新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国とアメリカのスポーツのスポーツの違い

2013-10-13 13:30:57 | コラム
矢張り異種の競技の感が:

11日の夜はNFL(アメリカのプロ・フットボールのリーグ)のゲームをNHKのBSで約2時間。12日は昼前からMLBのリーグ優勝決定戦から我が国のNPBの両リーグのクライマックスシリーズのファースト・ステージを見ていた。日米両国のスポーツの違いがまざまざと出ていて面白かった。

先ずはフットボールだが、「究極の球技」としての凄さと言うか面白さは変わっていないし、矢張り私にとっては鑑賞する際にこれに優る競技(球技でも良いが)はないと思わせてくれた。しかし、ここにも変化はあって、アトランタ・ファルコンズとNYジェッツの両者のスターティング・ラインナップの顔写真を見れば圧倒的にアフリカ系アメリカ人が多くなっていた。嘗ては白人の聖域の如きだったQBでも、NYではアフリカ系でしかも新人(ルーキーは誤ったカタカナ語である。rookieと書いてあれば「ルキー」であるのは言うまでもない。bookと書いて誰が「ブーク」と読むか)だった。

この競技の凄さは「選ばれし者たちの身体能力の高さ」で、私には2メートル近くで100キロを超えるような男たちの瞬間の動きには到底目がついていけない。それだけではない、ディフェンスの選手たちが瞬間的にボールキャリヤーにタックルに入るスピードなどはビデオテープで再生して貰って漸く解る程度だ。彼らは高校・大学でフットボール、野球、バスケットで全身を鍛え、その間の厳しいトレーニングを経てプロとして、職業としてフットボールを選んだのだから身体能力と運動能力が凄いのである。フットボールと野球の両方のプロを同時にやっていた強者もいた。

さて、野球である。MLBの質は張本勲の言を借りるまでもなく劣化している。それは南米諸国からの選手が増えた結果だと私は判断してる。1980年代に入って初めてシアトルでMLBの野球をみた時にはその華麗さと上手さに感動した。実に美しく洗練されていて、内野手の動きなどは基本に忠実で且つ芸術的だったのだから。特に、ケン・グリフィーJr.の外野フライの捕球の姿勢の美しさなどは、フットボールのレシーバーが長いパスを捕る姿勢にも共通する華麗さがあって感激した。

一言だけ阪神を批判しておけば「私なら藤浪が広島の前田投手にヒットを打たれたところで交代させていただろう」で、明らかにあの辺りが限度だった。

しかし、現在圧倒的多数を占めていると感じさせる南米系の者たちは「野球だけしか訓練されてこなかったために、使っている筋肉が野球用だけであり、しかも基本が余り徹底されておらず、内野手などはやたらに飛び込んで難しいゴロを捕ってみせるだけの身体能力のショーの如き野球をやっているだけ」で、その昔に当方を感動させてくれたMLBの野球を劣化させた。だが、投手たちの球は速く、彼らの打球は遠くに飛んでいく辺りは、我が国の選手たちが及ぶところではない領域にある。

そこで、我が国のNPBだ。非常に綺麗に纏まっており、細かい技などは大雑把な南米系の者たちには真似出来ない美しさと巧みさがある。しかし、もし難点があるとすれば、高校の頃からトーナメントを勝ち抜く技法で仕込まれてきたので、「ここぞ」という時の勝負で安全策を採っている習慣があるので、スリルがない辺りだろう。しかも、タイガースのようにアメリカに行って能力を磨り減らしたというか身体能力の争いに敗れて帰ってきた西岡や福留に頼っているようでは、見る価値がない。

アメリカに行ってMLBでやりたければ、先ず彼らがどういう文化(言語・風俗・習慣・思考体系)の下で野球をやっているのかを良く研究し、その上でNFLとNBA(プロバスケットボール・リーグ)のゲームをも見て、アメリカでは如何なる者たちがプロになっているかを承知してから行くべきだ。そうしないから、西岡、岩村、福留、松井稼頭央のように魂を抜かれてしまう危険性が高いのだ。

それ以外にはイチロー君の大成功の陰に何があったかを十二分に研究することだ。2007年9月にシアトルでイチロー君がフィールドに出てきたのを見て「何て小さい奴が出てきた」と思わざるを得なかった。彼は180センチの身長がある。それでは小さい部類に見えるのがアメリカのプロ選手だと知ってから目指した方が良い世界だと、私は思っている。因みに、イチローはこの日に外野フライを落球した。