どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

言葉の壁より高い壁

2006-02-04 23:31:07 | なっとくる

金曜日教会で開かれる、ボランティアの英語の教室に、韓国人の若い女性が来るようになった。友人が大学で知り合ったらしく、あなたにも紹介したいからと、前々から言われていた。何故って、私が韓国大好きだから! 私はこのブームよりも大分以前から、韓国大好き人間になっている。理由は簡単。大学進学と同時に故郷を離れている私にとっては、遠くの親戚より、近くの他人という金言が見にしみて理解できている。それを国際感覚で捉えると、遠くの欧州、米国より、近くの韓国、アジアになるという次第。韓国と韓国語を理解しようと試みたが、原語の壁は私には、事の他高く、あっさり挫折してしまった。しかし、その後にやってきた、この大ブーム。今は、面白いドラマにきっちり、しっかりハマッテイル。

最近は大長今(デイジャングム)に感動。ジャパンTVの道を絶たれた後は、アジアTVで、米国内むけ韓国ドラマを毎回感動して見ている。秘密をみたでしょう。今は海神(テジン)を、毎日(月~金)欠かさず見ている。週5回もあるから、展開も早くて大満足。次の日には、今日のわくわく、どきどきの結果がわかるのだから。

そこで、私は新しい友人?に、共通の話題の提供のつもりでドラマの話をしてみた。すると、彼女の反応は?????知らない。ええ?なんで、こんなに感動的な、あなたの母国のドラマを知らないの?

はたと、思い当たることがある。そっか、歴史モノだし、日本で水戸黄門を毎回感動して見ているようなものなのかもしれない。あれは、私でも見ないモンなあ。

原語の壁より、年齢、ジェネレーションギャップの方が、永遠に超えられない高い壁なのかもしれないと、妙に納得した。

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優しいことば

2006-02-03 02:41:32 | なっとくる

年上の友人は、実に優しい言葉をかけることが出来る人だ。時に引いて待っていないで、踏み出して言葉をかける。でも、そのかけ方が優しくて見習いたいと、常々思っている。若くしてガンを宣告され、自室にこもっていた若い友人に、彼女はメールを出した。体の状態をたずね、メールに返事はいらないこと、いつでも自分が彼女を助けられる状態であることを書いたそうだ。そして、彼女が助けを呼べるようになるまで、待っていたという。

大抵の人は、悩んで結論をだしたところで、相談をするらしい。悩みを解決するためには、自分で、自分に向き合って考える時間が必要で、それがないと実は解決の方法を探ることも難しいはずだ。方向性は本人がだして、それをいかに助けられるかという、具体的な方法が相談をするという、次の過程だということか。彼女はそれをきちんと捉えることができる、優しい人だと思う。

私は高校の時に、非常にシビアな家庭の事情があった。(ちょっと英語でごまかす)。家族は私を心配し、高校へ行けないのではないかと思ったようだった。そう、思うから私はどうしても、学校へ行く必要があった。家族に悲しい思いをさせたくなかったから。私の友達は、私を何事もなかったかのように受け入れてくれた。家庭の話などまったく出ず、普通のとおりだった。何らかの説明をしなくちゃいけないの?と、思っていた私は、それは嬉しかった。ほっとした。

その日の、午後、一本の電話があった。同級生の男の子から。ずばり、大丈夫か?と、聞かれた。え?大丈夫だよ、と、色々と説明をしようと試みた。彼は、おまえはだいじょうぶか?と、聞いただけだ、と、答えた。今でも、鮮明に覚えている。私は、とっても驚いたし、涙がでるほど嬉しかった。実はこのエピソード誰にも話していないし、彼の方はとっくに忘れたと、思う。でも、本当に嬉しかった。

友人が悩んでいると分った時、どうすればいいのか・・・。優しい言葉をかけられる人になりたい。ちょっと、勇気も必要かもね。

追 電話があったとき、私は彼の愛を感じだのだけど・・・その後もいろいろあったけど、恋人関係にはならなかった。どうしてだろう?

 

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和と個性

2006-02-03 02:12:14 | なっとくる

ご飯を食べながら友人が、聖徳太子の太古から、日本人は和をもって尊しとしてきたから、個性は育ちにくいよね、と、言った。私は、え?っと言って、次の言葉が出てこなかった。ショックな言葉だけど、ほんとの事を言い当てているような、小気味よさが、すんなり心に入ってくる。この感覚は、ストレスはすべて人間関係ですと、牧師さんが言われた時に感じたものと同じ感覚だった。

大人には出る釘パンチ、子供にはいじめ、集団からはみだしものは、容赦しない。そしてどこかに、出れば打たれて当たり前、集団で行動できない者は、協調性がないと評され、つまりはみ出す側が悪いとする価値観が存在しているのも確かだと思う。慣れてしまえば、居心地はいいのかもれしない。帰属することの安心感かな。いいのか悪いのか私にもわからない。自分にも無いとはいえない感覚だから。

こちらの人がにこにこして、初対面でも名前を覚えようとしたり、とにかくフレンドリーなのは(例外はどこにでも必ずいますが。。。)、帰属するものがないので、敵を作らないようにするためだと、話してくれたのは、こちらに長くすんでいる日本人の方だった。キモチの中にある、精神的文化は、大きく行動を左右するようだ。はっきりしているのは、帰国した子供達が、それにうまく合わせられないこと。大人のように猜疑心もなく、抵抗感もなく、ただ生活を、文化を受け入れてきただけに、精神的なところで、変化をしなくてはならないことになってしまう。生活様式をただ変えれるのではなく、心の中にある精神的文化を移行させていくのは、簡単ではないだろうと想像する。

和も大事、個性も大事。むずかしい。わたしも根っからの日本人に間違いない。

 

 

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言われてみれば

2006-02-01 03:49:11 | なっとくる

中断していた韓国料理の勉強を再開した。今日は、松のみがゆとケチャルピョン(ゴマを使った餅菓子)。以前に、自分と似ていると感じて、苦手意識を持っていると書いた友人と二人で向き合う料理教室かな。今も心配をしないではないが、近くで接していると、苦手意識はなくなってきた。そして、自分に似ているところと、逆のところが見えてくるようになった。

私はよく、喋りすぎて後悔する。特に、場が静かだったりすると、頼まれもしないのに、盛り上げようとしたりする。人の話を持ち出すわけにはいかないから、大抵は自分をまな板の上に乗せて、ああだこうだと料理する。そして、後から、めちゃくちゃ後悔する。寡黙な人は、こういう後悔はないのだろうと、確信していた。

ところが、どちらかというと、聞き役になる方が多い、誰が見てもソツのない彼女が言うのは、喋らないで後悔することもあるのよ。ええええ?????私が、未だかつて考えたこともない発想だ。言葉が足らなくて誤解を招いたり、人物評も冷たいとか、スマシテイルとなるらしい。そっか、そういうこともあるのかもしれない。私には無いことだけど・・・・。

人間関係の難しさに脳疲労を起こした。でも、人から、学ぶことも多いと感じる。次回は、2月21日。韓国料理は奥深いねえと、話しながら、次回は中華料理の焼き饅頭と、中華カステラに挑戦する。

 

 

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