複数で文章の推敲をしている。メールという便意ツールがあるからできること。
ところが、実はこれが大変な作業になっている。昨夜から、何時間をこの作業に費やしたかわからない。机の上においてある、授業のテキストを放り出して、日本語でメールを打っている。文章の推敲を、文章で書くという作業はかなり、大変だ。
高校生の論文を、赤字でコメントを入れたアルバイトを思い出した。
自分が作り出した、文章はまるで我が子のようだ。いとおしくて、愛情をもってしまう。それだから、お互いに推敲をしあうということ事態が無理な作業なのかもしれない。相手が気分を損ねないような表現であることが、まず一番大事だからね。
しかし、これから、企画する大事なイベントの案内状は、ちょっと妥協はしたくない。
最近私が勝手にはまり込んでいるのが、余白の美学。自分で勝手に考えて、勝手にはまり込んでいるのだから、自分以外の人がわかりようもないのだが・・・。
ビジネスレター、銀行の残高照会なら、きちんとしっかりと明記が原則だろうが。。。人と人とのかかわりの中で、きちんと白黒を言い当てなくても、お互いが感じる余白の部分で、ほんわかとそれぞれのとり方をしてはどうだろうか・・・という、曖昧なもの。ぼんやりイメージがわいてくるような、牧歌的なもの・・・曖昧なのだから、曖昧に感じるのも当然のことなのだが。。。。美学わかってくれない?と、言いたくなる。
踏みとどまって あーあ とため息が出る。
今日も、この作業に付き合いながら、読み進まないテキストを気にする何時間かが始まる。もう、夜中の一時半なのに・・・・。