どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

卒業式本番

2008-05-09 20:44:56 | うるるん

感動した。というか、やはり異文化での体験は面白い。

まずコスチューム。帽子のふさはまず右側に垂らし、卒業したところで左側に垂らすのだそうで・・・隣り合わせになった人が、私の帽子を直してくれた。

この帽子がねえ・・・結局壇上で、帽子が落ちそうになってしまい、あわてて手で押さえて、卒業証書をもらうことになってしまった。最後まで、どこかシリアスではなく、コメディーの域を出ない・・・・私らしいかもしれない。

images 私のために来てくれた息子たち、友人に感謝する。

会場に卒業生全員が入場する際。何故か外に一旦出た。そこには、黒の装束を身に着けたインストラクターが勢ぞろい。まるで、ハリーポッターの世界。一人一人が、自分の生徒に声をかける。私は、日本人だし、年齢も上だから、興味をひいたのだろう。たくさんのインストラクターに声をかけられる。

やはり息子の高校の時の卒業式とは違って、大学という感じがする。会場には生演奏のパイプオルガンの音色が鳴り響いていた。

思い出に残った。

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断念する

2008-05-09 05:10:05 | うるるん

レースはあきらめた。痛みは引かないどころか悪化しているようでもある。

今日は午前中、コメンスメントという卒業式のリハーサルに出席。そこで初めて250人強の人が卒業することを知った。

卒業証書ではないが、同じようなもの?を一人ずつ受け取る練習もする。そこで、階段の上り下り等、足が痛くて顔を思わずゆがめてしまう。

きっと足を使っていないつもりでも、車の運転(昨日は息子を迎えるために長距離運転)、引越しの準備等で、相当足を使っているらしい。

これも、なにかの兆しかもしれない。受け入れるしかない。次回のレースは日本で走ることにする。記念のTシャツは、大会関係者の方が送ってくださるという。忙しいのに・・・感謝する。USで出たレースは楽しかった。デビュー戦がUSだったというのも、ここまで続けられた要因かもしれない。

仕方ないこともあるさ。ショウガナイ。今まで走ってくれた、私の足に感謝する。ありがとう。

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卒業が決まった

2008-05-08 02:16:17 | 舞いあがる

あれ、卒業予定だとは書いたけど、卒業が決まったとは、言っていないよね。

今回のクラスを一つでも落とせば卒業はできなかったのよ。

問題のエコノミック。土壇場で?Bに返り咲き・・・レベルが低くて人には言えない。ここだけの話にしてください。卒業を明日に控えて、今日成績が出るからね。まったく~。遅いでしょういくらなんでも。だいたい卒業式に二日前にファイナルテストをするな!!!!と、言いたい。

エキストラクレジット狙いのエッセイがきっとよかったのよ。北京オリンピックの経済効果について書いたからね。オリンピックのキャラクターにもにぎやかに登場してもらった。

ボードミーティングに出ろだの、先生を採用する人へインタビューして来いだの、サンキューカードを書くことだの、やたらそのほかのところで課題や要求の多かった、

Education202 も無事Aで通過。

だったらテニスでもいいやと、選んだテニスもAで通過。

これでやっと、明日卒業式を迎えられる。実は本当によかったと安堵している。

おめでとう。ありがとう。

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最後の行方

2008-05-07 19:00:12 | かたまった
困った。最後のレースに出れるかどうか微妙だ。足が痛くてしょうがない。歩くと痛いのもあるけど、階段の上り下りで、非常にアキレス腱が痛い。

今週末のレースをどうしよう・・・。もう、走っていない日数が一週間になる。
今日は走りたくないなあ・・・なんて、思う日もあったけど、走れなくなるとそんなことを考えていたことまで懐かしい。

そんな昨日、先週のレースの写真が届く。確かに体型的にはアメリカ人に見劣りしなくなっているようだ。やばい・・・。

最後ではなににしても、USでは最後だから、走れるだけ走って、後は歩いても、棄権してもいい・・としようか。

健康に感謝して、生活をつつしみ、ストレッチを必ずすること。痛くなってからでないと・・・気づかない。反省。
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カレッジ最後の日

2008-05-06 13:58:35 | うるるん

明日が最後の日になる。2002年8月3日渡米 同月26日から授業が始まった。

試験を受けたのは、渡米して二週間後、student center の電話番号が書いてある紙切れ一枚をもって単身で行った。

移民の多い、USでは州政府が用意した ESL 英語を母国語としない人 に対する支援活動の一環として、日常生活に困らないような、英語指導の教室が開かれている。

たぶん。そこへ行きなさいと言われたのだろうけど、相手の英語はまるでわからないので、ここで勉強したいとがんばった。試験の結果は、reading のスコアがそこそこよかったので、なんとか英語の下級レベルから始めることができた。

私にはどうしても、このカレッジに入る必要があったから・・。

日本人の女性からのアドバイスだった。子供達は相当苦労をする。それを理解するためにはあなたも同じ経験をするしかない。同じようにやって御覧なさい。最初はつらいけど、そのうちに慣れるでしょう。

子供達のことを理解したい一心だった。子供達のことを考えて泣いてばかりいてもしょうがない。自分に出来ることをしたい。。。と願った。

苦しさは予想をはるかに超えた。大学生になれる。。。と、ルンルンとしたのは、決まったときだけだった。授業が始まってみると、英語はまるでわからない。教科書の何ページを見ているのかもわからない。聞き方もわからない。喋っても誰も、私の英語を理解してはくれなかった。孤独と分からない授業を聞き続ける苦痛。

しかし、日本人だから、文法の知識はレベルの低い英語の授業を受けるアメリカ人よりはある。テストのスコアーはよくても、喋れない日本人を、同じクラスの人たちは奇異な目で見た。学校に行くのが辛くなる。

生涯で初めて、学校に行くのが苦痛だと思った。

あれから、5年と半分。

明日が最後の授業。8日は卒業式。ガウンも帽子ももらってきた。

一番印象に残った授業は、social issue のクラスで、黒人の先生が黒人に課せられた、貧困のサイクルをどうにもできない・・・お前はどう思う と、黒人の生徒に詰め寄った場面だった。

アメリカ史では、第二次世界大戦末期、ドイツではなく日本に原爆を落としたのは、日本人がイエローだから。。。悔しくて。でも、先生は淡々と事実を述べたのであって悪意はもちろんない。

教育学は厳しくて厳しくて、辛かったけど、先生のメッセージを感じて、それに着いていった気がする。

インターンシップでは高校生から、たくさんの刺激をもらった。

なんでも、無駄な経験はないなあと、つくづくと思う。5年間、私はカレッジに通えて楽しかった。幸せだった。

家族にまず感謝したい。そして、色々な方に背中を押してもらいながらここまでこれた。ありがとうございました。

Bill of Right を、請求書の権利と訳した私も、卒業です。

基本的人権と今は分かるから、無駄ではなかった。

明日は、いつも苦しいときに飲んだ、スタバのモカを飲んでこようっと。最後のご褒美だ。

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終わった

2008-05-01 11:49:00 | ぼっとん
インターンシップの授業が終わった。

終わってみると、なんとも寂しいなあ・なんでもこんなものかもしれない。

早く終わって欲しいと思っていたことがあったのに・・・。
最近のことだ。緊張感もとれ、子供達の個性もそれなりに分かってきた。

私と同じように人見知りする子もいた。慣れてしまうと、バカバカ馬があったりする。次男と同じ年代の子供達、自分のむすこと違って大人だなあと思うこともあったり、ハレレ・・・と、お母さんの気持ちになったりだった。

今度は日本で彼らを待っているつもりだけど、遊びに来ました!!なんて、元気のある子は出現するだろうか・・。

いつ彼、彼女らが出現してもいいように、心を広げておきたいと思う。

英語も忘れないようにしないと・・・。toeicの試験を6月29日に仙台で受けることにした。コレで、公言したから、退路遮断。

引越し準備が始まった。
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