4月24日。日曜日。雨のち曇り。
今日は、
キリストの死と復活を記念する、
『キリストの受難の一週間』 そして
『キリストの復活の一週間』が終わり、
『復活節第二主日』です。
今年も咲きました。
我が家の・・・ 『時計草』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/1d/05f5021f4f4e36841ba57fdbe840d8f9.jpg)
英語名は、『Passion flower』
キリストの『受難の花』を意味する『パッション・フラワー』は、
花の形が『キリストの受難』を象徴しているとして、
イエズス会の宣教士たちが命名したそうです。
ラテン語名は、『Caerulea』
花の青紫色に由来し、ブルーを意味するそうです。
その昔・・・
教会の大先輩から、
『花』を賜った時、
『時計草だよ』と言われました。
それ以来、大切に、我が家で育てています。
その大先輩は、
戦時下のフィリッピンで、
食べるものが何もないまま何日も過ごし、
『最後はなんでも食べた』のだそうです。
その『時』のことが忘れられず、
無事に帰還したときにプロテスタント教会の信者になられ、
それ以来・・・
自宅の屋根の上に、大きな『十字架』を掲げられました。
私がお出会いしたときは、
それから何十年もたってカトリック信者に改宗なさった後でした。
戦争の『語り部さん』のような98歳の立派な人生
を、大先輩が終えたのは、
もう十年以上の前のことです。
ご近所の・・・ 『時計草』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/0f/b1330e0fb9ebae0b19db9e0cc7d9e87f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/0f/b1330e0fb9ebae0b19db9e0cc7d9e87f.jpg)
『時計草』の花言葉は、『聖なる愛』、『信仰』
キリスト教にまつわり、
花の形が『キリストの受難』を象徴することに由来します。
ご近所さんの『時計草』は
ツル状で、
ご自宅の垣根に、いっぱい咲いています。
私が大先輩から賜った『時計草』は
ツル状態ではなく、
ひとつづつ咲く花です。
ひょっとして『時計草』ではないのかしら?
今年も、大先輩と大先輩の過酷な人生を偲びながら、
そして、
キリストの『受難と復活』の過酷な人生を偲びながら、
我が家の『時計草』を愛でています。
感謝!感謝!
そして。
今日は4月24日。復活節第二主日。
『神のいつくしみの主日』
『今日の入祭唱』
『生まれたばかりの乳飲み子のように、
混じりけのない礼の乳を慕い求めなさい。
これを飲んで成長し、救われるようになるためです。』
ペトロの手紙Ⅰ 2章2節 アレルヤ
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『トマスよ、あなたはわたしを見たので信じた。見ないで信じる人は幸い。』
ヨハネによる福音書 20章29節 アレルヤ、アレルヤ。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『その日、すなわち週の初めの日の夕方、
弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。
そこへ、
イエスが来て真ん中に立ち、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/22/2b1a1b5c7afbcfe530bc4f758aba2596.jpg)
「あなたがたに平和があるように」
と言われた。
そう言って、
手とわき腹とをお見せになった。
弟子たちは、主を見て喜んだ。
イエスは重ねて言われた。
「あなたがたに平和があるように。
父がわたしをお遣わしになったように、
わたしもあなたがたを遣わす。」
そう言ってから、
彼らに息を吹きかけて言われた。
「聖霊を受けなさい。
だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。
だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、
イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、
トマスは言った。
「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、
また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、
わたしは決して信じない。」
さて八日の後、
弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。
戸にはみな鍵がかけてあったのに、
イエスが来て真ん中に立ち、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/22/2b1a1b5c7afbcfe530bc4f758aba2596.jpg)
「あなたがたに平和があるように」
と言われた。
それから、トマスに言われた。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。
また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/2f/cec34d147226e8a34f4da79f553f40aa.jpg)
『キリストとトマス』 ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ作品
トマスがそっと触る中、他の使徒達が心配そうに見つめています。
トマスがそっと触る中、他の使徒達が心配そうに見つめています。
信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
トマスは答えて、
「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/3c/595c91f88ccaf626b3c43d232ec397f5.jpg)
『キリストとトマス』マルティン・ショーンガウアー作品
キリストが持つ旗は「復活の旗」、
死に打ち勝って復活したキリストを象徴しています。
二本指で触れるトマスの表情は敬虔に満ちています。
イエスはトマスに言われた。
「わたしを見たから信じたのか。
見ないのに信じる人は、幸いである。」
このほかにも、イエスは弟子たちの前で、
多くのしるしをなさったが、
それはこの書物に書かれていない。
これらのことが書かれたのは、
あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、
また、信じてイエスの名により命を受けるためである。』
ヨハネによる福音書 20章19-31節
復活されたイエス様は、
今日、集まっていた弟子たちに現われ、
『平和があるように』と言ってから、
彼らに息を吹きかけ、聖霊を与えました。
そして、八日の後、
イエスは、疑うトマスに現われ、
『見ないで信じる者は幸い』と言いました。
使徒トマスは、
復活なさったイエスに会わなかったのです。
そこで、
復活したイエスに出会った仲間の弟子たちに、
「あなた方は復活なさったイエスを見たから、信仰ができましたが、
私は、復活なさったイエスに出会ってないから、信じにくいのです」
と言いました。
実際、
弟子たちも、
復活なさったイエスに出会なくては、信じにくいことだったでしょう。
弟子たちも、トマスと同様です。
復活したイエスに出会った婦人たちから復活の話を聞いても、
聞くだけでは・・・
弟子たちは、すぐには信じられなかったのです。
復活なさったイエス様に出会って、初めて信じたのです。
トマスも、他の弟子たちと同様です。
他の弟子たちより信仰が浅いのではなかったのです。
現われたイエスが、受難を受けたイエスと同一人物であると、
信じたくなかったのです。
そんなトマスの気持ちを知って・・・
イエスはトマスに現われたとき、
『苦しみの傷跡』をトマスに見せたのでしょう。
イエス様の『傷跡』は、
イエスの『愛のしるし』です。
すべての人のためになさった『愛のしるし』です。
すべての人たちのために、命を献げた『神の愛のしるし』です。
それを見て信じたトマスの『しるし』です。
トマスがすばらしい『信仰宣言』をした『しるし』です。
『私の主、私の神』
と、トマスは『信仰宣言』をしました。
それに対して、
『見ないで信じる人は幸い』
とイエス様はおっしゃったのです。
私たちも、
これからイエズス様にお会いすることはできなくても、
弟子たちの『証し』を信じる人は幸いです。
イエスの姿は見えなくても信仰はできるという約束です。
今も、神は働いておられます。
社会の中で、すべての出来事の中で働いておられます。
そこで『神の業』を見ることができることができると幸せです。
祈りましょう。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
週末の土曜日を有意義にお過ごしになられたことでしょう。
今日から又新しい一週間が始まります。
穏やかで有意義な一週間をお祈り申し上げます。 お元気で!
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