見通しといっても、先のことではない。
道路の見通しのこと。
昨日、本当に久しぶりに走った。自分の予定が自分で立てられない、優先順位では自分のやりたいことが一番最後になってしまう、今の私の状況から走れない日が続いた。治安を考えると走れる時間が限られているという、当地での状況も大きく影響してもいる。来年は、シカゴマラソン(最初から諦めていた夢) なんて、思って結構力が入っていたから、走りたい!とイライラもしていた。
久しぶりの私のランニングコース。なんと、様相は一変していた。大げさに聞こえるかもしれないが、とにかく大きな樹に囲まれているようなコースだから、葉が落ちてしまったことで、周りの景色が全く違ったものに見えてしまう。要は、非常に見通しがよくなって、今まで知らなかった、見えていなかったものが、出てきたということ。前からそこにあったのだろうが、見えなかったのだから、私にしてみれば、なにやら色々なものが、出てきたという表現がぴったりする。
景色って面白いなあと、またしても、きょろきょろ走った。
見通しといえば、先がなかなか見えてこない友人の様態に、ケアー側が抱える様々な問題点も出てきた。私もすべての用事をキャンセルしてケアーに当たってきたが、このまま長期化すればそうもしていられない。できること、できないことをはっきりさせる必要があるのかもしれない。
しかし、それをうまくコーディネイトできる人がいない。誰が、何をできる。誰が、何をして欲しい。そこがかみ合わないで、ただただ時間が過ぎていってしまう。
来週は、大きなテストのためにエッセイを書かなくてはならない。アメリカの犯罪についてか、アメリカの医療制度の問題点について・・・。そんな。どっちも書きたくない。それって、あまりにも大きすぎる問題だから。
できない壁を前に、かえるジャンプの日々。