今日・6月5日。聖書通読会・『聖書100週間』の予習をしています。
今日のテーマも、信仰の父と呼ばれる、『アブラハムの信仰』です。
神は、今日も、アブラハムの信仰を試されます。
90歳になって初めて父親になったアブラハムに、神は言われます。
『御言葉』 です。
『神はアブラハムを試された。 神は命じられた。
「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリアの地に行きなさい。
わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす捧げ物としてささげなさい。」』
創世記 22章1節&2節
えぇ! 愛する子をささげる??
神から、どう考えればいいのか分からない命令が出されたアブラハムです
。
ちょっと振り返ってみて・・・
先週の勉強。
『先週も、神はアブラハムの信仰を試されました。』
75歳のアブラハムに神は言われました。
『あなたは生まれ故郷 父の家を離れて、私の示す土地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。
地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。』
創世記 12章1~3節
えぇ! 今の安泰な生活すべてを捨てて、75歳の私が、何も知らない異国へ出発する??
それでも。
神へのアブラハムの答はただ一つでした。
『アブラハムは、主の言葉に従って旅立った。』 同 12章4節
異国の地で色々の苦労に出会った後に、再び、『神の言葉』があります。
『主は彼を外に連れ出して言われた。
天を仰いで星を数えることができるなら、数えてみるがよい。
あなたの子孫はこのようになる。」
アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認めた。』 同15章5節
先週は・・・
アブラハムは神の試しをクリアして、神はアブラハムの信仰を、『彼の義』と認めました。
そして・・・
今週・今日。 再び。
神はアブラハムの信仰を試されるのです。
その方法は・・・90歳でできた独り子・イサクを、『焼き尽くす捧げ物として捧げよ!』、との命令です。
神へのアブラハムの答は、やはり、ただ一つでした。
『(神の命令の)次の朝早く、
アブラハムはロバに鞍を置き、捧げ物に用いる薪を割り、二人の若者とイサクを連れて、
神の命じられるところに向かって行った。』 同 22章3節
アブラハムは出発します![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
。
しかし・・・
アブラハムは、
二人の青年と息子・イサクと、『目的地』を目指す三日間の間、『沈黙』を守ります。
私は、この『沈黙』が、信仰生活において、非常に重要なポイントだと思います。
『神の御旨』は、いつの時も、理解するのは難しい。 えぇ!こんなことってあり?? となる。
その時に、文句を言ったり反対したりと、すぐに反応するには、人間はあまりにも浅はかです。
じ~と。 沈黙のうちに瞑想しながら、『神の御旨』を反復してみる。
じ~と。 反復するのすらやめて、沈黙の中に埋没する。 その時に、『神との出会い』が生まれる。
『神の御旨』の理解に近づくことができる。
『沈黙』 こそが 『心の荒れ野』=『神に出会う所』 です。
と。私は考えています。
アブラハムは、『三日の沈黙=荒れ野』で『神に出会い』・・・『結論』を出しました。
モーゼは、『40年間の荒野生活』 がありました。
ましてや。 私たち凡人には、『長~い沈黙』 なくして、『神との出会い』 はありえません。
アブラハムは、『結論』 を出しました。
聖書は語ります。
『神が命じられた場所に着くと、
アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。
そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/9d/36f56f868f4f868414892c380c4531b8.jpg)
『イサク献供』 レンブラント作
『そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。
彼が「はい」と答えると、御使いは言った。
「その子に手を下すな。何もしてはならない。
あなたが神を畏れる者であることが、分かったからだ。
あなたは自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」』
創世記 22章1節~12節
アブラハムは、
『沈黙』の後に、神の命令通りに、我が独り子・イサクを神にささげる! と。 決心したのです。
アブラハムは、沈黙の中で、何を考えたのか?
もっとも愛する我が子でも、神からの贈与・預かり物として、愛着せずにいただろうか?
神の契約の言葉=『あなたの子孫は星の数のようになる』=にとらわれ、我が子・子孫を失うことは出来ないと、
自分の考えに固執していなかったか?
神に聞き従い導かれて進んでいるだろうか?
神の言葉に耳を傾けることを忘れて、自分の声に愛着してはいなかっただろうか?
アブラハムは、『三日の旅の沈黙』の中で、葛藤の後に、『結論』に至ったのです。
この世の物に執着することなく、『神に従う』との結論でした。
今日学んだ一番。
『信仰とは、感情ではなく、意思である。』 『信仰とは、神に従うと決める意思である。』
・・・・・と。 以上。 私の今日の感想の一部です。
最後に『一つ』
『一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、イエスに尋ねた。
「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
イエスはお答えになった。
「第一の掟はこれである。『イスラエルよ。聞け。わたしたちの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
第二の掟はこれである。『隣人を自分のように愛しなさい。』
この二つにまさる掟はほかにない。」』
マルコ福音書 12章28~31節。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
隣人を愛することが、主を愛することでもあるのですよね。 今日も皆さんと仲良く参りましょう!
***********
記録
昨日・6月4日。14km 今日・6月5日。14km
両日共。5時20分。14度。 ずいぶんの低めです。 体が楽。
大会前の最後の仕上げが完了しました。 今日夕方6時半の高速バスで名古屋入りです。
行ってまいります! 応援よろしくお願いいたします!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/dogeza.gif)
6月走行距離合計 56㎞