時間』が流れ出す。
         落ち着き。温かさ。静かさ。
         人間が本来持つ時間の世界。


           私は幸せ者である。
孫たちが喜んで迎え入れてくれる『追求の世界』と、自然が喜んで迎え入れてくれる『静観の世界』
        二つの世界を行ったり来たり。
    二つの世界を自分の中で共存可能な私は、幸せ者です。


 

そして。

今日は11月6日。年間第三十一水曜日。

  今日は、『愛』 について精査いたしましょう!


『愛の精査』その
               『今日の第一朗読 使徒パウロの言葉
   
                   『使徒 ペテロ と パウロ』

      『皆さん、
   互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。

      人を愛する者は、律法を全うしているのです。
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、

   「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。

       愛は隣人にを行いません。
    だから、愛は律法を全うするものです。』
      ローマの信徒への手紙 13章8-10節

 

   使徒パウロの主張は・・・

        『愛』は、『愛隣』です。 
   『隣人を自分のように愛しなさい』 という言葉に要約されます。

     『愛』は、旧約時代の『律法』から解放するのです。
 『律法』は、神に忠実に生きるように、キリストの時代まで、神の民を導いてきた規定です。
  今や、誰でも、イエスキリストを信じて、その言葉に従うだけで十分なのです。

 『キリストの掟』 は 『隣人を自分のように愛する』 の一言に要約されるのです。



『愛の精査』その 

            『霊的講話集2010 教皇ベネディクト十六世の言葉
   

  
    「永遠の定め」は、わたしたちの行いによって決まります。
 わたしたちはいのちを得るために、神が示してくださるを歩まなければなりません。
      神が示してくださる道とは、「愛」です。
        愛は感情ではありません。
「愛」は、キリストの愛に結ばれて、他の人に奉仕することです。』


  教皇ベネディクト十六世の主張は・・・

  『愛』は、相手を選ぶことなく、全ての人に向かう、『行為』なのです。
           感情次第で行う行為ではなく、
  『キリストの愛』に結ばれ、意志によって行う、『他者への奉仕』なのです。


 

『愛の精査』その
            『今日の福音 イエスの御言葉』   

 『そのとき、
   大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。

 

    「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、
  父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、
    これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。

   自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、
    だれであれ、わたしの弟子ではありえない。

     自分の持ち物を一切捨てないならば、
  あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」』
     ルカ福音書 14章25-33節


  イエスの主張は・・・

   『イエスへの愛』は、『自分の十字架を担うこと』 である。

    ルカが、『イエスの御言葉』を思い出して、ルカ福音書を書いた時、
 すでに、ローマで迫害が起こっており、ペテロとパウロが殉教した後でした。
 『イエスの弟子』になるには、自分の命を捨てる覚悟がなければなりません。

『イエスに従う』ためには、全てを超えて、『イエス第一』になることです。
  父、母、兄弟、更に 自分の命、以上に、『イエスへの愛』を優先するのです。
    
   『イエスへの愛』を最優先することは、『隣人愛』の完成なのです。
『最も小さい者(弱い者)の一人にしたのは、わたしにしてくれたことである。』マタイ福音書 25章40節

   イエスキリストの姿は見えなくとも、
 キリストは、人において、特に困っている人、世話を必要とする人たちの中に、おられるのです。
  今の時代。
小さな人々の中にキリストがいることを信じて、隣人をお世話をしながら、『イエスへの愛』を全うするのです。


      
 精査の結論

    『愛は、感情ではなく、キリストの愛に結ばれて、他の人に奉仕することなのです。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
孫を愛するのは、”好き! 好き!”、人間が持つ感情です。
  全ての人に奉仕する『本物の愛』に、我が身を聖化させましょう。 お元気で!


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