どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

キャプテン

2007-08-26 12:41:33 | うるるん

次男が、地元高校の、サッカーチームのキャプテンになった。

私はキャプテンズ マム ということになる。以前にも書いたが、サッカーはチームになぜかお金がないので、ブースタークラブという親の後援会は、何かと資金集めをすることになる。試合の時、球場の売店を開いて食べ物を売ったもする。キャプテンは三人いるから、私が中心になることは無いが、息子のためにも、お世話になったチームのためにもがんばりたいと思う。

息子からは。シャイになってないで、積極的にチームのために貢献して欲しいと注文がついた。集団で応援する中で、友達もいなくてひとりになる孤独、言語の問題、仲間意識。。。。。すべてのことから、逃げるには、その場に行かないに限る。実際、悩みながら私はそうしてきた。、最後の年くらいきちんとしたいと願っている。つまり、最後という追い詰められ方をしないと、甘えてばかりで・・・。

他のキャプテンのマムに連絡をとり、すこしゆっくり話す時間をとってもらった。

また、ティームディナーで、子供たちを招待することも、単独では無理だと思ったが、パートナーを見つけたことでなんとか乗り切れそうだ。9月12日に行う。

今日は、日本で息子がお世話になった、サッカーの監督に最近の彼の状況を始めて報告した。

息子は、監督をどうしても受け入れられず、小学校6年の時、サッカーをやめる決心までした。ところが、こちらに来て二年後かな。。。日本への一時帰国を前にした時期に、とつぜん、自分が幼かった、監督の気持ちもわかるというようになった。

日本で挨拶に伺うと言いながら、結局は、その後も監督に会うことはなかった。彼がもっぱら、慕うのは、その監督を拒否した彼を、暖かく、そして厳しく受け入れてくれた、若い他のチームの監督だった。息子は新しいチームに見事に馴染み、いきいきとサッカーを続けた。私も、渡米するにあたり、若い監督から息子へプレゼントされた、子供たちのチームと同じユニホームの、大人サイズの11番のユニフォームを見たときは、ただ泣けた。

次男は、前監督を尋ねようとして、できなかった。

それに反して、歳ととってきたせいか、私はすんなり、以前の監督に電話する。息子のことで、わだかまりが無いわけではない。でも、私自身、審判として監督の指導を受けていたし、私の始めての審判の試合で、副審をしていた、私の後ろを同じように走って、私の判断に間違いがないか、心配してくれた監督の姿が今でも思い出される。

息子がキャプテンになりました。・・・・うれしい。。。と、電話の向こうから言葉が返ってきた。

前監督は今は、ジョギングをしていると聞いていた。来年くらいから、一緒に走りましょうと話をする。実はこれが、メインの内容だったりして・・・。仙台でどうやってランニング仲間を作るか今から、わくわくと考えている。

新しく一年が始まる9月。アメリカではなんとなくざわざわとして落ち着かない。ちょっと、まわりに振り回されイライラ走れない状況の続いた昨今の私だが、早くペースをつかんで、新学期に備えないと。

キャプテンの時期はきっと短いぞ。そして、再開する授業もきっとたいへんだぞ~。今期は、必修科目で、体育の授業もある。・・・・・・・。

がんばる。

コメント
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