11月6日。水曜日。晴れ。
東京滞在5日目。
娘家族とお別れ・・・ 『バスタ新宿』
夜中の24時過ぎ。ここは夜がない世界。不夜城。
人。車。バス。灯。
この時間でも『躍動の時間』が流れている。
”おばあちゃん、家に着いたら又鞄を持って、すぐに東京に来て!”
別れのハグをしながら、孫たちの挨拶です。
楽しい4日間は、正に、”あっ!”と言う間でした。
8時間後には、『静かな時間』が流れ出す。
落ち着き。温かさ。静かさ。
人間が本来持つ時間の世界。
私は幸せ者である。
孫たちが喜んで迎え入れてくれる『追求の世界』と、自然が喜んで迎え入れてくれる『静観の世界』
二つの世界を行ったり来たり。
二つの世界を自分の中で共存可能な私は、幸せ者です。
そして。
今日は11月6日。年間第三十一水曜日。
今日は、『愛』 について精査いたしましょう!
『愛の精査』その①
『今日の第一朗読 使徒パウロの言葉』
『使徒 ペテロ と パウロ』
『皆さん、
互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。
人を愛する者は、律法を全うしているのです。
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、
「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。
愛は隣人に悪を行いません。
だから、愛は律法を全うするものです。』
ローマの信徒への手紙 13章8-10節
使徒パウロの主張は・・・
『愛』は、『愛隣』です。
『隣人を自分のように愛しなさい』 という言葉に要約されます。
『愛』は、旧約時代の『律法』から解放するのです。
『律法』は、神に忠実に生きるように、キリストの時代まで、神の民を導いてきた規定です。
今や、誰でも、イエスキリストを信じて、その言葉に従うだけで十分なのです。
『キリストの掟』 は 『隣人を自分のように愛する』 の一言に要約されるのです。
『愛の精査』その②
『霊的講話集2010 教皇ベネディクト十六世の言葉』
『「永遠の定め」は、わたしたちの行いによって決まります。
わたしたちはいのちを得るために、神が示してくださる道を歩まなければなりません。
神が示してくださる道とは、「愛」です。
愛は感情ではありません。
「愛」は、キリストの愛に結ばれて、他の人に奉仕することです。』
教皇ベネディクト十六世の主張は・・・
『愛』は、相手を選ぶことなく、全ての人に向かう、『行為』なのです。
感情次第で行う行為ではなく、
『キリストの愛』に結ばれ、意志によって行う、『他者への奉仕』なのです。
『愛の精査』その③
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、
大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。
「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、
父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、
これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。
自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、
だれであれ、わたしの弟子ではありえない。
自分の持ち物を一切捨てないならば、
あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」』
ルカ福音書 14章25-33節
イエスの主張は・・・
『イエスへの愛』は、『自分の十字架を担うこと』 である。
ルカが、『イエスの御言葉』を思い出して、ルカ福音書を書いた時、
すでに、ローマで迫害が起こっており、ペテロとパウロが殉教した後でした。
『イエスの弟子』になるには、自分の命を捨てる覚悟がなければなりません。
『イエスに従う』ためには、全てを超えて、『イエス第一』になることです。
父、母、兄弟、更に 自分の命、以上に、『イエスへの愛』を優先するのです。
『イエスへの愛』を最優先することは、『隣人愛』の完成なのです。
『最も小さい者(弱い者)の一人にしたのは、わたしにしてくれたことである。』マタイ福音書 25章40節
イエスキリストの姿は見えなくとも、
キリストは、人において、特に困っている人、世話を必要とする人たちの中に、おられるのです。
今の時代。
小さな人々の中にキリストがいることを信じて、隣人をお世話をしながら、『イエスへの愛』を全うするのです。
精査の結論
『愛は、感情ではなく、キリストの愛に結ばれて、他の人に奉仕することなのです。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
孫を愛するのは、”好き! 好き!”、人間が持つ感情です。
全ての人に奉仕する『本物の愛』に、我が身を聖化させましょう。 お元気で!
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