私がマラソンを走った同じ日、若い友人が始めての赤ちゃんを産んだ。
アメリカ人のご主人と幸せに暮らしている、日本人の女性。赤ちゃんを産むに当たって、日本からご両親が来てくれると喜んでいた。ご両親がいらっしゃるまでは、私も色々と気にかけてきたが、いらした時点から、出過ぎないように連絡も取らなかった。
その友人が、赤ちゃんを無事に産んだものの、自分自身が集中治療室に入っていると聞いたのは、一昨日のことだった。何がなんだか訳がわからない。自宅を尋ねると、小柄なお母さんが、出ていらした。目に涙が浮かんでいる。
日本語で どうしたの と話しかけ、手を触れたとき、彼女は堰が切れたように、声を出して泣き始めた。自分を責める言葉、娘を思いやることば、誤る言葉・・・それらと一緒に、大きな声で、子供のように泣きじゃくる。
私は、お母さんに、必ず友人は帰ってくるから、きちんと守っていようと声をかけた。赤ちゃんは無事に生まれてもうすぐもどってくるはずだから。
そのあと、病院で無事に生まれた、新しい命を抱かせてもらった。小さいながらずっしりと重い男の子。友人が、母親となって守り抜いた命だと思うと、なんともいえない気持ちになる。そして、友人のお母さんもまた、その子を思い、守ろうと必死になっている。私は、立ちすくみながらも、必ず母親の祈りが通じるようにと、自分ができることをやるつもりでいる。ひとつひとつの命が、こうして強い愛情から生まれてくるのだと思うと・・・・命を大事にして欲しいと、心から思う。